23.奥様に報告
すぐにウォートレット夫人へ報告に行く事にした。
日曜日の午後の屋敷は使用人も少なく、静かだった。
アルバートがノックをする。
「母上、僕です」
少しして「どうぞ」というくぐもった声が聞こえてきた。
扉を開けると、夫人は長椅子にだらりと身を委ねていた。
額の上にタオルを載せて目を閉じている。
顔色も青白く、もしかして体調が悪いのだろうかとエヴァは心配になった。最近元気になってきた印象だったが、以前の儚い姿に逆戻りしてしまっていた。
「母上、お話があります」
「ちょうど私も話があったのよ。アルバート、私の個人資産があるの。結婚した時にお父様が一部取っておいてくださったものがあるのよ。あれを使って頂戴。足りないと思うけれど……」
夫人は目を閉じたままだったので、エヴァには気が付かなかったらしい。
そのまま話し始めてしまった。
慌てて遮るように、アルバートが口を開く。
「母上、その話は後で……」
「どうして?」
緩やかに瞼を開ける。エヴァがいることに気が付くと、急いで起き上がった。
額に乗せていたタオルがずれて椅子の上に落ちる。
「まぁ、やだ、エヴァもいたなんて。アルバートだけかと思ったのよ」
恥ずかしそうに髪を撫でつけて、ドレスの皺をなおそうと手で払う。
「今の話は忘れて頂戴、ちょっとしたことなのよ」
「はい、奥様……」
エヴァは小さくこたえた。
これからそれに関係する話をするのに、知らない振りをするのがいいのか悪いのかわからず微妙な声色になってしまった。
幸い夫人は気が付かなかったようで、ゆるりと微笑んだ。
「ところでどうしたの? ふたり揃って……。まさか!」
「え?」
夫人の目が大きく見開かれて美麗な顔の眉間に皺が寄る。
「エヴァ、辞めるなんて言おうとしてないわよね?」
「いえ、ええと……」
辞めるようなものなのかもしれない。でもどう答えたらいいのかと言葉に詰まってしまった。
その返事を肯定と受け取ったのか、夫人が愕然とした顔をする。
最近のいろいろなことで、使用人達にも動揺が広がっているのを夫人も感じているのだ。
それを察した使用人が他の条件の良い家に移ろうとするのは自然なことだから。
エヴァは早くアルバートに話を進めてほしくて視線を送った。
これ以上無駄な勘違いをさせたくない。
「違います、母上話を聞いてください」
「聞いているわ」
「落ち着いて聞いてくださいね。僕はエヴァと結婚します」
「え?」
夫人はぽかんと目を見開いて動きを止めてしまった。
きょろきょろとエヴァとアルバートを交互に見て、またアルバートに視線を戻す。
「どういうことかしら?」
視線が困惑と、絶望と少しの軽蔑のような色を含んだものになる。
そんな瞳で見られたくない。
エヴァは心の中で自分を励ますと口を開いた。
「奥様発言をお許しください」
「何?」
「私の名前はエヴァ・ガルシアです。私の姉はロックバーグ子爵夫人です。義兄とは一年半程前に結婚しました」
「ロックバーグ子爵……」
夫人がぽつりとつぶやく。
その名前の意味に気が付いたようだった。
世俗を離れて引きこもっているような女性だけれど、一応貴族の動向は知っているのだなとエヴァは思った。
「祖父と父はカメル国で、不動産事業で成功した資産家です。私は貴族ではありません。ですが私なら旦那様も奥様とお嬢様も助けることができます」
その言葉に夫人はカッと顔を赤らめると唇をかみしめた。
羞恥心とか怒りの気持ちのようなものが湧いたように見えた。礼を欠いた言い方だったとエヴァは反省した。でも他にどう言えばよかったのかエヴァにはわからなかった。
夫人はこぶしを強く握り締めると息を吐きだした。
そして絨毯に視線をやると諦めたように力なく呟いた。
「どうしてかしら、あなたのおかげで私たち一家は助かるはずなのに、何故か苦しいのよ」
「私がお嫌いでしたか……?」
「違うわ、いつもあなたがいてくれてとても助かってるのよ。本当よ。オーロラもあなたの事を好いているわ、わかりにくいかもしれないけど。ポピーは教育係だから少しうるさがってたりしてたの。関係は悪くないのだけどね。他の使用人であの子の相手をしてあげられる人はいないでしょう。忙しい女中にあの子の話し相手なんてさせられないもの。私が言いたいのはね……」
エヴァと目線が合う。
「私たちは貴族だわ。あなたも資産家の令嬢なら同じでしょう。結婚は個人の意思だけで決められるものじゃないわ。でもね、親として子どもの幸せを願わずにはいられないの」
「はい」
「それは多分、あなたのご両親も一緒だと思うの。だからねエヴァ、あなたはアルバートのことを少しでも愛してくれている?」
エヴァは夫人への最初の言葉を間違えていたことに気が付いた。
本当なら一番最初にアルバートへの愛を伝えなければいけなかったのだ。
こんなお金でアルバートを手に入れるような状態だからこそなおさら。
エヴァは、夫人の元に近づくと床に膝をついて奥様の手をとった。
「はい、私はアルバート様を愛しております」
後ろで息を飲む音が聞こえた。




