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20.雷鳴

 翌日は朝から雨がしとしとと降っていた。

 太陽が雲に隠れてしまい薄暗い。窓に当たる雨粒も時間を追うごとに大きくなっていっているようだった。


 そんな天気だったが、エヴァは張り切ってオーロラのベッドメイクをして髪の毛を梳かした。

 気を抜けば飛び跳ねてしまう髪の毛を器用に編んで、ドレスと同じ色のリボンで結ぶ。


「素敵な髪型になったわ。ありがとうエヴァ」

「とんでもないことです」

 

 お礼を言うオーロラに笑顔で答えると、エヴァは朝食を取りに行った。


 ――書斎に行くのいつがいいかしら? 夜は良くないわよね。


 仕事が終わってから行っても、アルバートも書斎にいないかもしれない。まさか自室に突撃するなんてこともできないし。

 結局、オーロラが勉強している時間がいいだろうと思った。

 この天気だったら奥様もお使いを頼まないだろう。

 せっかく店から持って来ても雨で濡れてしまうだろうし、そもそも雨の中買い物に行けというような非道な人ではない。


 つつがなく仕事をこなしオーロラが勉強の時間になるのを待って、エヴァはオーロラの部屋を抜け出した。

 ちょうど使用人も休憩の時間だった。

 この時間なら家政婦にも執事にも見咎められることもないはずだった。

 

 普段は使用人仲間と台所等空いている部屋で休憩を取るのだけれど、今日はそこへは行かずに書斎へ向かった。

 軽くノックをする。


「どうぞ」

「失礼します」


 書斎にはアルバートしかいなかった。

 アルバートは仕事の時間なので、執事も一緒にいるかもしれないと警戒したのだけれど余計な心配だった。


「エヴァ、待ってたよ」

「あ、この時間で大丈夫だったかしら? 仕事の邪魔をしなかった?」

「大丈夫だよ。僕もちょうど休憩をしようかと思っていたところだったからね」

 

 その言葉をどう受け止めたらいいのか迷ったが深く考えないことにした。

 エヴァに合わせて休憩を取ってくれようとしていたのなら、愚かな勘違いをしてしまいそうになるから。

 「はい」と渡された雑誌を受け取る。

 

 雑誌を借りられたのなら速やかに退出すべきだった。

 でも名残惜しくてついどうでも良いような雑談を始めてしまう。

 

「もう旦那様は読まれました?」

「読んだよ。面白かった。君も読んだらびっくりするんじゃないかな」

「びっくりですか?」

「うん、だってね、犯人は……」

「やめてください! 犯人を知ってしまったら面白さが半減どころかマイナスです」

 

 慌てていうエヴァを面白そうに見つめるアルバート。

 よく見るとアルバートの目は糸のように細くなり、口元はにんまりと弧を描いていた。


「マイナス? 面白いこと言うね」

「からかったんですか?」


 エヴァが軽く睨みつけるが、アルバートは笑うばかりで全く気にしていないようだった。

 もう、と言ってエヴァも少し笑うと軽く頭を下げる。


「ではこちらお借りします」

「うん、楽しんで」


 手を振られて、再度頭を下げてそれにこたえる。

 もっとアルバートと話していたくなる自分を心の中で叱りながら、ゆっくりと扉へ向かっていると厳しい顔をした執事が足早に部屋へ入ってきた。


 扉の近くにいたエヴァのことも目に入らないようだった。


「旦那様!」


 アルバートもさっと表情を引き締める。


「こちらを。今速達で届いたのですが、子爵からのようです」

「叔父上から?」


 子爵と聞いて、義兄を思い出したが違うようだった。エヴァはこのままここにいるべきじゃないと思い、そっと扉から廊下に出た。

 でもあの血相を変えた執事の顔は、初めて見る表情だ。

 何か良くないことが起こっている。

 エヴァは扉の前から動くことができなかった。悪いと思いつつ、中の様子を伺う。


 アルバートは破るように封筒を開けると、中を確認していた。


「ああ、そんな……」

 

 みるみる青ざめたアルバートはうろたえて、声を震わせる。

 読み終わると力の抜けた指先から書類を机に落ちた。

 アルバートはどさりと音を立てて椅子に崩れ落ちる。うなだれ、力をなくして椅子にぐったりと座りこんでしまった。

 右手で頭を抱えている。

 

「旦那様、いかがされたのですか?」

「……叔父上の持っていた鉱山が閉山になった。……負債が払いきれない場合は当家が補償すると契約書にはあるそうだ」

「なんですと⁉ 本当ですか? エリオット様も、大旦那様からもそんなことは一度も聞いたことがございません」

「お爺様だよ。サインが、お爺様になってる……」

 

 エヴァは顔が青ざめるのを感じた。

 思わず手で口を押える。

 

 アルバートの祖父は故人だ。誰も知らないくらい古い契約書だったのかもしれない。

 執事も手紙を手に取ると、震えそうになる声を抑えているような絞り出したような声で言った。


「落ち着いてください、旦那様。負債の金額は払えない額ではありません。そうでしょう?」

「そうだね、どうにかお金を工面できればなんとかなるかもしれない。でももう王都の家も、領地の屋敷も人に貸してる……」


「残ってるのはここだけだよ」という小さな呟き声にエヴァの心臓は締め付けられた。


「けれど、どうにかしなければ……。領地は代々僕らの一族が守ってきたものだ。屋敷は手放しても領民は守らなければいけない。屋敷を売ってどうにかなるなら……。貸している人には申し訳ないけれど、買い手を探すべきだろう。ああ、母上は今度こそ倒れてしまうかもしれないな……」

「おまちください旦那様。とにかく弁護士に連絡をいたします。契約も古いものです。どうなっているのかきちんと確認しませんと」

「頼むよ……」


 そう言って速足で部屋から出て行く執事を見送ると、エヴァはするりと書斎の中に入った。

 

 アルバートは机に肘をつき、その上に頭をのせていた。

 視線は何度も届いた書面を読んでいるようだったし、きつくまぶたを閉じているようでもあった。

 重苦しい雰囲気の中声をかけるのは勇気のいることだったが、エヴァは思い切って口を開いた。

 

「旦那様、お話があります」

「あ、ああ、エヴァ……。今は忙しくて……。ちょっと仕事に戻ってもらえるかい?」

「ええ、もちろんです。戻ります。でもその前に、私の聞き間違いであったらいいと思っているのですが、先ほどの件は本当ですか?」


 アルバートは答えなかった。

 視線を外し唇をかみしめている。

 

 エヴァは思った。

 アルバートの不幸はエヴァも辛く苦しい。


 でも、自分ならそれをどうにかできるんじゃない?

 脳裏にアルバートが昨日デートしていた女性の姿がちらついた。

 名前も知らない女性だけれど、彼女はきっとアルバートに好意を寄せているだろう。


 そんな彼女を出し抜いてやれる。


「旦那様、私と結婚しませんか?」


 エヴァの耳に、激しい感情に呼応するかのようなバチバチと窓に当たる強い雨と、雷の音が鳴り響いているのが聞こえた。

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