2.伯爵様は騙されたらしい
「そうだよ」
アルバートは眉を下げて困ったような表情をしているが、困ったのはエヴァの方だ。
伯爵様に荷馬車を操縦させたし、敬語を使わずに話していた。それに何よりアルバートと思いっきり呼び捨てにしていた!
掴んだままだった、馬車を下りる時に差し出された手に思わず力が入る。
ほとんど叫ぶような声が出た。
「伯爵だって知ってたら呼び捨てなんてしなかったわ! 操縦だって私がしたわ。それに、その恰好で荷馬車に乗ってるなんて使用人と勘違いしても仕方ないと思わなくて?」
「そうだね、それは僕が悪かったよ。勘違いさせた」
「謝らないで頂戴! 子爵から城で暮らしてるのは、伯爵と奥様とお嬢様だと聞いていたからもっと年齢のいった方かと思っていたのよ。言い訳だけど。私……、とにかくごめんなさい。あなたが伯爵だって気が付かなかった……んです」
「ああ、うん。それは僕が全面的に悪いから気にしないで」
そう、悪いのは伯爵だ。でも失礼を働いたのはエヴァの方だ。
「僕もちゃんと名乗らなかったから」
そうだ。どうして名乗ってくれなかったのか! 自己紹介をしたときにちゃんと名前を全部名乗ってくれていたらこんな事にはならなかった。
「今日はいつも街まで買い出しに行ってくれてる使用人が腰を痛めてね。僕が代わりに買いに行ったんだ」
「そ、それはとても使用人思いですのね……」
親切だ。でもできれば他の使用人に買い出しを任せてほしかった。
普通は伯爵自ら買い出しなんて行かないでしょう!
使用人は誰も止めなかったの?
「でもね、流石にあからさまな恰好で買いに行くわけに行かないだろう? だからなるべく使用人に近い服を着て行ったんだ。貴族が食料品を買いに行ったなんて知られたらどんな噂を流されるか……」
アルバートが渋い顔を浮かべる。
エヴァが今すぐに思い浮かぶのでも、使用人が逃げ出したとか、給金を払ってもらえなくなって辞めたのだとか噂を流されそうだと思った。
「想像に難くありませんわね」
そうだろう? と頷くアルバート。
伯爵の告白に衝撃を受けていたが、少し落ち着いたところでふと気が付いたエヴァは再び顔色を変えた。
「ここは正面玄関じゃありませんの! 裏口はどこです?」
「あ、そうだね。つい癖でここに停まってしまった。エヴァも降りてるし、ここから入ったら?」
「どこに正面から入る使用人がいるんですか⁉」
エヴァはとうとう叫んでしまった。
本当は、この伯爵に使用人としてふさわしいかを試されているのではないのかと、ひねくれた見方をしてしまいそうだ。
けれど多分、本当に伯爵は大らかな人なのだろう。
それとも田舎のお屋敷だとこれが普通なのだろうか……?
だが、伯爵は良くても奥様やお嬢様、執事もどう思うだろう。礼儀のなってない娘だとエヴァのことを思うだろう。
どうせ伯爵も買った荷物を運ぶために裏口へ行くのだ。
そう言って納得させると、エヴァはようやく屋敷の裏口に向かうことができたのだった。
屋敷に入る前にすっかり疲れてしまった。
裏口に着いて荷物を伯爵と一緒に下ろしていると、屋敷の中から中年の女性が出てきた。
「伯爵様お帰りなさいませ」
「うん。頼まれたものを買ってきたと思うから確認してもらえるかい?」
「はい。お手を煩わせてしまい申し訳ありませんでした」
服装からして料理人なのだろう。
丁寧にアルバートに礼を取っているが、伯爵が買いものに行くというのを止めなかったのだろうか。
なんとなく釈然としない気持ちでいると、その女性が振り返った。
エヴァも普通の町娘のように挨拶をする。
「エヴァです。お屋敷で働かせていただきたく、紹介状もありますのでご確認ください」
「ああ、聞いていた人だね。アタシはこの屋敷で家政婦兼料理人をしているナターシャ・ミラーだよ。仕事は明日からでいいけど後で皆にも紹介するから。あぁ、伯爵の荷馬車に乗って来たことは見なかったことにするから、アンタも伯爵が荷馬車を操縦していたのは忘れるように」
どうやら正面口でのやり取りを使用人の誰かに見られていたらしい。
紹介状を受け取ったミラー夫人が厳めしい顔をして言うのを、神妙な顔で頷くエヴァ。こういう時は、黙っているのが得策なのだ。
荷物の確認に戻ったミラー夫人だったが、木箱の中を見て大声をあげた。
荷馬車を移動させようとしていた伯爵が驚いて振り返る。
「旦那様、買い出しをしてくださったことはとても感謝しております。でも私がお願いした店で買いませんでしたね?」
「え? 言われたところで買ったよ。多分」
ミラー夫人は小さく諦めたような溜息を吐いた。
「これをご覧くださいませ。混ぜ物がされております」
「えっ! 買う時に見せてもらったけどその時は何ともなかったのに」
「恐らく見本で見せた物と、実際荷馬車に乗せたものは別のものだったのでしょう。すり替えられたのです、仕方ありません」
がっくりと肩を落とすアルバートに、伯爵を怒るわけにもいかないミラー夫人。
本当は言いたくなかったのかもしれないが、自分が買ってきたものが料理に出てこなかったらアルバートが台所女中の食料の横領を疑うかもしれない。伝えるしかないのだ。
言いようのない空気が流れる中、エヴァの口から小さいが呆然としたような声がでてしまった。
「混ぜ物……」
そんなものを掴まされるなんて。
落ち込んでいる伯爵には悪いが、少しだけ呆れてしまった。
「アンタ、わかってると思うけどくれぐれも……」
「はい、わかっております」
伯爵が騙されただなんて外聞が悪すぎる。
エヴァは再び真面目な顔を作ると安心させるように頷いたのだった。