16.変装?
「でも今日は街に出てる使用人も多いです」
「そうだね」
「見つかったら困るのではないですか?」
「僕は困らないけど」
「え、嘘でしょう?」
どこに使用人と旦那様がデートして歩くというのだ。
こちらに越してきて数日が経つ。夜会等に出席をしていた伯爵の顔はそこそこに知られているはずだった。そのアルバートが街娘を連れて歩いていたら愛人を囲ったと言われるかもしれない。
男性のアルバートには何の傷もつかないかもしれない。でもエヴァは愛人というレッテルを貼られるのは嫌だった。
「そうか」
「そうです」
「じゃあ仕立て屋で何か買って着替えればいいのかい?」
伯爵に合うようなご令嬢の恰好をしようということだ。
エヴァの心臓が一瞬で跳ね上がる。
青空の下、美しい街並みをアルバートと腕を組んで並んで歩く。
とても素敵な時間になるだろうと思った。
帽子を被って日傘をさせば、何の気兼ねもなく歩けるだろう。
お金ならエヴァも持っている。
使用人だからと我慢しているオシャレも買い物もしたい放題だ!
エヴァは、頬を少し赤く染めて頷こうとした。
「あ! いい考えが浮かんだよ」
その時アルバートが声を上げた。
返事を返し損ねたエヴァは黙り込みアルバートの言葉を待つ。
「僕が着替えればいいんだよ」
「え?」
「ちょっと待っててくれるかい? 庭師から借りてくるよ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
良い考えが浮かんだと、楽しそうに走って行こうとしたアルバートのジャケットの裾を掴む。
アルバートはすっかり自分が変装する気満々のようだった。
「庭師さんとは体形が合わないと思います。たぶん。手も足も短くてつんつるてんになってしまいます……」
一瞬、以前エヴァと出会った時の荷馬車に乗っていた時の服ならと思ったが、あれだって貴族の従僕のような姿になっていた。
エヴァの顔を知る人が、一緒に歩いている従僕の恰好のアルバートを見ても騙されないだろう。
騙すならそれこそ庭師位思い切った恰好でなければ。
でもふと思う。
その恰好でそれにふさわしい行動をアルバートは取れるだろうか?
例えば庭師の恰好をした男性は、伯爵家の家紋入りの馬車には乗れないのだ。アルバートはうっかり華麗に馬に乗ってしまいそうだったし、支払いを「ツケで」なんて言ってしまいそうに見えた。
庭師は大きなコインも使わないし、ツケでなんてほとんど言わないだろう。
そんなことをしたらどれだけ目立ってしまうか。
最悪、警察を呼ばれてしまうかもしれない。
エヴァは諦めたような息を吐きだすと言った。
「街中はやめましょう」
結局ふたりは、街中を避けて海辺へ来ていた。
少し時間がかかったけれど、のんびりとたわいもないことを話しながら歩くのは楽しいものだった。
「風が強いですね」
「海辺だからね」
「不思議です、海の匂いって違うんですね」
アルバートは驚いたように目を見張った。
「そうなのかい? 僕は軍でいろいろ回ったけれど、内陸だったから海はここしか知らないんだ」
「私は母国から海を渡って、いくつか巡ってこちらに来ましたから。でもなんて言葉で表現したらいいのかわかりません」
「自分で体験してみないとわからないってことだね」
「ふふっ、そうですね」
エヴァは髪を抑えてアルバートを振り返った。
思いがけず、近くにアルバートの顔があり驚く。
アルバートはエヴァの顔にかかっている髪の毛を、耳へとかける。
エヴァの左手をアルバートの右手が包み込んだ。
視線が交わる。
「じゃあいつか僕が海のある街に行く事があったら、君の言葉を思い出すよ」
「ええ、きっと……」
呟きながらエヴァはふとアルバートの薄い唇に、自分の唇を押し付けたい衝動に駆られた。
押し付けて、それから互いの吐息を交わしあう。
きっとアルバートは驚くだろう。
顔を真っ赤にさせてたじろぐかもしれない。
でも一瞬だけでも彼の頭の中を自分でいっぱいにしたくなったのだ。
エヴァは自然と潤む瞳をごまかすように、何度も瞬くと顔をそむけた。
見つめあっていると、エヴァの妄想まで見透かされていそうに思えたのだった。
「じゃあそろそろ戻ろうか」
アルバートはエヴァから離した手をぎゅっと握ると、ぽつりと呟いた。
「ええ。また来れるかしら?」
「もちろん、君が望むなら」