10.縋る
「違うか、母上が死者に縋り付いているんだ」
何と言えばいいのかわからず、エヴァはただアルバートを見つめる。
アルバートは遠くを見つめていたが、徐に口を開いた。
「父の名前はジェイダンって言うんだ」
「では、エリオットというのは……」
「僕の兄だよ」
にっこりと、でも辛そうに微笑んだ。
「お兄様……」
「僕は次男でね。大学を卒業した頃、兄が爵位を継いだんだ。僕の方は興味もなかったんだけれど伝手があったから、陸軍の軍人になってたんだよ。似合わないだろ?」
「制服はお似合いになっていたと思いますよ?」
「見てくれは様になっていたかもね」
くすっと笑うアルバートに、エヴァの心臓が先ほどの飛び跳ねるような音とは違う穏やかな音を奏でる。
「でもね、本当に向いてなかったんだ。ただ腐っても伯爵家だったからさ、どんどん階級だけは上がってったわけだよ。困ったことにね」
「困るのですか?」
「そうだね。僕より功績を上げていた人達や先輩を尻目に、僕が出世するんだよ。幸いにも戦争はなかったけれど、武器を扱うのも向いてなかったしね」
「旦那様はお優しい方ですから」
「ありがとう。でも、まぁ、それで本当に向いてないから兄に頼んで何か他の……、役人か神父にでもなれないかと相談させてもらおうと思ってたんだ」
自嘲気味に言った後、言葉を途切れさせるアルバート。エヴァは沈黙して先を待った。
「休みをもらって屋敷に向かっている道中だった。早馬が宿に飛び込んできてね。あ、兄の、訃報の知らせだった」
ヒュッと大きく息を吸う音が聞こえてきた。
少しだけ声が震えていた。
エヴァはアルバートの背に手を当てるとゆっくりとさする。
膝に乗せていたお菓子が地面に落ちた音がしたが、気にならなかった。
アルバートは腿の上に肘を置き、祈るように両手を組んだ拳の上に額を押し付けていた。
視線は地面をむいているようで、黒い髪の毛が顔にかかって表情をうかがい知ることはできなかった。
「僕は兄の代わりに急遽爵位を継ぐことになった。母上はしばらく抜け殻のようだったよ。数年の間に夫だけじゃなくて、息子まで失ったんだから当然か……」
「……奥様のご心痛いかばかりかと存じます。ですがお二人を亡くされたのは、旦那様とお嬢様も一緒ですわ。お二人の心も心配です」
アルバートはしばらくされるがままだったけれど、呼吸を整えるとエヴァの手を背中から外した。
そして外した手をそのまま優しく握りしめた。
「ありがとう」
その少しだけ潤んだ瞳にからめとられて、エヴァは視線を外すことができなかった。
エヴァはオーロラがピアノの練習に行っている間に、クローゼットのドレスや靴の確認をしていた。
ほつれや汚れがないか、簡単なほつれなら縫うことも出来るけれど大きな穴が開いているようだったら仕立て屋に出すしかない。
それとは別に新しいドレスも必要かもしれない。身長が伸び盛りだから。
靴もすぐに大きくなる時期なので、小さくなったものは間違って選ばないようにしなければ。
靴を手に持ちながら、そういえばとエヴァはアルバートの婚活の事を思い出していた。
アルバートはまだ若く、女性でもないので結婚に焦る時期でもない。
それなのにエブリンに求婚をしようとしていた。
――求婚。
その言葉に、エヴァの心が暗くなる。
――アルバートの好きなタイプってエブリンみたいな女性なのかしら……。
思考の渦に、とらわれそうになったところでハッと気付くと、頭を振って仕事の続きに取り掛かる。
ドレスのリボンを裏返したところで手が止まった。
――つまり、ええっと。お金が必要でエブリンと結婚したかったのかと思ってたけど、特にこのお屋敷が困窮しているようには見えないのよね。使用人の数は少ないとは思うけれど……。でもこの田舎じゃ人も集まらないでしょう。特に男性は。あら? お金目的でエブリンと結婚したかったのなら、エブリンは好みじゃなかったってことかしら? でもお金に困ってないのに求婚しているのなら、やっぱりエブリンが好みってこと?
考えていると段々わからなくなってきた。
「どっちなのよ」
ひとりきりのクローゼットの中で呟く。
なんだかとってもモヤモヤするのだ。
エヴァはひとつ息を吐きだすと、オーロラの小さくなった服を持ってクローゼットから出た。古いものは空き部屋にしまっておくのだ。
すると時間よりも早くピアノのレッスンを終えたオーロラが、椅子に座って絵をかいていた。
エヴァを見るとにこっと笑顔を見せる。
「あら? エヴァったら美人が台無しの顔をしてるわよ!」
「お嬢様ったらどこでそんな軟派な殿方のようなお言葉を学ぶんですか?」
「えぇー? エヴァがいつも私に言ってるじゃない」
エヴァはそうだったかしら? と首をひねったのだった。