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1.馬車に乗り遅れる

「どうして乗合馬車が時間通りに出発するの⁉」

 

 長い蒸気機関車の旅を終えて、次の街へ向かう乗合馬車を探していたエヴァは時刻表を見て絶望の表情を浮かべた。


 蜂蜜を煮詰めたような濃い金色の髪の毛と、それと同じ色の長いまつげが大きな瞳に影を作る。

 白い頬をうっすらとピンクに染めているのは、興奮からだ。主に怒りでだけれど。

 

 傷のない華奢な手が取りだしたのは小型の懐中時計。

 それと時刻表を何度も見比べて唸る。

 時刻表が正しければ、今日はもうエヴァが行きたい街まで行く乗合馬車はなかった。

 

「機関車が遅れて駅に着いたのだから、乗合馬車だって出発を遅らせてくれてもいいのではないかしら……」


 誰に聞かせるともなく恨み言が口からこぼれる。

 諦めの溜息を吐いてから他の馬車を探したが、馬車乗り場には他にも馬車を探す人がちらほらといるだけだった。

 馬車さえあればなんとかなるのに。

 操縦だってできるし、子爵夫人になった姉のエミリーからたっぷりお小遣いを渡されている。やろうと思えば馬車だって買い取れるお金も持っているのに、肝心の馬車がない。


 エヴァはトランクとは別に持っていた小さなポーチから地図を取り出した。

 出発前に姉の夫であるロックバーグ子爵に書いてもらったものだ。


「駅がここよね。街がここだから……それならそんなに遠くなさそうかしら?」


 まだ陽も高いし、宿屋を探す時間でもないだろう。

 そう思い、エヴァはトランクをよいしょと持ち上げると街へ向かって歩き出した。


 意気揚々と歩き出したエヴァだったけれど、太陽が西に傾き始めると流石に不安になってきた。

 道の両側には草原がずっと広がるばかり。

 書いてもらった地図ではもう着いても良い頃合いなのに。


「もしかしてこの地図間違っているの?」

 

 トランクを地面に置いてその上に座ると、再び地図を取り出して考え込む。

 駅のある街はもうはるか遠くになってしまった。おいそれとは戻れない。でも女性の一人旅だし、せめて明るいうちに街へ着きたかった。

 

 歩き続けた足もすっかりと疲れてしまい、エヴァは束の間足を開放させるためにブーツを脱いだ。

 手持ち無沙汰にブーツの中に入った小石を取り除いていると、エヴァの歩いてきた道の向こうから荷馬車がガタガタと土埃を上げて走ってきたのが見えた。


 ──もしかして街まで乗せてもらえるかもしれないわ


 エヴァは急いで靴を履くと、立ち上がった。

 程なくして荷馬車はエヴァの前に停車する。


「もうすぐ陽が落ちるけど、どこまで行くの? 一番近くはチェルトベリーの町だけどそこまで行くのかい?」


 荷馬車を運転していた人の良さそうな男が、運転席から身を乗り出してエヴァに尋ねる。

 人相は悪くなく、全体的に清潔感がある。洋服はシンプルだけれど質の良さそうなものを着ているのでお金にも困っていなさそうだった。

 もしかしたら城で使用人として働いているのかもしれない。

 

 エヴァはサッと一瞬で彼の容貌や服装を確認すると、疲れたような笑顔を作ってみせた。

 町娘のような話し方を意識する。

 

「ええ、そうなの。駅から歩いてきたのだけどもうすっかり疲れちゃって」


 そこでエヴァは帽子を少し持ち上げ、上目遣いで小首を傾げる。


「ねぇ、良ければ街まで乗せてもらえない……かしら?」


 男はにこにこと人好きのしそうな笑顔を浮かべてこたえた。


「いいよ。駅から歩いてきたなら疲れただろう。ちょっと狭いけど僕の隣にどうぞ。トランクは後ろに荷物と一緒に置くといいよ」

「恐れ入……じゃなくて、ありがとう」


 エヴァは差し出された男の手を掴むと、隣に乗り込んだ。


 黄金色の麦畑を横目に荷馬車がガタガタと進む。

 荷馬車には街で買ってきただろう物資がたっぷりと積まれていた。


「私はエヴァ・ガ……エヴァよ。もう本当に疲れてて、あなたが通りかかってくれて助かったわ」

「アルバートだ。まさか歩いてチェルトベリーまで行こうとしているお嬢さんがいるなんてびっくりしたよ。どうして馬車を使わなかったの?」

「蒸気機関車が遅れて乗合馬車に乗り遅れたの。他に送ってもらえそうな馬車もないようだったし、もらった地図だと街まですぐそこのように見えたの」

「それは災難だったね」


 落ち着いた穏やかな声だった。

 でも暗すぎず、耳心地の良い声だと思った。

 エヴァはアルバートを振り返った。

 馬車に乗る前まではこの男性が、たちの悪い男の類ではないかしか気にしていなかったが、よく見るとなかなかに美男子の部類だとエヴァは思った。

 年齢は多分、20代半ば。すっと通った鼻筋に、緑がかったヘーゼル色の美しい瞳。帽子から出ている黒い髪の毛は太陽の光を反射して艶々と輝いていた。シャツも手綱を握る手も綺麗だから、もしかしたら本当にお城の使用人かもしれない。


 これからエヴァが使用人として働く予定のお城の。


「ねぇ、アルバートはもしかしてお城で働いてるの?」


 もしもそうならどんな人たちがいるのかや、使用人の扱いはどうなのかを教えてほしい。

 ロックバーグ子爵から聞いた情報では、伯爵と奥様とお嬢様がいるとのことだったけれど、人使いは荒い? 癇癪持ちだったりする? それとも使用人にも心を砕いてくれるような人だろうか?

 そんな期待を込めてエヴァはアルバートを見つめる。


「んん? 城なんて立派なもんじゃないよ。少し大きいだけのただの屋敷さ」

「あら、そうなの?」

「丘の上にあるからもうすぐ見えるよ」


 聞きたいのはそこじゃないのだが、アルバートが指を差した方向を見ると本当に薄っすらと赤みがかった空の下、草原の中にどっしりと構える城が見えた。

 そこからさらに少し離れた場所に、たくさんの家の屋根がぽつぽつと並んでいる。

 エヴァには十分城に見えたが、地元のアルバートがそう言うならちょっと大きい屋敷の部類なのだろう……。


 アルバートは二股の分かれ道で荷馬車を止めるとエヴァを振り返った。


「町はあそこだよ。本当は送ってあげたいんだけど、僕はこれから屋敷に荷物を持って行かなきゃいけなくて」

「よかった! 私も屋敷に行きたいの。よければこのまま乗せてもらいたいわ」

 

 申し訳なさそうに眉を下げたが、エヴァの言葉を聞いて驚いたような表情になった。


「屋敷まで行くの? じゃあお客様だったのか。気が付かなかったなぁ」


 再び馬を歩かせ始めると、アルバートは楽しそうに笑った。


「お客様じゃないわ。あそこで働くのよ」

「へっ? じゃあロックバーグ子爵の紹介で来る人ってエヴァだったのか?」

「そうよ。やだ、もう屋敷の使用人達も知ってるの?」


 いつ来るかもわからないエヴァのことが使用人達に既に周知されているだなんて、待ち望まれているとしても怖すぎる。

 もしかして人手不足?

 そんな困惑した雰囲気を感じ取ったのだろう、アルバートは慌てて手を振って否定した。


「まさか! 皆はまだ知らないよ。僕は子爵から手紙を貰ってたからね。いつ来るかはわからなかったからびっくりしたよ。でも僕がちょうど通りかかってよかったね」

「え、ええと? そうね、通りかかったのは助かったわ……?」


 エヴァはそう言うと口を閉じた。

 子爵から直接手紙をもらった? アルバートが?

 一介の使用人に子爵が手紙を送るわけがない。

 それってつまり……。

 サーッと血の気が引いていくのを感じた。


 ちょうど良く屋敷の前に荷馬車が止まる。

 軽やかに御者台から降りたアルバートがエヴァに向かって手を差し出した。

 条件反射でその手を取り馬車から降りて気が付く。

 まるで貴公子が令嬢にするような仕草ではないか!


 エヴァは自分の声が震えるのを感じた。


「ア、アルバート、あなた……。もしかして伯爵なの⁉」

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