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童話、昔話風のお話

山鬼と貴人

作者: 久藤ナツメ

民話『赤神と黒神』を下敷きにしたお話です。元のお話とは舞台も結末も異なります。

 山鬼と貴人が勝負するというので、朝から山に住む物の怪たちが大騒ぎをしている。


 山鬼といえば、八尺を悠に超える力自慢の化け物だ。毛むくじゃらの体に毛皮をぐるぐると巻き付けて、目はギラギラと光っている。山でうっかり出くわした者は、皆、腰を抜かして逃げ出した。


 対する貴人は、都からやってきた人の子で、すらりと細身の優男。力ではそこらの小鬼にすら勝てないが、代わりに貴人は笛の名手だった。氷細工のように儚げな唇が触れた笛からは、物の怪たちもうっとりするほど、美しい音色が流れ出す。


 どうしてこんな二人が勝負をするかといえば、同じ美しい娘に恋をしたからだ。


 里に住むその娘は、美しいだけでなく、気立も良くて優しかった。


 ある日、たまたま山の中で出会った山鬼にも恐れることはなく、あっという間に打ち解けた。山鬼は木の実や山菜の取れる場所を教えてやり、娘は料理を振る舞った。山を好み、物静かで優しい娘のことを、山鬼はすっかり好きになった。


 貴人は都からやってきて、領地を見て回った時に娘を見初めた。話をしてみれば、知識も豊富で物怖じもしない。笛の音を聞かせてみれば、歌を合わせてくれて、それは何よりも美しい時間であった。頭が良くて優美を理解する娘に、貴人はすっかり夢中になった。



 山鬼は、娘の帰り際にいつも聞いた。


「明日も山菜取りに来るか?」

「いいえ、明日はお館様のところへ行くの」

「またあいつのところか」

「そんなふうに言わないで。あなたもお館様も、私にとっては大事な友人なのですから」



 貴人も、娘の帰り際にいつも聞いた。


「明日も歌いに来れるかい?」

「いいえ、明日は山鬼のところへ行くの」

「またあいつのところか」

「そんなふうに言わないで。お館様も山鬼も、私にとっては大事な友人なのですから」



 山鬼と貴人は互いに相手を疎ましく思うようになり、いよいよ娘を賭けて勝負することになった、というわけだ。



 一つ目の勝負は、笛勝負。山の物の怪たちが審判だ。やんやと野次を飛ばしたり、声援を送ったりとお祭り騒ぎ。もちろん山鬼は笛など吹けず、あっという間に負けてしまった。


 二つ目の勝負は、力の勝負。こちらの勝負もあっけなかった。人の子が山鬼に勝てるはずもない。貴人は大怪我をしてしまい、命からがら山を降りた。


 本当は、三つ目の勝負もあったのだ。三つ目の勝負は、運勝負。くじを引くことになっていた。けれど、貴人は大怪我をして帰ってしまい、勝負を棄権してしまった。


 一勝一敗、不戦勝が一つ。

 勝負は、山鬼の勝ちになった。


 これで娘は自分一人のものだと、山鬼は嬉しくてたまらなかった。

 次に娘がやってきたら、そのまま山で一緒に暮らそうと考えた。


 山鬼は心を踊らせ、たくさん贈り物を用意して、娘が来るのを待っていた。

 けれども、娘はなかなか山へ来なかった。


 住処(すみか)の掃除も隅から隅まで済ませたし、毛皮や着物もたくさん用意した。

 けれども、十日たっても、娘は来なかった。


 いつ来てもいいように、食事も毎日二人分用意した。

 けれども、ひと月たっても、娘は来なかった。



 待ちくたびれてしばらくたったある日のこと、里に降りた物の怪の一人が教えてくれた。

 娘は大怪我をした貴人を心配して、毎日館へ通っているという。

 それを聞いて、娘はもう山には来ないと山鬼は悟った。娘は貴人を選んだのだ。


 山鬼は、用意していた贈り物を眺めては、毎日さめざめと泣いて暮らした。


 そうして季節が一つ変わったある日、突然、娘が山へとやってきた。

 山鬼はどんな顔をしていいかわからず、こっそり隠れて見ていようと思ったが、大きな体はすぐに娘に見つかった。


 娘は、山鬼が貴人にひどい怪我を負わせたことに腹を立てていた。穏やかで優しい娘が初めて見せる剣幕に、山鬼は驚いた。


「あなたの力は、そんなことのために使うって言うの?」

「そう、思っていた」

「本当に馬鹿ね。二度としないと約束してちょうだい」

「わかった。悪かった。もうしない」


 しょげかえった山鬼がそう言うと、娘はようやく落ち着いて、しばらく来なかった間のことを話し始めた。


 貴人の怪我はたいそう重く、今になってようやく癒えてきたのだという。それを聞いて山鬼も申し訳ないと素直に思った。いけすかない恋敵ではあったが、そこまでひどい目に遭わせるつもりもなかった。謝りたいと言うと、娘は頷いた。


「私、貴人から求婚されたの。一緒に都に来てくれと言われたわ」


 山鬼は、ああ、やはりそうかと覚悟した。胸はひどく痛んだが、都に行けばきっと娘は裕福になり、幸せに暮らせるだろう。そもそも人にひどい怪我を負わせるような野蛮な山鬼の嫁に来るなど、一体どうして思えたのか。きれいに整えたはずの山の住処は、最近手入れもしておらず、一段と見すぼらしく思えて山鬼は悲しくなった。


 そうか、と山鬼が呟くと、娘はまた少し怒ったような口調になった。


「止めないの?」

「お前が選ぶなら、それでいい」

「あなたが勝ったのに?」


 山鬼は驚いた。勝負のことを知っているとは思わなかったのだ。


「そうだが、オレたちが勝手にやったことだ」

「笛の勝負もしたんでしょう?」

「あの男が話したのか」

「いいえ。お館様は勝負のことなど何も話さなかった。ちゃんと互いの得意で勝負したことも、お館様が最後の勝負を棄権して負けたことも。ただ、あなたにひどい目に遭わされたと言っただけ。だから私はあなたに腹を立てたし、とても恐ろしくなった。それで二度と会わないって思ったの。だけど、山から降りてきた物の怪たちが、勝負の話をしてくれて、ようやく全部知れたのよ」


 山鬼はなんと言っていいかわからずに、おろおろと黙っていた。娘は話を続ける。


「あなたたちは私を放って勝手に勝負した。お館様は嘘を()いたし、あなたは人に大怪我させた。どちらも許せなかったけど、それまであなたたちと過ごした時間はやっぱりとても大事だった。だから、会いにきたの。あなたが何と言うか、知りたくて」

「オレが? 何が知りたい?」


 そこで初めて、娘は以前のようににこりと笑った。


「もう答えは聞いたわ。あなたは謝ってくれたし、二度としないと約束してくれたでしょう。だから、もういいの。あとはお館様に謝りに行きましょう」


 娘の言葉を聞いて、山鬼はホッとしたのか大声で泣き出した。すまなかった、と何度もしゃくり上げながら繰り返した。娘は小鬼のように泣きじゃくる大きな山鬼の背に手を回し、そっと静かに抱きしめた。


 娘は貴人にも同じように尋ねていた。正々堂々の勝負を隠したことを問い詰めると、貴人は君のためを思って、と言ったのだ。隠し事は二度としないでと詰め寄れば、その約束はできない、君のためだからと繰り返した。


 貴人はある意味、正直だった。できない約束はできないと、そう言ったのだから。それは娘にもわかっていた。



 娘は泣いている山鬼を抱きしめながら、理屈じゃなくて、自分は山鬼のことをいつの間にか好いていたんだとぼんやり思う。理屈をつけていたのは、山へ来ない理由の方だ。人を傷つけた山鬼のことを、娘はとても残念に思い、とても怒っていた。


 だけど何不自由ない館にいても、娘の心は曇っていった。思い出すのは山鬼と過ごした日々のことばかり。山鬼と山菜採りをしたり、互いの料理自慢をしたり、野草の花冠をもらったり。そんな些細なことがもうできないと思う度、さみしくて悲しくてたまらなかった。


 目の前に、山鬼のせいでひどい怪我をした友人がいるというのに、思い出すのは山鬼と過ごした楽しい日々ばかり。自分はなんて酷いのだろうと娘は度々落ち込んだ。


 そんな時、山から降りてきた物の怪たちに、二人の勝負の話を聞いて、娘はいてもたってもいられなくなった。貴人を問い詰め、なにと分からぬ気持ちのままに、館を飛び出し山へ来た。


 もしもこれを最後に山鬼と二度と会わなくなるとしても、別れの言葉を自分で告げねば未練が残る。娘は意を決して山を登った。どうするつもりか、決めてなかった。山鬼を許すかどうかではない。許すとすれば、それは怪我をした貴人だけ。本当は、ただ会いたかったのかもしれないと、娘は自分に少しあきれてしまう。


 山鬼も貴人も、二人とも気の良い友人だった。けれども、飾り気のない山鬼の方に、娘の心は惹かれたのだろう。それに、きっと都での暮らしは窮屈だ。華やかで快適かもしれないが、娘は山の中にいたかった。


 娘は山鬼と夫婦になった。



◆  ◆  ◆  ◆  ◆



 しばらくして都へ帰った貴人に、不思議な噂が立った。


 貴人は山で出会った山鬼に力比べを挑み、大怪我をしたものの、なんと勝利して生きて帰ってきたらしい。


 さらに貴人が披露した笛の腕前に惚れ込んだ山鬼は、後日、見舞いの品をたくさん抱えて訪ねてきたという。それから山鬼と貴人は良き友人になった、と言う話だ。


 新月の夜には、山鬼が連れ合いと共に都へやってきて、貴人の屋敷を訪れるという噂もある。大きな影が小さな影を背負って屋敷の壁を飛び越えるのを見た、という者が何人もいた。貴人の屋敷から美しい笛と、誰とも知らぬ美しい女の歌声が響くのを聞いたという者もいる。いやいや、大きなガラガラとした笑い声を聞いた、あれはきっと山鬼の笑い声に違いないと言う者もいる。


 いずれの噂も、真偽は定かでない。貴人は優雅に微笑むだけで、否定も肯定もしなかった。ただ事実として、貴人は都一番の笛の名手であり、体には優男に似合わぬ大きな傷がいくつも残っている。


 都の人々は山鬼との勝負はきっと本当に違いないと囁き合い、山鬼を友とする豪胆な貴人に畏敬の念を抱いた。そして、わざわざ山を下りて笛を聞きに来るという山鬼の夫婦のことは、あまり恐ろしくないなと思うのだった。


最後までお読みいただきありがとうございました。


このお話には後書きを書いたのですが、蛇足と感じる方もいらっしゃるかと思いますので、あとで活動報告に記すことにします。裏話的なものに興味のある方はどうぞお越しください。

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