72.目覚める人
(目覚める人)
昨夜の騒ぎのすぐ後というのに、予定通りに朝五時に起床になった。
妙子は、まだ熟睡していた。
「大変よ。朋子ちゃんがいないわよっ!」
幸恵が、妙子を揺すり起こした。
「えー、朋子ちゃん……」
妙子は、昨日の夜のことが頭に蘇った。
朋子は妙子の母親に代わって、ヘリに乗って付き添って行ってしまったのだ。
「大変だっ!」
一難去ってまた一難、妙子は幸恵を跳ね除けて、えらい事になったと思った。
山で人が一人いなくなれば遭難だ。
捜索隊が出て大騒ぎになると直感した。
「先手を打たなければ……」
妙子は、幸恵の手を取って……
「一緒に来てっ!」
二人が向った先は担任の部屋だった。
「先生、朋子ちゃんがいないんです。自衛隊のヘリで達也君について行ったかもしれないので、病院に確かめてください!」
「……、そうか? ヘリに乗った様子はなかったと思ったけどな。達也の様態も含めて、電話しておく。お前たちは、荷物をまとめて出立の準備だっ!」
「あ、それと朋子ちゃんは、本名だとまずいので、普通はわたしの家の者として、湯川で名乗るようにしてますから、湯川で訊いてみてください」
妙子の策略は、母親が多分湯川と名乗ることを想像して、今は医師の湯川朋子と山では中学生だった小柴朋子の名字を変えることによって、同一人物にしようと思った。
電話では年齢差は見えない。
そして、昨日の夜の混乱状態では、突如現われた女医師が湯川朋子だと確認したものはいないと考えた。
妙子たちが朝食を採っていると担任が昨日の達也のことと、朋子が付き添って病院に行ったことを話した。
「達也は大丈夫……」
クラスの中から喜びの歓声が上がった。
「今朝、電話したところ。意識もしっかりしていて、順調に快復に向っているそうだ」
妙子の考えは見事に的中した。
「朋子ちゃんって偉いわね。あんな状況の中で達也君に付き添っていくなんて……。達也君のこと好きなのかしら」
幸恵が感心するように言った。
「そういえば、朋子ちゃんって普通とちがってたわよね」
理恵子も感心した。
「それだけ修羅場をくぐってきたのよ」
小夜子もそのあとに続いた。
「そうかなー、ただ歩くのがいやなだけじゃないの……」
妙子が笑った。
「そうよね。ヘリで降りたのよねー」
理恵子が言った。
「しまった! わたしもついていけば良かったー」
小夜子は悔しがった。
それぞれ大事がないことに、ひとまず安堵した様子だった。
下山は、登りよりもはるかに楽だった。
登りの時は恨めしく見えた遠くのきりっ立った山々が、今は名残惜しく見えた。
帰りは、登山を頑張った生徒を慰労するためか、ドライブインを兼ねた、豪華レストランで地元産の牛肉を使ったステーキ弁当が出された。
その肉のとろけるような美味しさに、山の疲れが吹き飛ぶ思いがした。
妙子たちが肉の美味しさに舌鼓を打っているころ、妙子は担任に呼ばれ、レストランの隅に招かれた。
「朋子君が今朝から見当たらないそうだ。深夜二時ごろまでは、病室で達也を見ていたと看護士の人が見ているんだが、それから見当たらなくなった。もしかしたら、妙子のところに連絡があるかも知れんが……」
「いなくなちゃったんですか?」
「まだ、そうとは決まったわけじゃないが……。でも、この辺で朋子君の知り合いか何かいるのか?」
「そこまでは、訊いていませんが……。いなくなったときの連絡先は聞いています。電話してみてもいいですか……?」
「あ、あーあ、頼む……」
妙子は、前に祖父に言われたことを実行した。
「おじいちゃん。朋子ちゃんが修学旅行の途中でいなくなっちゃった……」
「うん、わかっている……」
「知ってるの……?」
「先生、いるか?」
「ちょっとまって……」
妙子は、担任のところに走った。
「担任ですが……」
「先生、申し訳ない。ご迷惑を掛けています。私が朋子の父親です。事情は話せませんが、朋子は大丈夫です。私の元に帰ってくるはずですから、探さないでください」
「事情は訊いています。それを訊けばこちらも安心しました。またいつでも学校に来るようにお伝えください。クラスの子供たちも待っていますから……」
担任は携帯電話を妙子に返した。
「おじいちゃん……」
妙子は、今にも泣き出しそうな自分を抑えて、喉の奥から声を搾り出した。
「妙子、ありがとうよ。お前もよく知っていると思うが、朋子はこの時代の者じゃない。朋子は元の世界に帰ったんじゃよ」
「うん……」
妙子は小さく頷いた。
「妙子には寂しい思いをさせてしまうが、嬉しいこともあるぞ。朋子が帰ったせいかどうかはわからないが、こっちの朋子が目を覚ましたそうだ。朝方、紗恵子から電話があった。わしらも仕事が終りしだいそっちに行くつもりだ……」
「ほんと……、よかった……」
妙子は、母親が目覚めたと聞いても驚かなかった。
多分、そうなることは昨日、山小屋で母朋子と再会したときから、なんとなく感じていたことだった。
妙子が電話を切ると、また涙がこぼれ落ちた。
妙子は、涙をぬぐうと心配そうにこちらを見ている良一に気がついた。
しかし、良一は何も言わなかったが、妙子の思っていることは、良一にもわかっていた。




