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69.アルプスのホテル

(アルプスのホテル)


 修学旅行の日程は、初日に限って、高原の豪華リゾートホテルに宿泊できるが、翌日は朝五時に起こされ、登山口までバスで運ばれる。


 そこからは、延々と続く登山道を五時間あまりかけて山頂を目指す。

 そして山頂の山小屋で二泊目となる。


 三日目はやはり朝五時起きで下山、そしてバスに押し込められ、学校に着く。

 例年だと帰路にいたっては疲労困憊のため、みな暴睡状態で、気が付くと学校の前だったというのも珍しくなかった。


 妙子たちは、その豪華リゾートホテルに来ていた。

 緑の高原の広々としたなかに赤い屋根と木の梁を模った北欧のチロリアンロッジ風の建物があった。

 その背景の緑と赤い屋根、幾何学模様の黒い梁と色彩豊かなパッチワークのような景色が生徒たちを、つかの間のおとぎ話の世界へと招いているようだった。


「アルプスの少女ハイジが出てくるみたい」

と言ったのは妙子だった。


「ハイジはこんな豪華なホテルには出てこないわよ」

と言ったのは幸恵だった。


「じゃあ、クララだ」

「クララはフランクフルトでしょう」


 まだハイジの話から抜け出せない二人だった。


付け加えていえば、

「わたしのおじいちゃんの牧場よりは広いわね」

と言ったのは朋子だった。


 夕食までの間は自由時間となっていて、グループごとに行動し、夕食までにお風呂と着替えを済ませれば、後は自由に過ごせた。


 高原は今、新緑の季節を迎えていた。


 薄み緑色の草原の中、所々に黄色や白のユリ科の高山植物の花が咲き乱れ、遠くにはとがった山々が、まだ残雪を残してそびえ立っていた。


 妙子たちは部屋に荷物を置くと早速、高原の散歩道に出てきたが、まだ空気が冷たく、せっかくの恋人たちの小道も、身を寄せ合って温め合う相手がいないためか、しばらくして身を震わせながら帰ってきた。


 ロビーを突き抜けた反対側のテラスに、良一が一人草原を眺めて座っていた。


「何にボーっとしてるのよ」


 妙子たちもやってきて、良一と同じテーブルの椅子に座った。


 良一とクラスの関係は相変わらず冷めたものだったが、幸恵を含めた妙子たち仲良しグループだけは、あの集中二十時間テスト勉強以来、親しく話すようになった。


「妙ちゃんとのラブシーンを思い出して……」


 何気なく飛び出した朋子の言葉に、妙子は慌てて口を押さえて朋子を抱え込んだ。


「そんなこと言っちゃ駄目でしょう……」

 耳元で声を殺して言い聞かせる妙子だった。


「一人なの? 達也君は……」

 妙子はすかさずこの状態をごまかそうと、良一に話しかけた。


「何か、バスに酔ったのか。風邪なのかわからないけど気持ち悪いとかで、寝ているよ」


「珍しいわね。あのお調子者が」

 小夜子が言った。


「でも、具合が悪かったら、登山なしで、ここに残れるんでしょう」

 幸恵の思いやりの言葉。


「それは無いな。死んでも行くんじゃないの。幸恵ちゃんとの修学旅行だから」

 理恵子が冷やかした。


「わたしも山登りよりもホテルのほうがいいな。だいたい男子はともかく、こんなかよわい乙女に山登りだなんて、何考えているのかうちの校長は……」と、聡子が言った。


「あたしは、行きたいな。山の頂上。夜に満天の星空が見えるって言うから」と、妙子が言った。


 妙子の夢見がちの顔をよそに、聡子が続けた。

「妙子はいいわよ。図太いから……」


「何よー! 図太いって……」と、妙子の怒り。


「もう、二人とも……」

 いつものように幸恵が止めに入った。


「でも、明日は雨かもしれないよ」

 良一の天気予報が始まった。


「何で?」と、妙子が顔色を変えて語気強く迫った。


 しかし、理恵子も聡子も一瞬笑顔になった。


「台風が進路を変えそうだから」


「うそ、……」


「本当、じゃあ、台風のため登山中止ってこともあるわよねー!」

 聡子の弾むような声。


「さあ、どうかな。来たとしても明後日の夜か、その明け方だよ。それに弱い台風だから山頂には影響ないかもしれないし、でも星は無理じゃないかな。雨さえ降らなければ登るに楽なんだけど……」


「濃霧になっても辛いわね……」

 幸恵の落ち着いた様子は良一に似ている。


「きっと雲海が綺麗だよー!」

 良一の楽しみは雲海だった。


 満天の星は高原のホスピスにいたとき、数え切れないほど母と見ていた。

 しかし、母が良くなったら一緒に見に行こう、と言っていた雲海は、母の死と共に消えてしまった。


 良一は母の話しを思い出していた。


「山の周りが雲の海で囲まれるの。ずうっと遠く水平線まで雲の海なのよ。それでね、近くの山の峰々なんかがね、島のように見えるんだって、山の上にいることを忘れてしまい。海岸にいるような気持ちになるってコーちゃんが行っていたの。私が良くなって、ここを退院するとき、コーちゃんが帰りに雲海見に連れて行ってくれるって約束してくれたのよ。私、ボーっと雲海を一日中眺めていたいな。お気に入りのカップを一つだけ持って行ってね、紅茶とチーズケーキを食べるのよ……」


 雲海を見せてあげたかった。良一も母も実物の雲海を見たことがなかった。


 幸か不幸か、この登山で連れて行ってくれるのなら、母の分まで是非見たいと良一は思っていた。










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