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68.信じること

(信じること)


 妙子は自分の部屋にいた。


 ベッドに上がりこんで座り、両手を前について俯きながら、怒りとも欲情ともつかない複雑な気持ちで、身動き一つ出来ずにいた。


「どうしたの……?」


 朋子が入ってきて、近くにある勉強机の椅子を引っ張り出すと、背もたれを前にして馬乗りになり、妙子の前に出た。


「良一に抱かれて何か感じた?」


「ちょっとね。胸がドキドキした……」


 うつろな眼差しは朋子を見ずに、ただベッドの布団を意味なく眺めているようだった。


「よかったじゃない。ドキドキ胸ときめいて。もし、周りに誰もいなかったらキスまでいったかもね!」


 朋子にとって、なぜ妙子が沈み込んでいるのかわからなかった。


「キス……? そんなんじゃないわよ。あいつわたしを抱いて何ていったと思う?」

 ようやく妙子の顔が上がり朋子を見た。


「何ていったの?」


「もっとご飯食べなきゃだめだよって言ったのよ!」


 朋子は思わず噴出して笑った。


「なにそれ……、プロポーズの言葉?」


「違うわよっ! きっと思ったより胸が小さかったから、ご飯食べないと大きくならないとでも言いたかったのよ!」


 妙子はさっきの興奮が蘇ったように熱演して、手で小さな胸を掴んで見せた。


「そうね。それは、いえているかもしれないけど……」


 朋子の笑いは収まらなかった。


「きっとお姉ちゃんの胸と比べて小さかったから言ったのよー! やっぱ、昨日二人は抱きあっていたのよー!」


「でも、何もしなかった証拠に妙ちゃんを抱きしめたじゃないの?」


「朋子ちゃん、あんなので信じちゃ駄目よっ! 男なんて二枚舌三枚舌の持ち主なんだから。嘘を隠すためなら針の山でも抱きしめるから……」


 それを聞いて朋子はまた大笑いした。


「そうかも知れないけど、あの時の良一の真剣な態度は本当っぽかったけど……。妙ちゃんならわかるんじゃないの? 付き合い長いんでしょう」


 朋子に言われるまでもなく、そのことが妙子の気持ちをより複雑にして憂鬱にしていた。


「そんなに長くないよ。二ヶ月くらい前に転がり込んできたばかりだから……。でも、でも小さいときも、しばらく一緒に生活していたけど、その時は、良一を疑ったことなかったな……」


 妙子は、また目線を落として沈んだ顔で自分の心を覗いていた。


「どうして……?」


「疑うよりも何も、何でも言うことを利いてくれて、いつも側にいて……。違うわ……、あたしが言う前に良一はいつもあたしのために動いていた。あたしの心が見えるみたいに……」


「いつも妙ちゃんのことを見ていたのね」


「そんな簡単なものじゃなく、なんか、あたしの分身のような感じだった」


 妙子は改めて小さな時の出来事を思い出しながら良一のいたわりや愛しみが、あの幸せを作ってくれていたのではないかと思った。


「だから何でもできちゃったんじゃないかな。小さい時にね。テレビドラマ見ていて、素敵なキスシーンがあったの。それで感動して、良一にキスしてって言ったら、今見たドラマみたいにキスして抱きしめてくれた。それが良一とのキスの始まり……」


「ませた幼児だたのねー」


 朋子は笑わずに、少し微笑んだ妙子の嬉しそうな横顔を見ていた。


「もっと凄いのよ。二人一緒にお風呂に入るでしょう。体中石鹸の泡だらけにして、二人の体を擦り合って洗うのよ。お互いの体がぬるぬる滑って気持ちよくって、ほとんど毎日、きゃっきゃいいながら二人で洗いっこしてた……」


「凄い、凄すぎる。そのまま風俗嬢になれるわねー」


 妙子は、大きく何度も首を横に振った。


「そんなんじゃないわ。あれ、あたし、泣いている……」

 妙子の目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。


「何で、泣いているのかしら……」


「嬉しいからでしょう!」


「どうして……?」


「良一が抱きしめてくれたから……。小さな時と同じように……」


 朋子は椅子から離れて、妙子を慰めるようにベッドに上がって、妙子の丸くなった背中をさすった。


「いつからあたし、人を信じられない、いやな子になったのかな……」


「人を疑うことも大切だけど、あの良一は信じていい人だと思うわよ。いつも妙子のことばっかり考えている人だから。妙子の分身でしょう」


 妙子は頭をうな垂れたまま、さらに頭を縦に振って答えた。止め処もなく流れる涙が手のひらに飛んだ。


「悪いのはあたし……」


「それに気付けば偉いわ。さすがわたしの娘……」


 その言葉で、妙子ははっとして頭を上げて朋子を見た。


「あたし本当のお母さんと話しているみたいだった」


「わたしも今一瞬お母さんになった感じだった」


 二人はお互いに肩を抱き合い、体を揺すって笑いあった。


「さあ、修学旅行の支度しなくっちゃあ!」


 妙子は涙を手でぬぐうと立ち上がってベッドから降りた。







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