56.二人で夢の中へ
(二人で夢の中へ)
この日は一日、妙子をどうやって母親の夢の中に連れて行こうかと考えていた。
それよりも、こんなことを妙子に話しても、もちろん相手にされないことは想像できた。
無理矢理母親の中に押し込んでしまおうか。
それが一番簡単だが、どうやって押し込もうか。
いろいろ考えているうちに、放課後になっていた。
家に帰ると、昨日と同じように母親の所にいって、もう一度そっと手で触れてみた。
昨夜とは違ってしっかりとした感触が手に伝わってきた。
「やはり、あの時間帯でないと夢の中には入れないんだ」と、良一は思った。
「お母さんは元気……?」
いつの間にか妙子も帰ってきて、良一のすぐ横にいた。
「うん、よく寝ているよ」
「よかった!」
「妙ちゃん、やっぱりお母さんに会いたいよね?」
「え、なに? 毎日こうして会っているわよー」
「そう、そうだね。つまり、もし夢だとして、話したり相談したり遊んだり……。お茶飲んだり……」
良一は思っていた。例えそれが夢の中でも、それが小さい時の母の姿でも、話せたり触れたり笑ったりできれば、こんな喜びはないと……
「えー、変なこと訊くのね。でも、話すことなんかないわよ。それに、元気だったころは、がみがみ文句ばっかり。お姉ちゃんが二人いるかと思うくらいよ。そのせいかお姉ちゃんとは気が合うみたいで、二人でいつも楽しげに話していたわね。きっと今度、私に何の文句言うか相談していたのよ……」
「じゃ、相談事とかないの?」
「あるわけないじゃんー!」
妙子は、あっさり言ってのけた。
「良一は、もしお母さんが生きていたら何か相談でもあるの?」
「相談はないけど、一緒にご飯食べたり、テレビ見たり、歌、歌ったり、もちろん天気のいい日は公園行ったり……」
良一は、夢でもいいから、またあーちゃんの声が聞きたい。あーちゃんの笑顔が見たいと心から願っていた。
「バーベキューしたり、お花植えたり……」
「そう、そうだね……」
良一の悲しい気持ちが、その澄ました笑顔から妙子に伝わった。
妙子は急に振り返って自分の部屋に上がっていった。
良一の心が妙子の涙を誘っていた。
そして、その夜……
良一は、紗恵子との楽しいひと時を過ごしていた。
「じゃ、もー寝るわねっ!」
「後は僕が片付けておきますから……」
良一は紗恵子が二階に上がっていくのを確かめてから後片付けをして、炊飯器のタイマーをセットした。
今日の朝食の下準備は、すでに済ませておいた。
だんだんと胸が高鳴ると同時に足が振るえてくるのがわかった。
ほんとに夜這いをするわけでもないのだが、夜、それも寝静まっている彼女の部屋に入り、声をかけるなど生まれて初めての経験だ……
気が変わってか、ものの弾みで、そのままいってしまったらどうしようと想像しながらも、階段を上って妙子の部屋の前まで来た。
もし、大声を出されたら、もうここにはいられないなと思いながらも、その時の言い訳を考えていた。
しかし、このドアに鍵が掛けられていたらすべての計画が水の泡だ。
良一は心臓が破裂しそうに脈打つなか、ドアノブに手をかけた。
するとカチャと開いた。鍵は掛けられていなかった。
良一は、あの夜這い事件を思い出しながら、またなんでこんなことをしているのだろうと自分を恨んだ。
妙子の部屋に入ると妙子は気持ちよさそうに寝息を立てて眠っていた。
良一はこのまま襲いたくなる気持ちを抑えて、妙子の肩をゆすった。
しかし、全然起きる気配はなかった。
「妙ちゃん……」
良一は肩をゆすりながら名前を呼んだ。
しかし、一向に目を覚まさない。
これじゃ、襲われてもそのまま寝ているのではないかと思った。
良一もあきらめずに、もう一度名前を呼びながら揺り起こした。
それでも起きない。
もしかすると気付いて起きているけれど、わざと寝た振りをしているのではないかと思った。
このまま寝た振りをして良一がこれから何をするのか待っているのかも知れないと思った。
それならご希望に答えて、パジャマのボタンをはずして……
やはり良一にはそんな度胸はなかった。
もう一度、声を掛けて揺り動かした。
「……、な~に……」
妙子は、目を開けずにそのままの状態で口だけ無造作に動いた。
「妙ちゃん、起きてよ。ちょっと来てほしいんだよ」
良一は、妙子の耳元で呟いた。
「……、い、や……、また今度……」
「妙ちゃん……、大事なようなんだ」
「……、い、やって、いって、るでしょう……」
「おかあさんのことだから……」
「え、……、どうかしたの……」
お母さんという言葉に急に反応した。
「……、どうしたのよ……?」
妙子は、目を開けるより先に体が起き上がった。
「お母さんのところに来てほしいんだ……」
「どうかしたの……?」
妙子は、薄目を開けるか開けないうちに、体はすでにベッドから起きていた。
良一はそのまま妙子の手を引いて部屋を出た。
妙子はまだ寝ぼけているのか、良一が真夜中に妙子の部屋の中に居たことに激怒することもなく、ただ従順に良一に引っ張られて行った。
「いい、ここから階段だから気を付けてよ。わかったっ!」
「わかっているわよ……」
妙子は、やっぱりまだ半分寝ているような顔で、良一の手に引かれるように階段を下りた。
「どうしたのよ……?」
妙子は母親の前まで来るとようやく目をしっかり開けて母親の顔を見入っているようだった。
「今何時なの……?」
「もうじき三時だよー!」
「お母さんが、どうしたの……?」
「妙ちゃん起きている。ちゃんと起きている。これは夢じゃないからねー」
「わかっているわよ。だからどうしたのよー!」
良一は妙子の顔を見て、しっかり起きていることを確認してから、もう一度妙子の手をしっかり握りなおした。
「絶対にこの手を離しちゃだめだよ。いいねっ!」
「いいから、なによー!」
良一はもう一方の手を母親のお腹の上に乗せた。
もしかしたら、昼間のように夢の中へ入れないかも知れないという不安な気持ちも、同時にわいてきた。
でも、信じるしかない。
良一は思い切って腕をお腹に押し付けた。
その瞬間、体が中に浮き、当たりは真っ暗くなった。
その次の瞬間、二人は草原に投げ出されていた。
「やった!」
良一は軽くこぶしを握った。
妙子も起き上がってあたりを見回している様子だ……
「……、ここどこなの?」
良一は、いち早く丘の上の大きな木のあたりを見た。
少女がいた。
良一は軽く手を振った。
「猫の女の子だよ……」
良一は妙子に囁いた。
「ほんとだ……」
妙子も軽く手を振った。
良一は丘を登りながら、この状況どう妙子に説明しようか考えていた。
考えているうちに登り終えてしまった。
「こんにちは……、猫ちゃん元気……?」
最初に声をかけたのは妙子だった。
良一と同じことを言っている。
良一は少女を見てビクと背筋が緊張したのを感じた。
少女が大きくなっていた。
最初会ったときは、小学校一年生か二年生くらいに見えた。
しかし、今ここにいる少女は小さくても小学校の五年生か六年生といってもおかしくない年頃だ。
そして、最初会ったころは、おかっぱ頭だったが、今の少女は肩まで伸びた美しい黒い髪を風になびかせていた。
「何か、私にお話があるの……?」
「え、……」
妙子は戸惑って答えに詰まり、良一の顔を見た。
「良ちゃんが言ったの。お姉ちゃんがお話したいって……?」
「あ、そうそう、彼女が朋子ちゃん……」
良一は慌てて話を結び付けようとした。
「そう、そうね。お話ね……」
妙子は、いつもの機転か想像力か、話の筋が見えなくても、自分勝手に話を作れた。
「そうよ、私もここに来たことがある気がするの……。小さい時だけど。この木とこの丘に続く並木道、覚えがあるわ……」
妙子はそういいながら一人歩いて大きな木の下まで来た。
そこにはいつものように御座がひかれていて、いつものバスケットとお人形が置かれていた。
「あれ、サッちゃんだー。私もこれと同じものを持っているわっ!」
妙子は、お人形を抱き上げた。
「え、うそ……、まるっきり同じじゃないー!」
「それって、一品ものなの?」
あまりにも不思議そうに見る妙子に、良一は特別な高価な人形なのかと思った。
「違うわよね……」
近くまで来ていた少女の顔を見て、妙子はにこやかに話した。
「お母さんの手作りよねー、でも目といい口といい同じ顔をしているわ。この子なんていう名前なの?」
「さっちゃん……」
「うそ、私もさっちゃんよ。同じね。もしかすると姉妹かもしれないわね。今度うちにいらっしゃいよ。私のさっちゃんに会わせてあげるから……」
「うん、……」
少女は小さく頷いた。
「あっあー、これが子猫ねー。私、子猫大好き……」
妙子は、大きなバスケットの中で、丸まって寝ている三毛猫を抱き上げた。
「大きくなった猫は?」
「家の中に子猫が五匹と親猫もいるんだ」
良一は少女の言葉を補足した。
「好きよ、でも子猫は特別よね。特別にかわいいって感じ……。名前は何て言うの?」
「ミーコ、ミーちゃんって呼んでるけど……」
「女の子なんだー」
「男の子……」
彼女は小さい声で呟いた。
「あら、ほんと……」
妙子は子猫を持ち上げて見た。
「ミーコって、あたしのお母さんの飼っていた猫もミーコって言ったわね。死んじゃったけど……。とっても悲しかったって、それでお医者さんになったって。ごめんごめん、変な話しちゃって…」
妙子は子猫をバスケットの中に戻した。
「いい話ね……」
彼女はバスケットの中からミーコをもう一度出して抱かかえた。
「そうそう、おじいちゃんの家にも猫がいっぱいいたな。本当にここおじいちゃんの家じゃないかな……。でも今はゴルフ場だし……」
妙子は振り返ってあたりを見回した。
「そうだね。こんなに広いとゴルフなんかもできそうだねー」
良一は妙子の話をはぐらかすように付け加えた。
何一つ音のない世界に、爽やかな風が三人の間を撫でるように通り過ぎていった。
「ちょっと、なにしているの二人とも……」
良一は紗恵子の声で目を覚ました。
「あ、……」
しまったと思いながらも妙子の顔を捜した。
妙子はまだ眠たそうな顔を中に浮かしていた。
「愛の告白でもしていたの……?」
紗恵子は、振り向いてキッチンに向かった。
「いえ、そんな、ちょっと話していたら、いつの間にか寝ちゃったみたいで……」
良一は急いで妙子から離れて起き上がり、紗恵子を追った。
「……、なに、ここはどこ?」
妙子は、まだ状況を判断していない様子で当たりに目をやっていた。
良一は、その声で、急いで妙子のもとに駆け寄り顔を覗いた。
「妙ちゃん、風邪引くよ。まだ早いから、部屋で寝ていたほうが良いよ……」
良一は、今の状況をごまかすように慌てた様子で、でも優しく妙子に声をかけた。
「妙子も、たまには朝ごはん手伝いなさいよー!」
遠くの離れたキッチンから、紗恵子の声がする。
紗恵子のどうせ言っても聞かないだろうという諦めの入った声が部屋の中に響いた。
「まだ、六時じゃない……。もう一回寝よう……」
妙子は、まだ寝ぼけていたのか、なぜ自分が床で寝ていたのか詮索もせず、
そのまま二階にあがっていった。




