38.私の一番大切なもの、紗恵子の場合
(私の一番大切なもの、紗恵子の場合)
新一、……。あなたがいなくなってから、もう七年になるのね。
その間、いつもあなたのことばかりを思っていたわけではないのよ。
それなりにいい男に出くわせば目を向けるし、胸もときめくわ。
でも、必ずそのあとに忘れていた、あなたの顔が出てくるのよ。
何でかなー? おかしいでしょう……
小学校の時、最初にあなたに会ったときは驚いた。
顔立ちが良一君にそっくりだったから。
でもそれだけじゃなく、良一君が妙子を見るときの目と、あなたが私を見るときの目。
優しさに包まれるような暖かさを感じた。
私には一つの憧れがあってね。
それは、妙子と良一君のような恋人同士になりたいと思っていたことなの。
同じ屋根の下で、まだ小学校にも上がらない妙子と良一君だったけれど、二人がやっていることは、まるで恋人同士、それ以上に、長年連れ添った夫婦のように仲が良く見えたわ。
もちろんいつも一緒で、遊ぶときも風呂に入るときも寝るときも、必ず妙子の側には良一君がいて、それで、きゃっあきゃっあ、わいわい取っ組み合っていても、あの暖かい眼差しでいつも妙子のことを気遣っているのよ。良一君が頼もしく素敵に見えた。
おまけに、どこで覚えたのか熱いキスを唇に重ねていたんだから、近くで見ている私なんか当てられどうしで、うらやましくて、やきもちを妬いていたくらいなのよ。
あんなふうにいつも側にいてくれる彼が欲しいと、ずうっと思っていた。
そんな時にあなたに逢ったの。
もちろんあなたを良一君のかわりにするつもりじゃないのよ。
七つも年下の男の子と張り合わないでね。
私の憧れていたのは良一君じゃなくて、いつも私のことを思っていてくれる、暖かい家がある彼なの。
あなたの中に、私の帰る家があれば、私は安心して帰っていけるでしょう。
自分の家の中まで気取ったり、見栄を張ったり、自分を偽ったりしないでしょう。
わがまま言ったり、裸で歩き回ったり、自分の家なら何でもできちゃうでしょう。
そんなふうに思わせてくれる彼が欲しかったのよ。
私の勝手な思い込みなんだけどね。
でも、妙子のように「おチンチン見せて!」って言うわけにはいかない年頃だったから、なかなか親しくなれなかったわね。
でも、あなたの暖かい視線が、時より私を探していることはわかっていたのよ。
中学生になって、それが思わぬところで、あなたがバレーボールのコーチをしてくれることになって、ますます良一君のような思いやりを感じたわ。
あなたが選手を蹴ってコーチに徹したことで、男子から非難されていたことも知っていた。
それでもコーチをしてくれたことが、とても嬉しかった。
最初はその時のお返しのつもりで、私の家に誘ったんだけど、一緒に勉強している間に、やっぱり私の帰る家があなたの中にあると思えてきたの。
でも、あなたは一生懸命勉強ばかりしていて、私には全然興味がないんじゃないかと思ったくらいよ。
いつも教室で見るあなたと別人だと思えるほど、物静かで誠実な人って感じだった。
誠実といえば、夏休みになって、最初にあなたが来る日、どんな服にしようかとクローゼットを見たの。普段はTシャツとショートパンツが多いんだけど。
この日も鏡を見て「色気ないな」と思ったの。
それで、前に友達からブラトップが楽でいいわよって言われて、タンクトップとキャミソールと、合わせでハーフスリーブのシャツを買ったの。
タンクトップは普段着に使っているけど、キャミソールは一度も着たことがなかったの。
お母さんにそれで街に出るのって言われて、それじゃ―下着ねって言われて、確かにキャミソールと言うくらいだからインナーなんだけど、私でもさすがに何か羽織るものがないと恥ずかしい。でも、この夏の暑さ、肌を出して、色気で迫るのも楽しいかなっと思ったのよ。
そんな時、あなたが来たのよ。
私はシャツを着るのを忘れて、キャミソル一枚とショートパンツのまま出てしまったのね。
あなたの驚いた顔が今でも目に浮かぶわ。
「シャツ忘れた……」と思ったけれど、貴方なら許せたから……
それに貴方のどきまぎしたリアクションが面白かったから、このままでもいいかなって思ったの。
でも、貴方があんなこと言うから、裸の方がいいって言うから、裾を上げて、おへそのところまで上げて、でも、やめたの。
全部見せてしまったら、あなたは私に興味をなくして離れていくような気がして……
だからあんな約束をしたの。少なくとも卒業までは一緒にいられるじゃない。
それに今なら言うけど、本当は私も卒業まで待たなくても、あなたに抱きしめて欲しかったの。
気の遠くなる思いをしたかった。
約束の後も、なんとなくそんな機会があったじゃない。
会話が途切れて、あなたはじっと私を見つめていた。
私もあなたが何をしたいのかわかっていた。
それなのにあなたは何もしなかった。
あの時「いいのよ」って言ってあげればよかった。
「約束なんかいいのよ」って……
あんなことになるんだったら……
「約束、……」
私には、あのつまらない約束が、今も心の中で生きているのよ。
だから他の男の人の前で裸になれない。
あなたとの約束があるから。
そんなことどうでもいいことなのに……
でも、脱げないの。
あなたの顔が浮かんで、悲しそうな顔が浮かんで……




