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36.バーベキューの夜

(バーベキューの夜)


 その日の午後遅くなって、ピアノの練習をしている妙子のところに、良一はやってきた。


「湯川さん、今日の晩御飯、バーベキューでもしませんか?」


 妙子は驚いて振り返った。

「本当っ! バーベキューやってくれるのー!」


「ええ、せっかくの連休ですから、いつもと雰囲気を変えて楽しくやりましょう!」


「賛成っ! 嬉しいな。良一が来てくれてよかったわー!」

 妙子は顔一杯の笑みで良一に抱きつかんばかりの勢いで飛びあがった。


「そんなに喜んでくれるとは思いませんでした……」


「だって、楽しいじゃない! それに片付けは、全部良一だから……」


「鬼っ!」

 良一は顔をしかめて言った。


「さーあ、早くやりましょうー!」


「まだ、これから買出しに行くんですよ!」


「それなら、私も行く!」


「ツーショットで……?」


「……、ちょっと行けないわねー」


「僕、行って来ますので待っててくださいねー」


「トウモロコシ、忘れないでねー!」


 良一もなんだか嬉しくなってきていた。


「ターちゃんって、もしかすると紗恵子さん以上にかわいい存在かもしれない」と、良一は小さい頃の妙子の呼び方で呼んでみて思いを熱くしていた。




 たそがれ時になって、庭の照明がぼやけて見える中で、二人は思い思いに串に肉や野菜を挟んで炭火の上の網に置いて焼きながら食べた。


「お姉ちゃん、遅いわね……?」


「え、湯川さん知らないの? 紗恵子さんは合コンで、遅くなるって言ってましたよ」


「え、え、うそっ! そんなこと聞いてない……」

 妙子の頭のてっぺんに、だんだんと血が集まってくるのがわかった。


「でも、夕食がいらないだけで、10時ごろには帰ってくるって言ってましたけど……」


「そんなの当たり前でしょう。でもわからないわね、お父さん出張で帰ってこないことをいいことにして、男とお泊りかもしれないし……、そしたら私はどうなるの? 良一と朝まで二人……」


「その言い方は引っかかるけど、昼間も二人きりでしたよ。それに、僕が湯川さんの家に来てからも、ちょくちょく二人きりでしたよ」


「そうだったの、知らなかったわ。私ったら、何て恐ろしいことをしていたのかしら」

 妙子は、良一の顔から目をそらした。


「でも、何もしなかったでしょうー」

 良一は妙子の顔色が変わったことに気づいて慌てて弁明したが、妙子の緊張の様子は、ますます高鳴るばかりだった。


「ひどいわっ! 何で、こんなにかわいい赤頭巾ちゃんを狼に食べさせようとするのかしら……。きっと、狼に食べさせて、赤ちゃんでも出来たら、良一を一生この家で飼えると思っているのね。それで家事一切をやらせれば、お姉ちゃんは何もしなくていいから……」


「僕、まだ何もしてませんってば! それに二人きりになったのは、この家に来る前にもあったでしょう。湯川さんがお寿司を僕の家に持ってきたときにも……。でも、何もなかったでしょうー?」


「わからないわよ、後一秒帰るのが遅かったら襲われていたわよ!」

 妙子もいろいろ想像しているうちに、ますます興奮してきた。


「じゃ僕、部屋に入って出ないようにしていますから……」

 良一は立ち上がって、家の中に入ろうとした。


「ちょっと待って、これ誰が片付けるのよ。逃げるきねー!」


 さすが妙子と良一は思った。

 自分のやりたくないことはしっかり覚えている。


 それからも何かぎこちなく串をつかんで食べる妙子だったが、なんだかんだ言いながらも用意していた食材は全て平らげた。


 良一は、最後に残ったトウモロコシを串で突付きながら遊ぶようにして食べている妙子を見ながら、パーコレーターのコーヒーが温まるのを待った。


 五月の夜とあって、少し肌寒を感じていたので、炭火のとろとろ燃える赤い炎が暖かさをまして嬉しい。


 もうすっかり暗くなった空は、満天の星明かりがきれいだ。

 庭の木々や草花も外灯に照らし出されて、美しい緑を見せている。

 昔、芝生の上で妙子と裸になって水浴びをしたり、寝転んだりしたことが昨日のように思い出された。


「大きくなったね……」

 良一はつい口走ってしまった。

「何が……?」


「いや、小さいころに比べて……」


「わかった! 小さいころに比べて胸が大きくなったって、いやらしい想像をしていたんでしょうー!」


 良一が妙子に言われて、目が妙子の胸に引きつけられた。

 確かにシャツとTシャツの重ね着の上からでも、あの頃とは違う二つの胸のふくらみがわかった。


「……、違うよ! 昔、小さいころ、この庭で遊んだことを思い出して、背が大きくなったねって言いたかったんだよ!」


「うそよ!小さいころ庭で裸になって遊んだころを思い出していたんでしょう!」


 良一は図星を突く妙子に驚きながらも、妙子も同じことを思っていたのだと思った。


「違うよ……、でも湯川さん、いつもそんなこと考えているの?」

 今度は、良一から反対に訊き返したした。


「バ、バカね! あんたの考えそうなことを想像したまでのことよっ!」


 良一は、裸になることばかり想像している妙子に呆れ返って、大きくため息をついてからパーコレーターのコーヒーをカップに注いだ。


「でも、こうして夜、バーベキューが出来るようになると、もう夏だね……」


 話題を何とか変えようと良一は脈脱の無い話を持ち出した。


「そうよね。もうじき衣替えだし、夏服になれば、肌も露出してくるし、胸なんかもパーっと出て、ブラも透けて見えたりして、スカートも当然ミニよね。ミニだと、ときどきパンツも見えたりして、良一なんかむらむらしっぱなしで、いつ手が伸びて、力に任せて押し倒されてもおかしくないわね……」


 妙子は、自分が興奮しているのも手伝って一気にまくし立てた。


「もう、そういう意味じゃなくって、なんか湯川さん、僕を挑発しているみたい……」


「そんなわけないじゃない。これは重要な問題よ。もし、良一が襲って来たらどうしようって、心の準備をしておかないと。もし、もしもよ。良一が襲ってきたら、そのまま身を任せたほうが安全よね。もし抵抗したら余計に興奮させて、首を絞めておとなしくさせようとするし、間違ったらそのまま殺されちゃうものね。でも抵抗しなかったら、僕のことを好きなんだと勘違いされて、そのままいっちゃったら赤ちゃんできたりして、お姉ちゃんの思惑通りになっちゃって……。私、十五歳でお母さんになるんだっ!」


 妙子は、トウモロコシをぼりぼり食べながら、悲劇のヒロインにしては楽しそうに話していた。


「もう、勝手に想像していてください。僕、もう片付けるから……」


 良一は妙子の話しで、本当に興奮してきて、いつ爆発するかわからない思いを抑えて、良一は立ち上がった。


「あ、私もコーヒー入れといて……」


 そしてコーヒーを注ぐと、いつまでも食べている妙子を置いて後片付けを始めた。

 片付けていれば少しは気がまぎれ、いつもの自分に戻れると思った。


 妙子が食べ終わるとバーベキューはすっかり片付いていた。


「僕、先にお風呂入るからね……」


 妙子の落ち着かない様子と、男と女の微妙な関係の摩擦でぴりぴりした静電気を全身に受けていた良一は、今日は早く自分の部屋に退散して寝ようと思い、コーヒーカップを持ってうろうろしている妙子に言った。


「いいわよ……」


 妙子はお風呂と聴いて、びくっとした。

 良一がわざわざお風呂に入ると報告に来たのは、一緒に入ろうと誘っていたのかもしれない。

 妙子も今日なら誰も居ないから、小さい時みたいに一緒に入ってもいいかなと思たりもしていた。


「私、なに考えているんだろう……」


 その思いは、妙子の常識ある判断が即座に否定した。

 でも、一緒に入れたら、小さい頃とは全然違う私の胸のふくらみを見せて上げられるし、私のスタイルのよさに、どんな顔をするのか、恥ずかしがり屋の良一だから、私の裸を見たくて見られなくて、おどおどしていたりして、さぞ面白いことだろうと想像してほくそえんだ。


 それで、小さい時と同じようにあんなことまでしたら……。きっと今ならもっと気持ちよく感じられるんじゃないかと想像して興奮した。

 妙子の心臓はいつのまにかドキドキ乱れうっていた。


 しばらく立っていると息苦しさを感じた妙子は、気持ちを静めようとピアノの前に座り、静かな優しい曲を選んで弾き始めた。


 良一は妙子がピアノを弾いている間にお風呂から出て、すばやく二階に消えた。


 妙子は、何もなかった良一のお風呂に少し落胆しながらも、次の不安材料が頭の中をよぎった。


「もし、突然良一が本当に襲ってきたらどうしよう……?」

 食事の時は良一をからかうつもりで喋っていたことが、この広い家に二人しかいないことを思うと、今現実に起こっても不思議ではない。


 妙子の頭の中は、男と女が叫びあう妄想であふれていた。


「このまま良一に力任せに服を引き裂かれたらもったいないわね。自分から脱ごうかしら、でもそれなら自分から誘っているみたいで変よね。少しは抵抗しないと襲ってくれるのを待っていたと思われるし、それに服を脱がしたら汗臭かったって思われたらいやだし……。私もお風呂、入ろう……」


 ピアノを気もそぞろで弾く妙子は、想いをめぐらした末にお風呂場に向かった。


 お風呂から上がっても妙子の気持ちは晴れなかった。

 やはり普段とは違う家の中の静けさが怖い。


 いつもなら、和室の明かりが障子を明るく照らしている。

 その中で父親がテレビを見ていて、ダイニングでは紗恵子がアイロンをかけていたりする。


 でも、今日は誰もいない。

 ダイニングは明りが消えて黒々していて不気味だ。


 まだ五月のはじめでは、夜をにぎわう虫の音も聞こえてこない。

 ただ冷たい静寂が湯上りのほてった妙子の体を冷やしていた。


 妙子は、寂しさを紛らわせようと、母親のベットまで来た。


「お母さん、ひどいのよ。みんな出て行っちゃって、私一人よ……」


 何も言わない母を見ていると、よけいに寂しさがこみ上げてきた。


 うっすらとにじんだ涙を人差し指でふき取ると、まだ良一が二階にいることが頭に浮かんだ。

 こんな時くらい私の相手をしてくれてもいいのに……、と妙子は思った。


 でも、私の湯上り姿を見て興奮して襲ってきたら怖いわね。

 でも、良一なら優しくしてくれるかもしれない。

 私、なに考えているんだろう……


 今日は、良一と二人っきりと聞いてから、何か自分でもおかしなくらい良一と抱き合うことばかり考えている。

 私、良一のことが好きなのかな。

 それとも身近で、すぐ手の届くところにいるから、誰でもいいのかな。


 妙子はこの落ち着かない気持ちを考えていると、湯上りにもまして体がほてってくるのを感じだ。


 妙子はもう一度、気持ちを落ち着かせるためにピアノを弾き始めた。


「でも、私がこんなに落ち着かずに、いらいらしているのに、良一は何にも感じないのかな?」

 妙子は何もしない良一がしゃくにさわってきた。


 そして次の和音を間違えたとき、妙子は駆け出していた。

  

「ちょっと、いったいどういうつもりなの?」


 妙子は良一の部屋のドアをノックもしないでいきなり開けた。


「ど、どうしたの?」


「だから、二人きりなのよ!」


「うん、そうだけど……」


「何にもしないって、どういうことなのよ!」


「え、……」


「ちょっと、ちょと、まってよー! 変なこと考えないでよね」


「……、ううん、考えてないよ。考えてない……」

 とはいっても、風呂上りの濡れた髪とシルクで浅葱色のパジャマを着た妙子が、ドアに張り付いているとはいえ、良一の部屋の中にいる。


 そしてこの家にはもう誰もいない。

 これで何も起こらなかったら男ではない。

 そして、気がついてみると妙子と良一の間には、今日は早く寝ようと思って引かれた布団があった。


 でも、妙子の顔を見ていると、バーベキューをしていたときとは違って何か思いつめたような、とても悲しそうな目をしていた。


 そんな悲しい目で見ないでよ。

 まるで公園に捨てられた子猫じゃないか……


 一生懸命、僕を見つめて尻尾を立てて、クウクウと泣いている。

 僕を捨てないでよと泣いている。


 そして、不安そうにたたずむ君は、今にも振り出しそうな黒々とした雨雲。

 時々光る稲妻は、僕を木の下に追いやって小さく体をしゃがみこませて震えさせているよ。


 こんなに近くで妙子のパジャマ姿を夜見るのは初めてだった。


 もちろん朝、食卓に眠ぶたそうな顔をしてやってくる妙子はパジャマ姿だったが、忙しい良一には、それを鑑賞する暇はなかったし、朝と夜とではその色っぽさは子供と大人ほどの違いがあった。


 そして、ここにいる妙子は、まぎれもなく大人だった。


「綺麗なパジャマだね。シルクみたい……」


「わかる、シルクよ、本物よー! 化繊の光沢とは違って上品で、それにごわごわしてなくって、すごくやさしいの。着たときの肌触りもそうだけど、柔らかくて軽くって暖かいの。もう最高ー! 一度きたら他の物は着られないわよ。お姉ちゃんが友達から聞いて通販で買ったんだけど二枚で一万千五百円なのよ。本当なら一枚で一万円なんだけど、期間限定特別ご奉仕で……。最初はお姉ちゃんと一枚ずつしたんだけど、一度着たらもう気に入っちゃって、お姉ちゃんが追加でもう1セット注文したから、私もお父さんにおねだりして買ってもらっちゃった」


 妙子は、今の状況をすっかり忘れたかのように、パジャマをひらひらさせたり回って見せたりして商品説明に夢中だった。


 良一は、さっきまでの悲しそうな顔が、話してる間に見る見る明るくなってきたのがわかった。


 そして、その明るさに蹴散されたように、良一の熱いたくらみも消うせてしまった。


 そう言えば、彼氏にふられるよりも一人の家の方が辛いといっていた妙子を思い出した。


「このパジャマ着てみるー?」


 突然の言葉に良一は、心臓が止まりそうな思いで訊きなおした。


「そのパジャマ着るの?」


「バカねー! 三枚あるって言ったでしょう。持ってきてあげるから着てみる?」


「あ、そうだね。……、いや、い、いいよ。だってそれ女物じゃないの?」


「そうだけど、たいして変わらないと思うけど……」


「妙ちゃん、全然変わらないね。昔もそういって、僕に妙ちゃんの服全部着せて遊んだでしょう」


「覚えている? あれ、楽しかったよね。それに良く似合っていて、全然男の子に見えなくて、お母さんなんか、スカートを履いた良一見て、げらげら笑って、お父さんもお姉ちゃんも私と良一、間違えて驚いたり……」


 忘れないよ。最初は妙ちゃんが僕で、僕が妙ちゃんになって、みんなを驚かせようと君が言いだしたんだよ。

 僕はちょっとスカートをはくのには抵抗があったけど、君がさっさとズボンを脱がして、君のクマの絵の付いたパンツをはかせたんだよ。


 でも、君の服を一そろい着たとき、僕はなんだか嬉しかったよ。君と一つになれたような気がして……

 僕は君が好きだったのかな。あれからずっと、そして今も……


「そうだっ! パジャマといわず、私のセーラー服着てみない。男子の憧れのブルセラよ。着てみたいでしょう。楽しいわよー」


「また妙ちゃんの三角パンティーはいて……」


「そうそう、ブラジャーも貸してあげるから、胸も膨らませて、ちゃんと着させてあげるから。きっと似合うから。着てみましょうよっ!」


「また、僕を着せ替え人形にしようと思っているでしょうー?」


「知らないのー? コスプレっていって、今は流行りなのよー!」

「あははは、もう、もういいよ。癖になると困るから……」


「そっかな……。楽しいと思うけどな……」


「それより下でケーキでも食べない? 飲み物作るから……」


「うそ、ケーキがあるの?」


「いわなかったっけ? 妙ちゃんがへんな想像ばかりしていたから言い忘れちゃったかな。食後に食べようと思って買って来たんだけど、お腹一杯になっちゃたから、明日にしようかと思っていたんだけど……」


「わーあ、嬉しいー! 食べる食べる。良一に襲われるんじゃあないかと思っていたらお腹すいちゃったっ!」


「あ、そう……」


 そして、キッチンに向かおうとした良一はドアの前で小躍りして喜んでいる妙子に……

「きゃあっ!」


 ぶつかってしまった。


 当然、妙子もドアを開けてキッチンに向かうものと思っていた良一は、動かない妙子を両手で抱える格好になった。

 妙子は良一がぶつかってくるのを見て体をそらして避けようとしたが、ぎこちなく緊張していた体は動かず顔だけがそっぽを向けて避けたが、胸と胸はしっかりとぶつかってしまった。


「あ、ごめん……」


 妙子は反射的にその場にうずくまった。

 良一は慌てて妙子の腕を取りながら顔を覗き込んだ。


「大丈夫……?」


「……、大丈夫! なんともないから……」


 それを聞くと良一は腕を引っ張り上げて起こした。

 妙子の顔色が桜色に変わり、興奮していた気持ちとは裏腹に、体の緊張は一瞬にして開放されたようなけだるさだけが残った。


 良一の体から石鹸の香りがした。


 一方、良一にとっても、何の衝撃が無かったわけではない。

 妙子の体の柔らかさを一瞬でも自分の体を通して感じていた。

 そして思わずつかんでしまった妙子の腕と手は、思ったよりか細く柔らかだった。


 妙子の体に触れたのは、六歳の夏以来の出来事だった。








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