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夏の王冠  作者: sousou
9章
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60話 光

 うねる筒状の通路を、ユマは滑り落ちていく。


 精霊の腹の底に、地というものがあるかどうかは分からない。しかし気の遠くなるほど長い時間が経ったあと、ユマは宙に投げ出された。強打することを覚悟したが、干し草に飛び込むような、軽い弾力を感じただけだった。


 立ち上がると、そこは完全な闇に包まれた空間だった。目を開けているのに、何も見えない。ひどく重い空気が垂れ込めていて、心地よい気はしなかった。


 ふとユマは、闇のなかで光が瞬く様子をとらえた。それがだんだんと近づいてくる。揺れ方から、人が持つ明かりだと分かる。ユマは息を殺したが、その人物が何者か分かったとき、肩の力を抜いた。


「なぜ、あなたがここに?」


 白の祭司が歩を止めた。角灯が銀の髪を照らしている。


「ダルタロスの問題は、わたしが長年悩んできた問題でもあります。もちろん、あなたたち人間にとっては、とてつもなく長い『長年』ですが」


 促されたユマは、ディオネットと並んで、歩きだした。不思議な気持ちだった。彼女にはもう、この世では会えないと思っていたから。いや、とユマは思い直す。精霊の内部は「この世」とは言い難いか。


 ディオネットが何かに目を留め、立ち止まる。


「案内人です」


 ユマが視線を向けると、角灯に照らされて一人、立ち尽くす幼い少年がいた。見たことのある顔である。ユマは記憶をたどり、思い出した。イスファニールの子供時代に、生贄にされた少年だ。名前はたしか、オレアンだったか。


 少年がユマに向けて頷いた。くるりと背を向け、歩きだす。二人は彼の後ろにつづいた。


「この精霊の内部に、何が溜めこまれているか、感じ取れますか」


 ディオネットの問いに、ユマは周囲の気配を読み取ろうと試みる。加えて、むかし生贄にされた少年が目前にいるという事実を鑑みる。


「霊魂。おそらく、今までダルタロスに捧げられてきた生贄全員の霊魂が溜まっている」


 ディオネットが頷いた。


「本来、肉体から解放された霊魂は自由に漂うものです。しかしこの精霊を生み出した者の強い怨念が、それを許しません。かつて、生まれたばかりのダルタロスは、今よりずっと小さかった。それが、人びとの霊魂を呑み込むたびに、大きくなっていきました」


 角灯が揺れ、金具の音を立てる。ユマは疑問を口にした。


「ですが、ダルタロスの内部には、負の感情しか存在しないのでしょうか。ヨダイヤの恨み、犠牲者の悲しみや苦しみ……それ以外の感情が、あると思うのですが」


「たとえば?」


「村人たちによる崇敬の念。水を清めることに対する感謝や希望、子孫繁栄の願い。そのような明るい感情です」


 前を歩くオレアンが、立ち止まった。角灯の光によって、そこに両開きの扉があることが分かる。鍵束を取り出した彼が、振り向いた。


「この扉の向こうは、ぼくたちが大切に守ってきた場所です。今まで外から来た者のうち、誰にも立ち入らせたことはありません」


 ユマは扉に近寄った。


「この向こうには、何があるの?」


「あなたが探しているものです――ダルタロスの自我」


 オレアンが扉を押した。まばゆい光が、一行を照らしだした。あまりのまぶしさに、ユマは目を伏せ、顔に腕を掲げる。


 睫毛をあげると、黄金でできた台座に、巨大な光輝く霊魂があった。それが闇の空間にぽっかりと浮かび上がっている。ディオネットが進み出て、台座に手をかける。


「これはダルタロス自身の霊魂です」


「精霊の霊魂?」


「はい。どんな精霊も妖精も、生まれたからには霊魂を持っています。負の感情から生まれる悪霊も、それは同じです」


 台座をなでながら、ディオネットが歩く。


「一般的に、人びとに信仰される神々や精霊は、その願いに応えようとする真摯な想いを持っています。ダルタロスの霊魂も、そのような想いを持ちながら成長してきました」


「では、ダルタロスは二面性を持っているということですか。自身としては、村人たちの祈りに応える精霊でいたい。だけどヨダイヤの怨念――一種の呪いと言ってもいいかもしれません――に囚われているために、それに沿った行動も取らざるをえない」


「その通りです」


 ディオネットが台座から離れ、ユマの元へやってきた。その白い手で両手を取る。


「いにしえの怨念に囚われているダルタロスと、生贄になった人びとの霊魂を解放できるのは、あなただけです、ユマ。なぜならあなたは、自らの負の感情を、受け入れられる人だから」


 彼女は視線を、ユマの背後に投げかけた。


「それに、心強い味方もいます」


 ユマは瞳を動かし、ついで首を動かした。


 そこにいたのは、ユマと同じ背丈のヨダイヤだった。白の衣をまとっているために、一本に編まれた長髪がくっきりと浮かび上がっている。


「お父さま……」


 ユマは彼に向き直った。


「力を貸していただけますか」


 彼は無言でユマの手を取り、頷いた。黒曜石の指輪がきらりと光る。


 手をつないだ二人は進み出て、台座の前で立ち止まった。ユマはヨダイヤを見る。彼もユマを見返した。顔をあげ、二人は光輝くものに手を伸ばした。


 二人の手が、同時に霊魂に触れた。 


 途端に、轟音を立てて、周囲の闇がはがれだした。光が闇を切り裂き、広がっていく。具現化した負の感情の、苦しむ声が響きわたる。ユマは両手を突き出し、歯を食いしばった。影をまとった数多の手が伸び、ユマを霊魂から引きはがそうとする。横を見ると、ヨダイヤも同じように奮闘していた。


 ユマは思った。どうして死なねばならなかったのだろう。リマの人びとが。広場に現れた無信仰者の婦人が。イスファニールが。フェルーが。それに、ヨダイヤが。


 どうしてそのとき、負の感情を押さえきれなかったのだろう。多くの人が聞き逃していたのは、人びとが、愛する人の幸せを願う声ではないか。


 頬を涙が伝った。しかし今度の涙は悲しみにくれる涙ではなかった。温かい涙である。人びとの祈りに耳を傾けたとき、憎しみとは逆の力が、身体の底からあふれだした。


 ガラスが割れるような音が響きわたった。視界の一面が白に染まる。夏のあたたかい風が吹き荒れ、髪をあおっていく。光に反射した雨が、一面に降り注ぐ。


 天を仰ぐと、大きな虹がかかっていた。精霊の内部に溜めこまれた、数多の人びとの霊魂が、星のような輝きを帯びて放たれる。ずぶ濡れになりながら、オレアンが笑顔になって、虹の向こうへ駆けていった。彼だけではない。たくさんの人の霊魂が、笑い合いながら駆けていく。


 振動によって台座が崩れ、ユマは放りだされた。自分と同じ、蒼の瞳が見返した。もはや二人の間に言葉は不要だった。彼も他の人びとと同様に、光に呑まれ、消えていった。


いつも評価やブックマークなどいただき、ありがとうございます。とても励みになります。感想などもお待ちしております。


次からいよいよ最終章です。

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