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夏の王冠  作者: sousou
9章
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59話 魔術師

 *


 三人が湖に落ちると、盛大な水しぶきがあがった。


 ユマは顔を水面から出し、イルマとバルトの安否を確認した。水を飲んでしまったのか、げほげほとせき込むのはイルマである。一見、平然としているように見えるバルトは、顔が青ざめている。この時期の冷たい水に慣れていないのだろう。


 岸辺に目をやると、そこにはタイニールと、レタの人びとが集まっていた。空から降ってきた三人を見て、驚きに言葉を失っている。陸までは五十ミアほどの距離がある。ユマはあたりを見渡し、そばに小島があることに気づいた。バルトの腕を取り、引いていく。


「イルマ、そこに岩場がある」


「言われなくても見えている」


「あがったら火を起こしてくれ。身体をあたためないと危険だ」


 イルマがユマたちを追い越し、泳いでいく。ユマはバルトに外套を外させた。着たままでは、重くて陸に上がれないだろうと思ったからだ。岩場にのぼったイルマが、自身の指輪を外し、地面に置いた。それを核として、魔法で火を起こす。やや遅れて、ユマたちも陸にあがった。


 岩壁の林から、ダルタロスが顔を出した。バルトが射たはずの目は、すでに治っているようだった。岸辺に並ぶ群衆から、子供たちの悲鳴があがる。立てつづけに、それを諫める大人たちの声が聞こえる。


「あの魔術師は強いのか」


 イルマが顎でタイニールを指す。彼は、彼女がダルタロスを退治することを期待しているのだろう。タイニールはトリオンと何やら相談しあっていた。ときどき視線をイラの方角へ投げかけるのを見るに、長の到着を待っているのかもしれない。ユマは応えた。


「そういう問題ではないよ。村人たちは精霊を傷つけない。あの精霊は、彼らにとって信仰の対象だから」


「信仰の対象? 奴らは人を襲う精霊を信仰するのか」


「……ダルタロスが襲うのは、限られた人間だけだ」


 イルマがバルトに視線をやった。ユマが彼を庇うように立つ様子を見て、なんとなく状況を察したようだ。加えて村人を含め、この場にいるなかで最も異質な人間は、アンダロス人のバルトである。


 ダルタロスが巨体を動かし、湖へ滑り落ちた。その衝撃で、巨大な水柱が立ち昇る。


「ユマ」


 岸辺から声があがった。ユマが顧みた先に、トリオンがいた。


「そいつを〈山の主〉に捧げろ」


 彼の指はバルトを差していた。ひととき、群衆が静まりかえる。そうだ、と誰かがつぶやく。途端に、大勢がいっせいに唱えはじめた。


「捧げろ」


「捧げろ!」


 合唱は大きなうねりとなって、あたりを支配する。


 ユマはうつろになって、前にもこんなことがあったことを思い出した。意外にも、イルマが決まり悪そうにうつむいた。タイニールが何か主張し、トリオンが激しく抗議する。村人たちが口々に議論し、泣きはじめる子供が出てくる。ユマは、人びとが何を言っているのかよく聞こえなかった。聞きたくないのだ。拳を握り、絞り出すように言った。


「そんなことはさせない」


 しかし、どうすれば良いのだろう。ユマたちに逃げ場はない。だからといって、村人の信仰対象である精霊を傷つけるわけにはいかない。そもそも、あれほど強い力を持つ精霊に、人間ごときが何かをできるとは思えない。すると、バルトが横に進みでた。


「昨日おまえは言ったよな。悪霊を恐れるノクフォーン人のなかには、本来の意味での魔術師は一人もいないって」


「え? ああ……」


 突然何を言い出すのだ、とユマは思う。その間にも、ダルタロスが水面から顔を出している。


「なら、悪霊と和解したおまえは、ノクフォーンで最初の魔術師になったんだ。イシュテリテと同じように」


 その言葉に何かを感じて、ユマは彼を見返した。途端、黄金の瞳に吸い込まれそうになる。この状況に動じない彼が、崇高なものとして映る。


「何が言いたい、バルト?」


 そのとき、大合唱していた群衆の声が乱れた。何事かと思って見ると、一頭の馬が、群衆の脇から飛び出すところだった。ユマは目を丸くした。


 夢でないなら、オリファがいる。彼は破顔して、首から鎖を外す。


「受け取れ、ユマ!」


 投げられたものを、ユマは咄嗟に掴む。手を開くと、黒曜石が陽光を反射した。ヨダイヤの指輪である。自身の力が、目に見えて吸い寄せられる。指輪を認めたイルマが、もの言いたげに視線を向ける。しかしそのような場合ではないと判断したのか、何も言わなかった。


 ユマはオリファを見返した。なぜここにいるのかとか、怪我をしていないかとか、訊きたいことは山ほどあった。が、一言だけ言った。


「きみはなんでもお見通しだ」


 オリファがにやりとした。ユマが指輪をはめると、かけた破片が元の場所にはまるように、気持ちが落ち着いた。何をすべきか、分かった気がする。


 波音があがり、ユマは顔をあげた。ダルタロスの鋭利な牙が、目前に迫っていた。ユマは一瞬、バルトを見やる。彼が励ますように、頷いた。ユマは覚悟を決めた。そして底の見えない闇をさらす、ダルタロスの口内へ飛びこんだ。


 遠くで叫び声が聞こえたが、その声がネルのものなのか、タイニールのものなのか、アリステルのものなのか、定かではない。あるいはその全員だったのかもしれない。






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