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夏の王冠  作者: sousou
7章
53/65

52話 認識の相違

 遠くから鐘の音が聞こえて、ユマは重い瞼をあげた。


 いまは何時だろう、と思う。なぜオリファは自分を起こさずに行ってしまったのか。


 アーチ窓から差し込む光が教室の壁を照らしていた。ユマは机に伏し、再び目を閉じた。こんこん、とガラスを叩く音がする。無視しようとするが、こんこん、とまた音がする。顔を向けると、窓の外に銀の羽を輝かせる妖精がいた。ユマは眠気を振り払い、腰をあげた。


 ネルを屋内に入れようとして、窓の取手を探すが、どこにも見当たらない。困り果てて彼女を見ると、何か喋っていた。ユマはガラスに手をつき、耳を澄ます。しかし鐘の音に邪魔され、聞き取れない。狂ったように鐘が鳴り続け、音が大きくなっていく。ネルが口を大きく開けて何かを叫んでいる。ユマはそこで待っているよう、手ぶりで示す。踵を返し、廊下に出た。


 校内には教師も学生も見当たらなかった。出口を目指しているはずなのに、廊下は迷路のように曲がりくねり、いつまで経っても外の光を浴びさせてくれない。早歩きが徐々に、駆け足に変わる。息が上がるほど走ったあと、薄暗い道の先に、やっと四角く縁どられた光が見えた。


 外に一歩踏み出したとき、心地よい夏風を全身にあびた。


 そこは、ノイスター家の裏庭だった。水を汲むための噴水から、涼しげな音が聞こえる。おとぎ草が咲き誇り、イレネの石像に蝶が止まっている。


 ユマは、木陰に何者かが腰かけていることに気づいた。突如、空が暗くなり、夏が去っていった。花々が枯れ、雪がふぶき、暗い影が闊歩する。館が炎に包まれ、石像が赤々と照らしだされる。火の粉が散り、熱気に景色がゆらぐ。


 気づくとユマは悪霊に取り囲まれていた。あざ笑うように、複数の笑い声が反響する。木陰の下にいる人物が、蒼の瞳をユマに据えた。以前、悪霊に掴まれた腕が痛みだす。男が立ちあがり、近づいてくる。来るな、と叫ぼうとして、ユマは声が出ないことに気づいた。男の歩みは止まらない。呼吸が荒くなる。男がユマの目の前に立った。それからユマに触れようと、手を伸ばした。





 刺すような寒さを感じ、ユマは飛び起きた。何者かの腕に抱きとめられる。


「触るな!」


 枕元の剣を探ろうとすると、阻まれた。意味を成さない声が聞こえる。ユマは混乱して相手を突き飛ばそうとする。「ユマ!」言葉が意味を成した。


「落ち着け、夢だ」


 荒い呼吸音が部屋に響き、徐々に鎮まっていった。一本の蝋燭に火がともされている。バルトが自分を見下ろしているのが分かった。ユマは深く息を吐いた。


「……寒い」


「汗をかいたからだ。着替えたほうがいい」


 ユマは立ち上がり、手かせの鍵を取り出した。


「ちがう。悪霊が近くにいるからだ。ここはタイニールの家ほど守りが固くない」


「……何をしようとしている?」


「村の外で過ごす。ぼくがここにいると、村に悪霊が入り込んでしまう。きみはここにいろ。柱に繋いでおけば、文句は言われないだろう」


 鍵を差し込んだところで、バルトに動作を阻まれた。


「おれも行く」


 ユマは一瞬、何を言われているのか分からなかった。驚きを通り越して、怒りが湧いてくる。


「きみは悪霊がどんなものか、分かっていない」


「分かっている」


「ふざけたことを……」


「おまえこそ分かっていない」


 ちらりと向いた視線に、ユマは言葉を呑みこんだ。バルトが火を角灯に移す。


「悪霊と、おまえが檻から出した妖精の違いはなんだ? 妖精を怖がらないのに、『悪霊』だけを怖がる理由はなんだ? どちらもただの精霊じゃないか」


 ユマは口を開きかけたが、返す言葉が見つからなかった。怖がり、とネルに言われた記憶が蘇った。怖がりだから、魔法を使えない。


「ぼくは怖がりじゃない」


 自分に言い聞かせるように、ユマはつぶやいた。バルトは何も言わず、外套を取ってユマに放るのみだった。


 二人は窓枠を跳び越え、トリオンの家を抜け出した。月は天高く、狼の遠吠えが山々に響き渡っている。歩きながら、バルトが寒そうに外套を巻きつける。


「おれはこっちに来てから、ノクフォーン人が何かにつけて悪霊を怖がることに驚いた。悪霊が寄りつかない魔法、なんていうのも聞いたことがないし」


「それは、アンダロスに悪霊が少ないからだ」


「へえ? 悪霊が少ないとしたら、それはアンダロスに魔術師が少ないからだ。おまえはミスティルーを、人の感情から生まれた妖精だと言った。でもおまえの言う『人』はノクフォーン人……魔術師のことだろう? アンダロス人の感情から精霊が生まれることは、普通はないと思う。魔力がないんだから」


 ユマは、以前アリステルが使っていた天幕を、蔵から引っ張り出した。白い息が闇に溶け、冷たい空気によって、頭が冴えてくる。


 アンダロス人がノクフォーン人より、魔法について詳しいはずがない。しかし直感が、彼の言うことを無視すべきではないと告げている。


「きみの言うことには一理ある」


 しばし考えたあとに、ユマは言った。


「魔法を使えない人間からは、悪霊は生まれないのかもしれない。一方で、魔術師の感情からは、さまざまな精霊が生まれる。なかでも特に、怒りや恨みなどの、負の感情から生まれたものを『悪霊』と呼ぶ」


 バルトが天幕の片側を持った。


「なら、自分が生んだ感情に、魔術師は脅えているんだ」


「なに?」


 衝撃をうけて、ユマは立ち尽くした。従来の認識がぐらぐらと揺れるのを感じる。それでは、悪霊から逃げることは、自分の感情から逃げることと同じではないか。


 どうして今まで誰も気づかなかったのだろう。いや、こんな簡単なこと、少し考えれば誰でも気づくはずだ。ということはみな、気づかないふりをしている。認めたくないから。自分が自分から逃げているという事実を、認めたくないからだ。


 ずいぶん長い間、ユマはその場から動けなかった。やがて、深々とため息をついた。


「ノクフォーン人のなかに、魔術師は一人もいないんだ」


「は?」


「『魔術師』には、魔法を制御できる者、という意味がある。自分の生み出した精霊に怯えるノクフォーン人は、魔法を制御できていないわけだから、本来の意味において『魔術師』とは呼べないんだよ」


 ふうん、と言ったバルトがぼやいた。


「じゃあ、最初の『魔術師』は誰になるんだろうな」


 二人は天幕を張り、その下で火を焚いた。ひっきりなしに寒気を感じるものの、悪霊はなかなか姿を現さなかった。何を言っても動きそうにないバルトと鎖で繋がれているので、ユマの退路は物理的に断たれてしまった。


 悪霊が来たらどうすればいい? 闘う? そこまで考えて、ユマは自嘲ぎみに鼻で笑った。できるわけがない。


「バルト。きみは悪霊が見えるのか」


「見えないと思う。アンダロス人のなかにもたまに、見える人がいるけど」


 ユマは薪を火にくべた。


 見たことがないから、呑気なことが言えるのだ。そう思う一方で、たとえ見えたとしても、バルトは逃げないだろう、とも思う。その証拠に、視界にちらつく黒い影が、金色の瞳が向くと霧散してしまう。彼は悪霊たちに、厄介だと思われているにちがいない。


 アンダロス人は魔法を使えない。だから、なぜなのだろう、とユマは考えた。悪霊が彼を恐れる理由は何だ? 自分と、この金髪の少年の違いは何だ? ユマは窓枠の向こうで、大声で叫ぶネルの姿を思い出す。夢のなかで彼女は何か、重要なことを言っていた気がする。 


 地面に揺れる火影を見ることもなく見ていると、靴のつま先が視界に入った。その意味を理解したとき、ユマは度肝を抜かれて、バルトにしがみついた。


「どうした?」


 声が出なかった。そこにいたのは、学園の制服に身を包んだ、若いヨダイヤだった。


 蒼の瞳が据えられる。彼はユマのほうへ一歩、また一歩と近づいてきた。バルトが目を凝らし、そこにいるらしい何かを認識しようとした。しかし諦めたように、ユマに向き直った。


「話してみろよ。ミスティルーと話したように」


 話すだって? 正気の沙汰ではない。だがユマは勇気を振り絞った。


「お、お父さま……?」


 悪霊は応えなかった。腕を伸ばし、触れようとする。ユマは凍えるような寒さを感じた。バルトが何か喋ったが、よく聞こえなかった。


 気づいたときには、ユマは毛布にくるまり横になっていた。また夢を見たのだ、と思うが、視線の先では天幕が張られていた。


「ヨダイヤは?」


 薪をくべていたバルトが振り返った。


「……おまえが怯えている奴のこと?」


「そう」


「いなくなったみたいだ」


 彼が顔色を確かめるようにのぞきこむ。


「急に冷たくなったからびっくりした。もう大丈夫そうだけど」


 それきり黙り込み、天を仰ぐ。樹冠の向こうに星が瞬いていた。麦穂のようにふわふわした、淡色の髪が闇に浮かび上がっている。「バルト」ユマは、鎖を引きずる音を立てながら、彼の横に腰を下ろした。


「ぼくが悪霊に追われている理由を聞いてくれる?」


 やや驚いたように目を見開いたバルトが、静かに頷いた。


いつも評価やブックマークなどいただき、ありがとうございます。とても励みになります。感想などもお待ちしております。


次から8章がはじまります。

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