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夏の王冠  作者: sousou
7章
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50話 笑顔

 家々から夕餉の煙が立ち昇るころ、二人はリマに到着した。広場へ行くと、マティニールとロクサンが集会所の前で帰りを待っていた。彼らもそれなりにユマのことを心配していたようで、はじめてまともに会話を交わした。特にマティニールは父の様子を知りたがった。「きみがレタに行けばよかったのに」とユマが言うと、「人探しの魔法は三人のなかで一番へただから」と肩をすくめていた。


 村人に呼ばれてタイニールがやってきた。彼女はこわい顔をしていた。ロクサンが言うには、ユマを誘拐した犯人を仕留め損ねたため、苛立っているのだという。


「ユマ、あれを見て」


 タイニールが指さす先に、馬が二頭いた。


「奴らは馬を捨てて逃げていった。今頃は山の向こうよ」


 タイニールは不服そうだが、彼女の働きは十分素晴らしい、とユマは思った。襲撃者を捕らえるより、頑健な馬を捕らえるほうが、村にとってよっぽど有益である。取得元に後ろ暗いところがあるので売れないが、あれほどの良馬は一定の身分がないと手に入らない。都市へ出かけるときに便利だろう。


「聞いているの、ユマ?」


 肩を掴まれ、ユマは思考を中断した。タイニールの恐ろしい形相が間近にあり、顎を引く。


「これからは村の外に一人で出るのは禁止よ。村のなかであっても、夜に一人で出歩くのはだめ。分かった?」


「はい」


 勢いに押されて応じてしまった。


「無事でよかった」


 香木のかおりがしたかと思うと、ユマはタイニールに抱きしめられていた。


 不覚にも泣きそうになる。彼女はイスファニールではなく、タイニールだ。二人は別人だと、今となってはよく分かっている。だからこの感情は正真正銘、タイニールに対するものだった。


 ユマは妖精の首飾りのことを彼女に話しかけて、途中で眠ってしまった。次に目覚めたときには熱っぽかった。外套なしで一晩過ごしたのだから、風邪をひいてもおかしくない。家の明かりは消されていたが、ユマが水を汲みに調理場へ行くと、タイニールが起きてきた。


「なにか食べる?」


「いいえ」


 目ざとく体調の異変に気づかれ、ユマは藁布団へ追い返された。ユマが布団に横になると、彼女は椅子に腰かけた。


「妖精に〈山の主〉の話を聞こうだなんて、考えたこともなかった。その首飾りを、ばばさまから貰った記憶がある。問題はどこにしまったか」


 考え込むタイニールをよそに、ユマは狼狽した。


「まさか、他の魔法具も同じような扱いをされているのですか。誰かが魔法具だと知らずに触って、使い方を誤ったら大変です」


 彼女の散らかし癖にはときどきひやりとする。タイニールが組んだ脚を解いた。


「大丈夫よ。わたしの許可なしには誰も家に入らないから」


「ぼくが出入りしますが」


「問題ないわ」


 ユマは黙し、怪しい物には触れないようにしよう、と固く心に誓う。この調子だと、何を言っても無駄である。タイニールが手燭を取った。


「明日、首飾りを探してみる」


「待って」


 出ていこうとする彼女を、ユマは引き留めた。


「妖精との契約についてご存知ですか」


「なぜそんなことを?」


「ローレインが言っていたんです。彼女は、ぼくが妖精と契約していると思っているようでした。妖精とは、たぶんネルのことだと思いますが」


 ああ、とタイニールが納得する。


「その意味での契約とは、互いにあるものを提供する代わりに、あるものを享受する約束のことよ。約束には魔法が使われるから、取り決めを破れば厳しい罰が下る。あなたはミスティルーの加護を無償で受けている。でも一般的には、それには見返りが必要よ。だからローレインは、あなたが妖精と契約していると勘違いした」


「加護を受けている人間には、他の妖精は手を出せないものなのですか」


「出せないという決まりはない。だけど例えば、わたしがミスティルーを実験に使うことに対して、あなたは不満だった。それと同じで、ローレインがあなたを食べるのを、ミスティルーは快く思わない。ローレインは人間と契約している妖精に、仕返しされる面倒を避けたかったのよ」


 でも、二度と丸腰で妖精に会おうなどと考えないで。口を酸っぱくして言うと、タイニールは寝室へ戻っていった。


 翌朝、家畜小屋から聞こえる仔山羊の鳴き声で、ユマは目覚めた。冷え込む朝で、喉が渇き、頭が朦朧とした。起き上がるのも辛かったが、水差しを手に取り、喉をうるおした。窓を薄く開けてみると、もう冬も終わりに近いというのに、雪がちらついていた。あるだけの毛布をかき集めて、寒気に耐える。


 玄関の扉が開く音がして、ひんやりとした空気が流れ込んできた。犬の吠え声が響く。「待て」タイニールではない声が指示した。


 足音は調理場へ向かったあと、ユマの寝床へ向いた。垂れ幕の前で音が止む。


「ユマ、起きている?」


 応えないでいると、細い指がそっと垂れ幕をめくった。青緑色の瞳がのぞく。


「起きているなら、返事してよ」


 ユマは、うん、とかああ、とか曖昧な返事をした。アリステルが膝をつき、卓上に食事を並べはじめた。


「瓶に入っているのは薬ね。マグナが調合した」


 ユマは身を起こしかけたが、「楽になったときでいい」と制される。ぼんやりとした頭で、今の状況はどういう状況だろう、と思案する。


「きみが世話してくれるとは思わなかった」


「アンダロス人のついでよ」


 彼女がつんと顔をそむける。なんだ、やっぱりいつものアリステルか、とユマは思う。だが再び向き直ったとき、不審な点があった。ユマは眉をひそめた。


「風邪をひいたの? 顔が赤いけど」


「そんなわけないでしょ」


 彼女の手から、小鉢がつるりと滑る。それが盛大な音を立てて割れた。


 沈黙が訪れる。ユマは保身のために、余計なことを言わないことにした。彼女が咳払いし、破片を集めはじめた。ユマは保身のために、余計なこともしないことにした。布団にもぐる。


「ところで、アリステル。きみはいつになったらバルトを名前で呼ぶんだ?」


 片づけを終えて立ちあがった彼女が、見返した。瞳の奥には、若干の後ろめたさがあった。


「……本はどこ?」


「なんの?」


「あんたに渡した、文字を学ぶ本」


「居間の机……じゃないかな」


「渡してくる。あんたはしばらく起き上がれそうにないから」


 ヴィヴィの吠え声が聞こえ、玄関の扉が閉まった。


 三日後にようやく熱が下がり、ユマは出歩けるようになった。真冬と同じように上着を着こみ、バルトが寝起きしている小屋へ向かう。だがタイニールから借りた鍵を使う機会はなかった。鍵のかかっていない扉を開けると、彼は不在だった。嫌な予感がして、ユマは広場へ急いだ。その途中で、予想外の光景を目にした。


 アリステルとバルトが連れ立って歩いていた。彼女が周りの物を指さしながら単語を言い、バルトが一生懸命、耳を傾けている。バルトが何か言おうとすると、アリステルが手ぶりから言いたいことを読み取り、正しい言葉に直して教えていた。


 ユマは新しい雪を踏みしめ、二人に近づいた。気づいたバルトが、顔を明るくした。


「風邪は治ったのか」


 ユマが誘拐されたことは伝わっていないようだが、病気になったことはノクフォーン語で伝わったらしい。ユマは寒さに足踏みしながら、うん、と応えた。


「ノクフォーン語を教わっていたのかい?」


「ああ」


 感心してアリステルを見ると、彼女は口を半開きにした。バルトも口こそ開いていなかったが、同様の表情になっていた。二人が顔を見合わすので、ユマは尋ねた。


「なに?」


 アリステルと違って素直なバルトが、微笑んだ。


「笑うこともあるんだな、と思って」


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