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夏の王冠  作者: sousou
7章
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49話 アリステル

 示された道は、道といっても獣道だった。釣り場があるのだからかつては人が行き来していたのだろうが、今は使われていないようだ。ユマは硬い雪上を苦労して進み、倒木のせいで何度か道を見失いそうになった。


 歩いているうちに身体が温かくなり、冷たい風もいくらかましになってきた。小鳥のさえずりが聞こえはじめ、霧が晴れてきた。羽音が聞こえたかと思うと、近くの枝にコヨーがとまった。その鳥を見上げたとき、樹冠から差し込む陽光がまぶしくて目を細めた。


 ローレインを前にした状況では、警戒心からろくに眠れなかった。ユマはふらついた拍子に、幹にもたれかかる。立ったまま目を閉じ、眠りそうになる。


 犬の吠え声がして、ユマは目を開いた。見ると、白の牧羊犬がこちらへ駆けてくるところだった。


「ヴィヴィ?」


 犬は尻尾を振りながら、ユマの周りをぐるぐると回った。場所を知らせるように何度か吠える。ユマはしゃがみ、温かい犬をなでまわした。


 すぐに、紅色の外套をまとった小さな人影が現れた。携える杖の形で分かった。アリステルである。毛皮のついた温かそうな頭巾をかぶっていた。


 近づいてくる彼女はひどい形相をしていた。血色が悪く、一睡もしていないことがうかがえた。肩にはコヨーがとまっている。彼女はユマを上から下まで眺めると、ため息をついた。


「死んでなかった」


「残念か?」


 黙ってヴィヴィに褒美をあげる彼女は、軽口に応える気力がないようだった。立ち上がると、やつれた顔で言う。


「一ルニ歩けば村がある。そこまで歩けそう?」


 彼女に優しくされたのははじめてだった。戸惑っているうちに、毛布を渡された。ユマは礼を言い、それを巻いて外套代わりとした。


 アリステルが紙ばさみから三本のリボンを取り出した。白のリボンを選んで、コヨーの脚に結びつける。リボンは他に、赤と黒があった。おそらく色によってユマの状態を知らせるものだろう。羽を広げたコヨーが、木々の向こうへ消えていった。その行為によってユマは、先ほど遭遇したコヨーが彼女の伝書鳥だったことを知る。


「きみは動物の目を借りられるの?」


「うん。コヨーは夜目がきくから、ずっとあの子を使ってあんたを探していた」


「他に誰が探している?」


「マグナとロクサンが。マティニールは村で待機している」


 ユマは心中でため息をついた。


「迷惑をかけてごめん」


「べつに。このまま死なれたら後味が悪かったし」


「なんのこと?」


「気にしていないならいい」


 アリステルがふいと横を向いた。だが思い直したのか、青緑色の瞳が遠慮がちに向き直った。


「その、ひどいことを言った」


 ユマは驚きに立ち止った。


「きみがいつ、ひどく()()ことを言ったんだ?」


 無言ではたかれた。


 相手は肩を怒らせて先へ行ってしまう。女の子の気持ちはどうもよく分からない。事実を言ったまでなのに。


 二人が辿り着いた集落はレタという名の、リマの東にある村だった。


 広場には大人ひとりが入れる大きさの、天幕が張られていた。アリステルが村人の手を借りて張ったもので、そこに籠って一晩中、コヨーの目を借りていたのだという。ロクサンは西の村へ向かい、タイニールは南の山へ向かった。南、つまりヘテオロミアへ向かう道が最も整備され、襲撃者にとって通りやすいからだ。


 天幕の手前には囲炉裏代わりの鉄窯があった。そこで火を焚き、アリステルがスープを作る。手慣れたものだな、とユマは思った。修行の一環として、一人で野宿をすることもあるのだろう。


 立ち昇る煙に気づいて、村人たちが集まってきた。だが一定の距離を保ったままで、話しかけてはこない。アリステルが言うに、原因はユマにあるようだった。


「知らない顔だから警戒している。山脈の内部に暮らしているのは五百人くらいだから、知らない顔はそのまま部外者を意味する」


 アリステルから、湯気の立ち昇るお椀を差し出される。ユマはそれを両手で頂戴した。ヴィヴィが自分もほしいと言わんばかりに見つめてくるので、肉のかけらをすくって与える。


「よう、アリステル。見つかったみたいだな」


 顔をあげると、日焼けした初老の男が立っていた。他の者より凝った刺繍の外套をまとっている。見たことのある顔なので、おそらく以前リマに来た代表の一人である。


「おかげさまで。少し休んだらリマに戻ります」


 とアリステルが応える。男が頷き、隠しから嗜好品と思しき葉を取り出す。


「マティニールは元気にやっているか」


「ええ。最近は歌の魔法に興味があるみたい」


 アリステルが、「マティニールのお父さんよ」と紹介する。ユマが挨拶をすると、彼はトリオンと名乗った。葉を噛みながら、にやりとする。


「おまえ、アリステルから杖を取り上げたんだって?」


「トリオン!」


 ユマが答える前に、抗議の声があがる。魔術師にとって、自分の杖が敵に渡ることはこの上ない屈辱である。村人の一人を手招きで呼びながら、トリオンはつづけた。


「タイニール……マグナが気に入るのも分かる。おまえはロクサンと違って無駄口を叩かなそうだし、魔法を使わせたら強そうだ」


 ユマがちらりとアリステルを見ると、彼女は知らん顔でスープをすすっていた。もしかすると、ユマが魔法を使えないことは、弟子の三人にしか知られていないのかもしれない。トリオンが呼んだ村人は、畳まれた外套とナイフ、それに山杖を抱えていた。あまりにも軽装備なユマを見かねたのだろう、それらを貸してくれるとのことだった。


 食事を終えたあと、二人は村を出発した。リマまでの距離は道なりに八ルニだという。ユマは、思ったより遠くに来てしまったことに驚いた。アリステルの足跡につづきながら尋ねる。


「マティニールはこの村の出身なの?」


「うん。オストラス山脈の内側には三つの集落がある。西にイラ、中央にリマ、東にレタ。マグナの弟子はそれぞれの村から一人ずつ選ばれる。それからマグナに最も適している者が、次期マグナとしてリマに暮らす。そうでない者は、イラかレタの村長になることが多い」


「きみの出身は?」


「リマ。……あんたとは一応、はとこの関係になる」


「そうなの?」


 驚いたが、よく考えればこの小さな社会では、元をたどればみな親戚になりそうだ。


「じゃあ、きみはリマで、両親と一緒に暮らしているのか」


「いや。マグナの弟子は弟子たちだけで暮らす。集会所の近くに、客人用の建屋があるのを知っている? 管理もかねて、あそこで三人一緒に暮らしているの。マグナからの指導もそこで行われる」


 それに、と彼女がつづける。


「わたしに両親はいない。母はわたしを生んですぐ死に、父はわたしが六歳のころ、凍った湖に落ちて死んだ。マティニールとロクサンがきょうだい、マグナが母であり父代わりよ」


 枯れ枝をどけるアリステルを見ながら、ユマは、自分が今までどれほど安穏と暮らしてきたかを知った。市壁のなかで暮らす者、しかもユマのような上流階級の者となると、日常のなかで死を意識することはほとんどない。だが妖精や精霊がはびこる自然のなかで暮らす者は、常に死と隣り合わせである。


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