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夏の王冠  作者: sousou
7章
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47話 ローレイン

 ユマは自分が、もはや水中にはおらず、陸に打ち上げられていることを感じた。うすく開けた目に最初に映ったのは、大きく燃え上がるかがり火である。


 頬に水がしたたり、ぞっとした。


 鼻が触れそうな距離に女の顔があった。ユマは悲鳴をあげて飛び起きた。その拍子にきらりと光る何かが岩に打ちつけられた。魚の尾だ。と思うが、それは女の腰から伸びていた。威嚇するように女が口を開け、うなった。ユマは後退りする。生肉も容易に噛みちぎれそうな、鋭利な歯が並んでいる。


 ユマは本の記憶を引っ張り出した。水辺に住む妖精、ローレインだ。美しい歌声と容姿で人間を魅了し、水中に引き込み食べるという。彼女はミスティルーのように無形で漂う妖精ではない。水や土など、形あるものから生まれるからだ。


 ユマは腰に手を伸ばすが、そこに剣はなかった。いつの間にか、襲撃者に取られていたらしい。


「静まれ、人の子」


 神秘的な声が反響し、咄嗟に耳を手で覆った。聞いてはだめだ。奴らの声には魔力がこもっている。ローレインが苛立たしげに尾を打ちつけた。


 彼女の尾がするりと水に入った。岸から手を離し、木の葉のように流れていく。そのときユマは、自分がまだ洞窟の内部にいることに気づいた。天井にあいた無数の穴から、星明りが差し込んでいる。暗い湖の水面が揺れ、ローレインが顔を出した。顎をあげ、この世のものとは思えない甘美な声を出した。


 気づくとユマは、手を耳から離していた。恐ろしいという感情は失せ、響きわたる歌声に耳を傾ける。それはよく知る神話の一節だった。




  イシュテリテは神々が宴会をしているところに通りかかった


  そこにいたのは、火の神(ユル)大地の神(ダフィア)風の神(ウォーレン)


  イシュテリテは尋ねた


  あなたがたが囲むこの温かいものは何か


  赤い波から取り出すものは食べ物か


  いくら取り出しても尽きないように見える





  おまえは勘違いしている、とユルが言った


  これは恐ろしい怪物だ


  われわれはその身体を切り刻み、体内に封じ込めているのだ





  イシュテリテは言った


  これがあれば、わたしの家族は寒さに苦しむことも、


  飢えに苦しむこともないように思える


  どうかこれを分けてくれないか





  怒りをあらわにしたユルが、立ちあがった


  だめだ、これはわたしの大切な持ち物だ





  イシュテリテはイチイの枝を取り、そっと赤い波に近づいた


  泥棒! と酔っ払いのウォーレンが叫んだ





  襲いかかるウォーレンに向けて、イシュテリテは波を移した枝を投げた


  火傷を負ったウォーレンが暴れ、あたりは大嵐になった


  風に巻かれ、イシュテリテは地上へ落ちていった


  燃えつづける枝が落ち、大地は七日間炎につつまれた


  イシュテリテが枝を拾うと、それは杖になった……




 

「失礼な奴じゃ。助けてやったというのに」


 いつの間にか、歌が途切れていた。ローレインが岸に腕をつき、その上に顔をのせている。ユマは燃え盛る炎を見、妖精を見た。


「なぜ助けた」


「おまえを食べるつもりはない。他の妖精の唾つきのようだからな」


 言いながら、妖精が陸に這いあがってきた。藻のように絡みつく髪が腰まで伸び、引き締まった身体のほとんどを隠していた。彼女がユマの顔をのぞきこんだ。


「そうでないなら、首だけ残して、飾っても良かった」


 ユマは身震いしたが、逃げようと思ってもあたりは絶壁である。水に飛び込むにしても、泳ぎではローレインに敵わない。唐突にローレインの腹が鳴った。ユマは驚き、その拍子に背が岩壁にぶつかる。


「しばし待て。このままではうっかりおまえを食べてしまいそうじゃ」


 恐ろしいことを言い残すと、彼女は音もなく闇へ去った。ときどき水しぶきがあがり、星明りに反射した。ユマは動揺する気持ちを抑え、あたりに目を凝らした。他に動く影はない。今のところは、彼女一人のようだ。


 しばらくすると、ローレインが戻ってきた。漁師が使う網のようなものを抱えている。陸にあがると、中身をぶちまけた。大小さまざまな魚が威勢よく跳ね、ユマも飛び上がった。何をするつもりなのかと、妖精を睨みつける。彼女が説明する。


「この網は川辺で拾ったものでな。おまえも食べられるように、魚を捕ってきてやったぞ」


「なに?」


「そうじゃ、焼くには棒切れが必要だったな」


 ローレインが再び水中に消えた。ユマは魚に視線を移した。つまり、一緒に食事をしようというのか。いったい何がしたいのだ。緊張が切れると、どっと疲労が襲ってきた。


 火にあたってしばらくすると、魚を観察する余裕がでてきた。洞窟に住む魚など薄気味悪いものばかりだろうと思ったが、中にはニシンなど見慣れた魚もあった。この空間は昼間になると、かなりの光が差し込むらしい。波音があがり、ローレインが顔を出した。


「これを使え」


 バラバラと音を立てて散らばったのは、錆びついた金属の串だった。裕福な旅人が召使いに持ち歩かせる調理道具である。持ち主がどうなったのかは考えたくない。


 魚の勢いはもう落ち着いていた。生き物の命を無駄にしては罰当たりである。ユマは無言で魚を串刺しにし、火にかけた。それを見たローレインが言う。


「わたしの分は焼くな。このまま食べる」


 何が楽しくて、ローレインと共に食事をしなければならないのだ。そうユマは思った。客観的に見て、奇妙な光景である。妖精が魚を掴むと、頭からかぶりつく。


 塩気も何もない焼き魚だったが、一口かじると、油がのっていておいしいことが分かった。すでに満腹になったらしいローレインが、悠長に手元についた肉汁をなめている。


「ところでおまえ、妙な気をまとっているな」


「悪霊のことか」


「そう言われてみるとそうかもしれない。自分では分からないのか」


 ユマは串を持ったまま黙した。魔法すら使えないのだから、分かるわけがない。だが、両手の縛めを解いた光は何だったのだろう。あれは自分の魔法だったか?


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