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夏の王冠  作者: sousou
6章
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46話 闇の大地

 杉の木を滑り降りて、オリファはマレタイ邸に潜入した。庭園を横切り、厩へ向かう。低木の陰に隠れて、小屋の様子をうかがった。見張りの人影は見えない。閂を外して、扉を開けた。明かりを灯すと、数頭の馬が目覚める。


 響きわたった犬の吠え声に驚き、オリファは扉に張りつく。番犬が猛突進してきた。オリファは扉から離れ、奥へ駆けこむ。馬たちが苛々と尻尾を打ちつけている。


「トリスタ、いるか!?」


 オリファは間仕切りを一つ一つ確認する。藁を踏む音がして、その方向に目を向ける。見慣れた馬が、柵から顔を出していた。


「トリスタ!」


 オリファは破顔して戸を開けた。トリスタは喜ぶというよりは、つんとして不機嫌である。ひと月近くも放っておかれたのだ、お嬢さんはご立腹らしい。その間にも犬が吠えつづける。


「ロトは?」


 トリスタが間仕切りに鼻を押しつけた。隣を見ると、ユマの愛馬が眠気眼で座っていた。ああ、良かった! オリファはあたりを見渡し、馬具が収納された棚を見つけた。と同時に、扉が勢いよく開く音が響いた。


「何者だ⁉」


 オリファは舌打ちし、剣を抜きはらった。身をかがめると、頭があった場所に火花が散った。


「ネル、馬具を付けてくれないか⁉」


 返事を待たずに駆けだした。相手も剣を抜く。二人いる。最初に現れた男が、飛びかかってきた。オリファは刃を弾き返した。転ばそうと放たれた魔法を、一息に飛び越え、そのまま肩に剣を突き刺す。地面に転がり、もう一人の剣をかわす。ナイフを抜き、そいつの脚に差した。悲鳴があがる。その隙に、一人目に差したままだった自身の剣を抜く。


 ナイフを刺された男が、雄叫びをあげ、襲ってきた。刃が合わさる。重さに腕が震える。オリファは歯を食いしばる。足をあげ、刺さったままのナイフの柄を蹴った。うめき声があがり、相手が均衡を崩す。オリファはその機を逃さず、男の得物を弾いた。刃先を向けられた相手はゆっくりと、両手をあげた。犬はもはや吠え立てず、やや離れた場所で威嚇のうなり声をあげている。


「犬を黙らせろ」


 悔しそうに下唇を噛むんだあと、男が犬の名を呼んだ。犬が駆け寄る。背後から寒気を感じて、オリファはまたたく間に振り向いた。もう一人の衛兵が、剣を振り上げたところだった。それが振り下ろされるよりも早く、オリファは相手の懐に入った。脇の下に刃を当てる。


「武器を捨てれば、命までは取らない」


 吐息をついた男が、「降参だ」と言った。きらめきを放って、剣が地面に落ちる。


「ネル、終わったか」


「殺せばいいのに」


「終わったか」


 ため息が聞こえた。


「終わったわ」


 オリファは見張り二人を厩に残したまま、外から閂をかけた。


 二頭の手綱を引きながら、静かに庭園を移動した。正門の両脇に衛兵が一人ずつ立っている。その視線は道路に注がれていた。オリファは門から一番近い木の枝に、手綱をかけた。かがみこんで、そっと近づいていく。


 足元で、小枝の折れる音がした。一人の顔がぱっと向く。視線が交わった瞬間には、オリファはもう呪文を唱えはじめていた。門衛が剣を抜く。次の瞬間、それは地面に滑り落ち、火花を散らしていた。門衛ふたりはぼうっと虚空を見つめている。


 茂みから出てきたネルが尋ねた。


「幻術を使ったの?」


「ああ。もつのは少しの間だけだ」


 オリファは手綱を取り、素早くトリスタにまたがった。横腹を思いきり蹴る。


 住宅街に、二頭の蹄の音が反響する。何事か、という様子で視線を投げかける他邸の衛兵たちが、飛ぶように後方に過ぎ去っていく。風圧で飛ばされないよう、ネルが外套にしがみつく。耳元で叫んだ。


「ちょっと! こんなに大っぴらに走っていたら、怪しまれるわ!」


「普通に歩いても十分怪しいさ! 都市貴族しか住めない区域に、領事館の服を着た奴がいるんだから。それに夜警が余計な事をしていないか心配だ」


 オリファは速度を落として坂を下り、曲がりくねった道を軽快に進んでいった。立ち並ぶ酒屋から明かりが漏れている。酔っ払いが絡んでくるが、文字通り一蹴する――もちろん自分の脚でだ。馬の脚では死んでしまう。ロトの手綱を引いて、離れないようにする。


 オリファは、スィミアの方角に向いた〈知恵の門〉へ向かう。本当はリマの方角にある門から出たいが、オリファはスィミアの伝令になりきらなければならない。ここ以外の門から出る行為は不自然である。


 背丈の二倍ほどある扉が目前に立ちはだかったとき、かすかに耳鳴りがした。おそらく、どこかに魔法封じの魔法がかけられている。オリファの姿に気づいて、二人の門衛が槍を交差させる。


「お止まりください」


 オリファはあたりを見渡すが、夜警の姿はない。間に合ったようだ。いつの間にかネルの姿が消えている。詰所から役人が出てきた。


「外出の目的は何ですか、スィミアの使者どの?」


「市長に緊急の知らせがあります」


「手紙を拝見しましょう」


 オリファは懐から偽装の手紙を取り出した。役人は宛先と筆跡、印章が正しいことを確認する。手紙が返される。


「問題ありません。あなたのお名前は?」


 予想外の問いに、オリファは硬直する。役人が帳面を開き、ペンを取る。日付と時刻を書き込み、その横の空白で手が止まる。


「使者どの?」


「……フリンです」


 賭けだった。適当な名前を言えば、領事館に務めている者の名前と比較されたときに危うい。しかしこの役人がフリンの顔を知っていた場合には、おしまいだ。


 頷いた役人が視線を戻し、帳面をめくる。オリファはほっと胸をなでおろす。役人とフリンとやらは、顔なじみではないらしい。やがて役人は、過去に同じ名前が記載されているのを、発見したようだった。帳面を閉じると一歩下がり、敬礼する。


「それではフリンどの、お気をつけて。旅路にウォーレンのご加護があらんことを」


「ありがとう。良い夜を」


 進み出たときに、明かりが顔に当たった。ふと、役人が怪訝な表情をする。オリファは鼓動を速くする。三本の閂が順番に外されていく様子を、焦りながら見つめる。


「フリンどの。失礼ですが、歳はおいくつですか」


「十七です」


「さようですか……」


 疑っている。嘘に決まっているだろう、おれは十四歳だ。


 そのとき、繁華街のほうから、早馬で駆けてくる者がいた。その姿を捉えるやいなや、オリファは剣を抜き払った。役人が驚いて飛び退る。


「そこの者、待った!」


「ネル!」


 オリファは夜警の声と同時に叫んだ。ネルの呪文を唱える声が聞こえた。爆破音が響きわたる。完全な開門を待たずに、両扉の一部が吹き飛ばされた。


「門衛、捕まえてくれ! 脱獄者だ!」


 兵士が大挙して襲ってきた。


 ロトの横腹をどついたあと、オリファは外へ駆けだした。石畳の音が響きわたる。襲いくる刃を跳ね返しながら、アーチを駆け抜ける。ネルが魔法で援護する。松明の明かりが過ぎ去り、オリファは闇の世界へ、躍り出た。


「オリファ、上!」


 矢が肩をかすめた。見ると、市壁上に弓兵が並んでいる。と、横なぎに振るわれた刃にオリファは身を引いた。


 狙いが外れて隙だらけの兵士を、オリファは斬りつける。すかさず別の刃を弾き返す。相手は少年ごときに受け止められると思っていなかったのだろう、突然の衝撃に、剣を取り落としてしまった。オリファは一撃をお見舞いしてやる。


 馬鹿め、とオリファは思った。「魔法封じ」は諸刃の剣だ。敵の魔法を封じ込める代わりに、自分たちも魔法を使えない。つまりこの場はオリファの独壇場である。


「追え!」


「馬を用意しろ!」


 指示が飛び交い、壊れた門から兵士がどっと出てくる。ネルが弓兵の相手をする。オリファは次から次へと、弾き、突き刺し、かき斬った。攻撃が途切れたとき、血の滴る刃先を勢いよく向けた。歩兵らが怖気づいて後退りする。


 オリファは馬首をめぐらし、トリスタの横腹を蹴った。勇ましいいななき声が響きわたる。口笛を吹くと、横道に逸れていたロトが合流した。


「どけ!」


 騎兵の怒鳴り声に、歩兵が道を開ける。騎兵たちが石畳を蹴ってアーチから飛び出す。オリファは速度をあげた。土くれが勢いよく跳ねあがる。すぐそばの地面に矢が突き刺さり、ひやりとする。暗くて軌道が見えない。


「ネル!」


「分かっているわ!」


 ロトのすぐ上で、水がはじけて矢が落ちた。ネルの魔法である。オリファの目前でも水がはじける。やがて射程外になったのか、矢の雨が止んだ。


 妖精の笑い声が寒空に響きわたる。天高い場所で月が輝き、どこまでも広がる夜の闇が、大地を呑み込まんとしていた。不気味に思ったのか、あるいは深追いは不要と判断したのか、しばらくすると騎兵の姿は見えなくなった。


いつも評価やブックマークなどいただき、ありがとうございます。とても励みになります。感想などもお待ちしております。


次から7章がはじまります。

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