39話 決闘
「アリステル」
彼女はバルトの元へ、食事を届けたところだった。ユマの姿を認めると、盆を抱えて顔をひきつらせる。だが彼が携えるものに気づいて、きまり悪そうに鼻をこすった。それはユマが以前隠した、彼女の杖だった。
「何が狙いなの」
「今度の儀式について、知っていることを詳しく教えてほしい」
アリステルが杖を勢いよくひったくる。
「必要なことはしかるべきときに教える。それ以上のことを教えるつもりはない」
「マグナの許可は取った」
険しい視線が返ってくる。
「おまえに従う筋合いはない。おまえは魔法を使えない、役立たずだ。本来ならあの商人に売り飛ばされているはずの」
ひんやりとした空気があたりを支配した。
「喧嘩を売っているのか」
「買いたいなら買えば? きっと血まみれになって死ぬ」
アリステルが杖を構えると、調子を試すように微風が吹き抜けた。ユマはぎくりとして、「待て!」と言った。野蛮な田舎娘め、と心中で悪態をつく。
「それは平等じゃない。他のことで勝負しよう。まさか、魔法以外になにも能がないわけじゃないだろう?」
イルマとの口喧嘩がまた役に立った。頭に血をのぼらせた彼女が、盆と杖を脇に捨てた。動きやすいように外套を外し、腰に差した剣を抜く。二人のただならぬ気配に、村人たちが気づきはじめる。
「ぼくが勝ったら、儀式の調査に協力すると約束しろ」
「分かった。わたしが勝ったら――おまえを集会所の前で一日磔にする。それで、そこらじゅうの尿壺を頭からひっくり返してやる」
「……ああ、いいさ」
ユマも剣を抜いた。容赦ない思いつきに、内心おののいたことは秘密である。
互いに睨み合ったまま、二人は開けた場所へ移動する。仕事の手を止めた村人が一人、また一人と集まってきた。男たちが早くも、勝敗を予想して賭けをはじめる。子供たちがアリステルの名前を呼んで、声援を送りはじめる。女たちが洗濯桶を放り、アリステルを止めようと口々に説得する。
ユマはそのとき急に、相手が女であることが気にかかった。セール学園に女は通わないため、剣の試合は男としかやったことがない。いけ好かない奴とはいえ、顔に傷でも残ったらどうしよう?
「アリ……」
言い終える前に、青緑色の瞳がすぐそばまで来ていた。
咄嗟に避けるが、外套の端が裂ける。野次馬から歓声があがった。ユマは、外套の留め具をかなぐり捨てた。風にあおられた衣に視界を邪魔され、アリステルが舌打ちする。ユマは死角へ回り、斬りつけるが、瞬く間に彼女が振り向き、受け止められた。少し遅れて、頬に何かがしたたかに打ちつけられた。それは彼女のおさげ髪だった。
腕力はさすがにユマのほうが上らしい。相手は歯を食いしばり、押し切られないように踏ん張っている。刃がきりきりと震える。
ユマは剣を払う。すかさず受け止められるが、体勢が悪い。もう一度払う。刃の合わさる音が響く。突然力が緩まり、刃が流れた。逃がすか! 彼女の上腕から血が噴き出た。女たちの悲鳴があがり、ユマははっとする。傷が……。
「馬鹿にするな!」
怒りの一撃が頬をかすめた。ユマは間合いを取り、剣を構え直した。彼女の瞳が煮えたぎっていた。
「おまえ、手加減している」
血が顎につたう。ユマは牽制しながら呼吸を整え、意識を集中させた。
息を止めると、勢いよく間合いを詰めた。アリステルが息を呑む。刃の合わさる音が響きわたり、火花が散った。ちりちりと衣が焼ける。一合、二合、三合、と刃が交わる。四合目でアリステルの手から、剣がはじかれた。すかさず足裏で押すと、彼女が雪に尻餅をついた。鈍い音を立てて、彼女の剣が地面に刺さる。
ユマは刃を首に突きつけた。
群衆が沸き立った。ユマに賭けていた者が、喜びの声をあげる。アリステルが悔しそうに顔をゆがめた。息をつくと、ユマは剣を鞘におさめて、しゃがみこんだ。
「傷を見せて」
「触るな!」
猫だったら毛を逆立てる表情だ。そう思えば憎々しさは抜け、可愛らしくも思えた。ちょうど女たちが清潔な布と湯を持ってくるところだった。嫌と言うなら彼女たちに任せておけばよい。立ち上がったところで、血相を変えた女たちに取り押さえられた。
ユマは一瞬、身の危険を感じたが、頬を消毒され、軟膏を塗られただけだった。身体中を見回され、他に痛いところがないかを確認された。別の女たちがアリステルの傷口に薬草を貼り、止血のために腕を縛っている。
「後でマグナに診てもらいなさい」
女の一人がそう言うのを聞くに、タイニールは魔法で傷口も治せるのだろう。セール学園の教師にも一人、治癒魔法を使える者がいた。非常に高度な術だが、重要なのは呪文でも魔力でもなく、治療中に精神を乱さない集中力であるという。
ユマは脱ぎ捨てた外套を拾った。
「約束は守ってくれるだろうね?」
「守るよ」
歯ぎしりしながら、アリステルが応えた。これで協力者は得られた。ユマは、もう一つのやっておくべきことについて考えた。
「小屋の鍵を貸して」
「それは約束していない」
こいつと仲良くなる日は永遠に来ない、と心中で断言した。
「彼と話すのも重要な仕事だ」
しぶしぶ差し出された鍵を、素早く取る。それを携えて監禁小屋へ向かった。