表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夏の王冠  作者: sousou
5章
39/65

38話 妖精の加護

 翌朝、鎖の音が響き渡り、鳥かごが地面に着地した。間近で見ると、ネルが憔悴しているのがよく分かった。うるんだ瞳の輝きは失せ、羽が外套のように垂れ下がっている。扉の鍵が開けられても、すぐには羽が動かず、彼女はふらつきながら出てきた。


 檻から出ると、ネルの顔にみるみる生気が戻ってきた。全身が輝き、姿が消えたかと思うと、また現れる。調子を試すように、それが何度か繰り返された。


「ユマに感謝することね」


 言い終えると、タイニールが踵を返した。ネルは彼女の背が見えなくなるまで、頑なに黙っていた。やがて小刻みに震えだし、「二度と魔女には捕まらないわ」と言う。深々と息を吐くと、ユマの肩の高さまで浮遊する。


「オトモダチの件は任せて。人間に貸しをつくるなんて気持ち悪いし」


「うん。気をつけて」


 ユマの思考は一瞬、停止した。ネルが頬にキスしたのだ。


「一つ教えてあげる。〈悪霊〉も精霊の一種なのよ。そのことをよく考えてみることね」


 口角をあげた妖精は、幻が消えるようにいなくなった。


 昼になって、ネルの奇妙な行為の意味が分かった。タイニールがユマを見るや眉をひそめ、こう言ったのだ。


「ずいぶん気に入られたのね」


「何の話です?」


「妖精の加護がついている」


 ユマは驚いて頬を押さえる。人間と妖精が仲良く助け合っていたのは、ずっと昔の話である。そのため「妖精の加護」という単語は、おとぎ話の代名詞にすらなっていた。


 それはともかく、なぜ彼女は不満そうなのだ? そう思ったとき、ユマは気づいたことがあった。


「あなたとネルは、昔から知り合いなのですか」


 おや、という様子でタイニールが片眉をあげる。


「なぜそう思うの?」


「ここに来る途中の洞窟で、あなたと母の幼い頃の出来事を垣間見ました。奇妙なことに、ぼくが見たのは母が泣いている場面ばかりでした。涙の妖精(ミスティルー)は人の涙に惹かれてやってきます。あれはネルの記憶だったのではないかと思って」


「そう……あなたの仮説が正しいかどうかは分からないけれど」


 タイニールが指で顎をはさむ。


「妖精との関係については、正解よ。わたしは昔からあの妖精が気に入らない。イスファニールはあれが見えなかったけど、あれはいつもイスファニールのそばをうろついていた。あの子のことを気に入っていたのよ」


 ふむ、と思いながら、ユマは柱にもたれかかった。


「なぜネルが嫌いなのですか」


涙の妖精(ミスティルー)は縁起の悪い妖精だから」


「え?」


 あわてて口をつむぐが、ちらりと向いた視線を見るに、遅かったようだ。理知的な彼女が、そのような迷信を信じていることが意外だった。


「他の多くの子供たちと同じように、当時はそう信じていたの。ミスティルーが現れると不幸が起きるって。実際には逆で、涙を流す人の元にミスティルーは現れる。でも、どちらにせよ同じことでしょう。イスファニールはここに暮らしていたとき、悲しい思いばかりをしたということだから」


 タイニールは杖を持ち直し、家の敷居をまたぐ。


「あの妖精に非がないのは分かっている。彼女に気に入られているかといって、あなたに不幸が起きるわけではないことも」


 つまり、彼女は幼い頃の印象に支配され、ネルと仲良くすることができないのだ。理解と感情は別物である。その気持ちは分かる気がした。ユマはそっと、腕に残る火傷のような、掴み跡を見つめた。


 数日経つと、他村の者がリマを去り、村に日常が戻ってきた。次に彼らと会うのは儀式の当日となる。そのときには村の代表だけではなく、老人も赤子も含めて、環状山脈内に暮らすすべての者が集まるという。


 ユマはオリファに対する心配を振り払い、空いた時間のすべてを儀式に関する調査にあてた。うまくいかなければ、また一人――つまりバルトを――リマとヘテオロミアのために、犠牲にすることになる。それを想像すると居ても立っても居られなくなり、元から寝つけない夜が、さらに長くなった。


 そのときになってはじめて気づいたが、タイニールの家にある本のほとんどは、儀式に関連するものだった。一つの主題が分かった途端、無秩序だった本の山が意味のあるものに変わった。ユマはまず、本から情報を集めた。読み進めるにつれて、スィミアのものとは異なる、風変わりな字体にも慣れていく。


 タイニールの言う〈山の主〉は、絵を見る限り蛇のような姿をしていた。裂けた口に鋭い牙が並び、全身が黒の鱗で覆われている。精霊はふだん湖底で眠っているが、儀式が始まり、太鼓の音が鳴りだすと、目覚めて姿を現す。


 〈山の主〉は魔法を使う人間を食べない。それがなぜだか分からないが、慣習として毎年、魔法を使えない者が生贄として捧げられる。タイニールの話によると、むかし儀式の途中に誤って湖に落ちた者がいたが、精霊はその者に見向きもしなかったという。


 湖には人間の他にも、供物としてさまざまな食べ物が投げ込まれる。精霊はそれらを食べつくすと水底へ潜り、一年後まで姿を見せない。


 ユマは本で調査を進めることに平行して、人から話を聞いてみることにした。だが問題は、よそ者であるユマの相手を、村人がしてくれそうにないことだった。信頼を得るには時間がかかる。手短なのは、交換条件を提示することか。真っ先に思い浮かんだ顔の元へ、ユマは足を運んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ