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夏の王冠  作者: sousou
5章
37/65

36話 アンダロス人

 支度をしながら、ユマは役どころの詳細について聞いた。昨日から近隣の集落の者たちを招いて話し合っているのは、夏の初めに行う清めの儀式についてだった。タイニールが説明するにはこうである。


 ウリト山を含む近辺の山々はオストラス山脈と呼ばれ、環状に集落と湖を囲んでいる。件の儀式はその広大な湖、オストラス湖で行われる。


 湖へはリマから北へ直進すると辿りつく。それはヘテオロミアの住人にとってなくてはならないものだった。というのも、都市の水はすべてその湖から引いているからだ。


 湖水の純度が高いことは、当然ながら重要だった。そのため山の内部には古くから、水の女神(へヴェ)を祀った祠が多数ある。それらの点検と整備のために、七日に一度、村人たちが交代で洞窟を巡回している。ユマがアリステルに捕らえられたのは、この日だった。


 だが水を清潔に保つのに何より重要なのは、〈山の主〉の機嫌を損ねないことだった。それは山脈の内部に暮らす精霊で、蛇のような姿をしている。周辺に暮らす人びとは、文字として記録が残るはるか前、ヘテオロミアが都市として機能する前から、その精霊を崇める儀式を行ってきた。


「重要なことを先に言っておくと、この儀式では人身御供が必要よ」


 タイニールの言葉を聞きながら、ユマは沈鬱な気持ちだった。彼女が言っているのは、きっと幼い村の子供を貢物とした、あの儀式のことだ。否応なしにフェルーと結びつく。だがいま反論するのは得策ではないと思った。


「誰がその役を担うのです?」


「あのアンダロス人」


 ユマは驚きにひととき、言葉を失う。


「ふつう生贄といったら、集落で最も身分が高い子供や、魔法に優れた子供だと思いますが」


 彼女が肩をすくめた。答えるのが面倒といった感じである。ユマはつづけた。


「なぜこの地と縁もゆかりもないアンダロス人なのですか。それではまるで……」


()()()使()()()()()()が重要だから。あの子には祭典の日までに、作法等々覚えてもらわなければならない。あなたの役目は、あの子にそれを教えること。今日はひとまず、敵意を抱かせないような会話ができればいい」


 火の始末を終えると、タイニールは杖を取った。歩きだす彼女の後ろに、ユマは急いでつづいた。


「つまり、どこの村にも条件に該当する者がいない年には、あの男からアンダロス人を買うのですね」


「そうよ」


 きっぱりと言い放ったタイニールに、それ以上盾突く勇気はなかった。扉が開き、冷たい夜気が入り込む。ユマは身震いしたが、それは寒さのせいだけではなかった。タイニールが魔法の明かりを掲げた。


「近くへいらっしゃい、ユマ。明かりがないと足元が見えないでしょう」


 タイニールの後ろにつづいて宴会場へ入っていくと、弟子たちがこぞって不機嫌な顔を向けた。直毛の髪をもつ、鼻の低い娘がマティニール。目つきが悪く、背の高い青年がロクサン。そしておさげ髪で、ガラス玉のような瞳をもつ娘がアリステル。彼女が最も若輩で身体が小さかった。探す暇がないのだろう、携えるのは今日も自身の杖ではなかった。


 タイニールが宴の挨拶をし、みなが杯を掲げた。例の少年はそれには従わず、杯の水面に目を注いでいる。小太りの男に注意され、聞き入る様子を見るに、言葉がまったく理解できないわけではなさそうだった。


 嫌な役割だ、とユマは改めて思った。できるだけ存在感を消して座っていたが、タイニールが促すような視線を送ってきた。それに釣られて三人の弟子たちの視線が集まる。ユマはこっそりと吐息をついた。人と打ち解けるとか、敵意を抱かせないとか、そういうことはオリファの得意なことだ。すでに料理を囲んでいくつかの車座ができていたが、アンダロス人の少年は輪から外れて、杯とにらめっこしていた。ユマは立ち上がり、そばに寄った。


「飲みなれていないなら、無理して飲む必要はないよ」


 そう言って隣に座ったとき、鳥肌が立った。向けられた瞳は金色だった。目を丸くした少年が、じっとユマを見つめる。


「アンダロス語を喋れるのか」


 放心していたユマは、ずいぶん遅れて、水の入った杯を渡した。それから、言葉が通じたことに胸をなでおろした。


 はやくも沈黙がつづき、周りのやきもきとした雰囲気が伝わってきた。ユマは、焦らせないでくれ、との意を込めてアリステルたちを見返した。ただの初対面とはわけがちがう。当たり障りのない話題が思いつくのなら、ノクフォーン語でいいから教えてほしいものだ。弟子たちはなおもユマを監視しつづけた。ユマはたまらず立ち上がった。料理や人の脚をまたいで、タイニールの元へ向かう。客人の輪にいた彼女が、視線をあげた。


「マグナ。外へ出てもいいですか。彼も一緒に」


 タイニールの顔に、戸惑うような色が一瞬浮かぶ。しかし彼女は手短に言った。


「いいわ。あの子が村の外に出られないことは知っておいて」


 付加情報を気にしている余裕はなかった。ユマは手近にあったパン籠を取り、少年に一緒にくるよう促した。彼は警戒して眉を寄せたが、この場にいるよりはましだと判断したのだろう、大人しく腰をあげた。


 喧騒を扉の内に閉じ込めると、あたりが途端に静かになった。軒下の輪飾りが揺れ、かすかに音を立てている。陽が沈んですでに二刻が経ち、気温が恐ろしい速度で下がりはじめていた。ユマは階段に座り込み、小さく息を吐いた。


 すぐに、少年が腕を抱え、寒そうにしていることに気づいた。


「上着は?」


「もう着ている」


「そうじゃない。冬用の上着のことだ」


 そこまで言ってユマは、彼には十分な衣服が与えられていないのだと気づいた。戸口には村人たちが携えてきた、大小さまざまな角灯が並んでいる。その一つを取ったユマは、中の蝋燭に火をつけた。


「ついてきて」


 当然のことだが、ユマが扉を開けても、タイニールのときのように明かりはともらない。暗い家のなかを、角灯を掲げて歩き、長旅に耐えてきた自身の外套を探した。毛皮で裏打ちされたそれは、長椅子の背に掛かっていた。


「ずいぶんくたびれているけれど、手持ちで一番あたたかい外套だ。持っていていいよ。ぼくは別のを使うから」


 まじまじとユマを見つめながら、彼が外套を受け取った。それをまとうために、月明かりの下に歩み出る。風が吹き込み、頭巾が肩に落ちた。


 ユマは息を呑んだ。


 月光を受けて、少年の髪が淡く浮かび上がる。黄金だ。地平線すれすれで輝く月の色。黒髪こそ最も気高く美しいという観念が、はじめてぐらついた。振り向いた少年の顔が、逆光に縁どられる。その瞳からは、敵意が薄れていた。


「おれはバルト」


 知らないアンダロス語だ、とユマは思った。しかし次に続いた言葉で、それが彼の名前なのだと理解した。


「おまえの名前は?」


 二人は戸口に腰かけ、しばし無言でいた。ユマは節約のために蝋燭を吹き消した。それをバルトが不可解そうに眺めている。彼はおそらく、こう思っている――魔法の明かりをともせばいいのに。ユマは自分が魔法を使えないことを伝えた。それにほんの二日前にここに来たばかりで、不慣れなことが多いこと、ただしアンダロス語が分かるので通訳担当になったことを話した。


 ユマは携えてきたパン籠の存在を思い出し、一つ手に取って彼に渡した。おもむろに口に入れたバルトの顔つきが変わる。ユマも食べて納得した。酒に数日浸したと思われる、複数の干し果実の味が口に広がる。このような贅沢なパンは、スィミアを出て以来、はじめて食べた。バルトが無言で二つ目に手を伸ばした。


「アンダロスは」


 自分の口をついた言葉に、ユマはぎくりとする。だが相手が次の言葉を待っているので、続きを言わざるを得なかった。


「アンダロスは……どんな所なの? 友達がきみの故郷に憧れていて、前に言っていた。『りんごみたいな頬をした、太ったかわいい女の子』がたくさんいるんだって」


 返答はなかった――しばらくの間は。ユマはこのとき、アンダロス人とノクフォーン人の気質の違いを知った。夏風のような笑みが漏れたかと思うと、彼はこう言ったのだ。


「そういう子は多いよ。それに歌と踊りが好きで、大口を開けて笑って、うるさいくらいによく喋るんだ」


 知らない土地の話に耳を傾けていると、東に浮かんでいた月が、天中へ移動していた。身体が冷えてきて、暖炉が恋しくなる。


 集会所へ戻る前に一つ、やるべきことがあった。ユマはバルトを連れて、地下牢へ下りていった。牢獄に思うところがあるのか、彼の表情がやや曇るが、それも妖精を見るまでだった。


 バルトは当然、それまで妖精というものを見たことがなかった。しかし今のネルは肉体を持つため、ふつうの生物と変わらず、魔力を持たない人間の目にも映る。バルトは大きな灰色の瞳の、繊細な羽をもつ妖精に、しげしげと見入っていた。


「ヤムターンの血筋ね」


 ユマが渡した干し果実入りのパンを食べながら、ネルが言った。創世神話に登場する賢者の名前である。神話では、ヤムターンの子孫がやがてアンダロス人に、ヨダイヤの子孫がやがてノクフォーン人になったと伝えられる。


「新しいオトモダチなの?」


 ネルは不可解そうな顔をしていた。つまり彼女は妖精なりに、この地で暮らすアンダロス人が虐げられていることを理解しているようだった。後ろめたい気持ちで、ユマは視線を逸らした。


「オリファのことを覚えている? きみが馬車に乗り込む前に、見たはずだけど」


「ああ、巻き毛の子ね。あの人間がどうかしたの?」


「考えがあるんだ。きみが檻から出られるように、交渉してみるよ」



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