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夏の王冠  作者: sousou
4章
34/65

33話 食事

 目を開けたときには、ユマは冷たい地下牢にいた。


 白い息を吐き、外套をきつく巻きつけた。すべての生き物が死んでしまったかのような、静かな夜だった。あの銀の輪が立てる音が、そよ風にのって届いていた。鳥かごの中の妖精が、あおむけになって眠っている。それは通常では見ることのない、奇妙な光景だった。


 ユマは低く、歌を口ずさんだ。誰かが、歌にも魔力がこもると言っていた。かわいそうなネル。せめて魔法が使えたなら、助け出せたかもしれないのに。妖精には家族がいるのだろうか、とぼんやり思った。


「その歌はイスファニールが?」


 顔をあげると、暗闇の中から、毛皮の外套をまとったタイニールが現れた。


「……母はこの歌を、ぼくがほとんど夢のなかにいるときにしか歌いませんでした。ノイスター家の人間が、リマの歌を覚えるのはよくないと考えたのでしょう」


 彼女が牢の鍵を外した。


「出なさい。妹が大切にしていた子を、罰したりはしないわ」


 ユマは腰をあげなかった。しばらく格子扉を押さえていたタイニールが、それを離した。重々しい音とともに、扉が閉まる。


「お腹がすいたらうちへおいで」


 鍵束をくるりと回して、彼女が鳥かごを持ち上げた。びくりと身体を揺らして、ネルが目覚めた。


「ここから出してよ!」


 抗議を無視し、タイニールが手を振った。じゃらじゃらと音を立てて、鎖が降りてきた。よく見ると、天井には埃のかぶった鎖と、大小さまざまな鉄かごがいくつもぶら下がっていた。彼女が持ち手をかけると、鳥かごが勢いよく上昇する。ネルの声が遠ざかっていく。


 ユマは視線をタイニールに戻した。


「あの子を逃がしてくださいませんか」


「それはだめ。妖精は口が軽いから、あの場所を言いふらす。坊やに教えたようにね」


「ネルをどうするつもりですか」


「あなたには関係のないことよ」


 そう言い終えるや、タイニールは外套を翻して歩きだす。が、格子扉の閉まる音に、振り向いた。牢獄から出たユマは、黙って彼女を見返した。


「いいわ、ついていらっしゃい」


 うねる黒髪が跳ねる。その後ろ姿はイスファニールそのものだったが、おとぎ草の香りはしなかった。


 タイニールの家の煙突からは煙が昇っていた。階段をのぼり、中へ入ると、室内は温かい光にあふれ、煮物の匂いが立ち込めていた。調理場からことことと鍋の音がする。彼女は散らかった雑多な道具をどかし、絨毯の上にクッションを置いた。


「ここに座っていなさい」


 髪をくくりながら、彼女が部屋を横切る。ユマが膨大な量の本や瓶を眺めていると、「机の書類をいじってはだめ」と付け加えた。


「同居人はいないのですか」


「ええ」


 調理場から声が聞こえた。


「使用人でもいると思った?」


 ユマは歯切れの悪い返事をした。夫がいる可能性を考えたのだが、タイニールにはそのような発想がないようだった。彼女はつづける。


「あなたが何人の使用人に囲まれていたのか知らないけど、こういう小さな村では、自分のことは自分でできないと生きていけない。たとえマグナであってもね」


 皿を取り出す音が聞こえる。ユマは積みあがった本が気になり、題目を眺めてみる。『水魔の歴史』『蛇の食性』『薬草百科』『音楽と魔術』『信仰神と魔術の得手不得手』……。


「ユマ」


 顔をあげる。


「机を用意して。そのへんに立てかけてあるはずだから。あるいは何かの下に埋まっているか」


「探してみます」


 部屋が汚すぎることについては触れなかった。ラグをどかすと低い腰かけが二脚、見つかった。だが彼女は座椅子を好むようだから使わないだろう。これは箪笥、これは長椅子……。何度目かに本をどかしたとき、やっと低い机が見つかった。ユマは言った。


「机を拭くものをいただけますか」


 垂れ幕が一瞬だけあがり、ふきんが投げられた。ユマはそれで天板をぬぐう。埃は取れたが、何年も前のものと思われるしみは落ちなかった。


 タイニールが両手に皿を持ってやってきた。当然のように、足元のクッションを蹴ってどかす。女性らしからぬ振る舞いにユマは目を見張るが、急いで表情を戻した。ここは壁に囲まれた都市ではないのだ、何が起きてもおかしくない。


 食欲を刺激する匂いにつられて視線を落とすと、数種類のキノコと、大ぶりの肉が入ったシチューが置かれていた。見た感じ鹿肉である。そこにパンが二切れ突っ込まれている。タイニールがまた調理場に消える。今度は水差しと杯を持ってきた。彼女がくつろいだ様子で腰を下ろす。


「夕餉というより夜食ね。村のみんなはとっくに寝てしまったわ。果実酒は飲める?」


 料理を見つめながら、ユマは上の空で返事をする。杯に赤黒い液体が注がれた。満たされた気持ちで食前の祈りを捧げた後に、ユマははっとした。


「ぼくはネルをどうするのか聞きに来たのですが」


「食事が先よ、ひよこちゃん」


「……いただきます」


 見た目は野性的だったが、口に入れるとシチューは驚くほどおいしかった。「優れた魔術師が料理もうまいとは限らない」という諺があるが、彼女の場合、それは当てはまらないようだ。そのへんに転がる瓶をいくつか取ると、彼女は杯にも香草を入れた。


「試してみる? 身体にいいわ」


 果実酒は渋かったが、草の香りとよく合い、飲みやすかった。料理よりも先に水差しが空になり、同じ味の果実酒が出された。皿が空になると、一皿目と同じ量のシチューが盛られ、同量のパンが突っ込まれた。


「以前、あなたを探すスィミア人がここに来た」


 腹が満たされてきたころ、タイニールが口を開いた。


「いないと言っているのに、無理やり村に入ろうとするから、少し懲らしめてやった。ヘテオロミアの役人なら、あんな向こう見ずなことはしないはずよ。ともかくその時、あなたが行方不明で、役人の癇に障るようなことをしたのだと知った。同時に、わたしの嫌な予感もほぼ確信に変わった――もっとも、あなたが何をしでかしたのかは、尋ねなかったけれど」


 ユマは、彼女が杯に果実酒を注ぐ様子を眺める。


「スィミア人は、今でもあたりをうろついていますか」


「聞いた話では、ヘテオロミアを拠点にして、周辺を捜査しているとか。積雪量も少なくなったし、またここへやってくるはずよ」


 彼女はさまざまなことを疑問に思っているはずだった。ユマの存在を知っているなら、イスファニールに幼い娘がいたことも知っているはずだ。なぜユマだけが、自分の元を訪ねてきたのか。またなぜ、イスファニールが死なねばならなかったのか。


「マグナ……とお呼びしたほうがいいですか」


「タイニールでいいわ。二人のときは」


 ユマは姿勢を正した。


「タイニール。ここへ来た目的も含めて、すべて話します。それから、ぼくを奴らに売るか売らないか決めてください」



 *



 一睡もできなかった明け方、にわかに廊下が騒がしくなった。扉の向こうでマレタイの部下らが口々に何か言っている。オリファは重い頭を動かし、半身を起こした。


「おい、何事だ?」


 扉の向こうにいる見張りが、仲間に声をかけた。


「きのう都市へ向けて出発した奴らが戻ってきたんだ。マレタイさまはご立腹だ……逃げられたんだとよ」


 オリファは耳を疑った。ユマが逃げた? 鼓動が速くなり、扉に張り付く。


「まさか。牢馬車からどうやって脱出したんだ?」


「それが、よく分からないんだ。鍵が壊されていたが、馬車では魔法を使えないはずだろ」


 ヘテオロミア兵の会話を聞きながら、笑いがこみあげてきた。やったぞ。ユマはオリファが知る限り、最も優れた魔法使い――霊的存在に最も近づける者なのだ。運命の女神がユマを放っておくはずがない、と思った。


「だとしても、子供の脚に追いつけないなんてことがあるか」


「馬を盗られたんだよ。馬上では大人より子供のほうが有利だ。軽いからな」


 こらえきれず、オリファは声をたてて笑いだした。何事か、と思ってひとときうろたえた見張りが、「静かにしろ!」と扉を叩く。


「で、行き先は?」


 見張りが声を落とした。一応、オリファに聞こえては良くないと思ったのだろう。しかし辛うじて聞き取れそうだ。


「北へ向かったらしい。仲間を助けにここへ戻ってきていないのなら、山の向こうだな」


「リマか」


 小さなため息が聞こえた。何が不都合なのだろう。なかなか答えが聞こえてこないので、オリファは図々しくも、尋ねてみた。舌打ちが聞こえ、沈黙がつづいた。


「坊や、知らないんだな」


 見張りではないほうの男が、冗談めかした調子で応えた。


「ヘテオロミアで生まれた子なら誰でも知っている。リマには〈魔女〉がいるんだよ」


いつも評価やブックマークなどいただき、ありがとうございます。とても励みになります。感想などもお待ちしております。




次から5章がはじまります。引き続きお楽しみください。

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