表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夏の王冠  作者: sousou
4章
32/65

31話 捕囚

 額に水が落ちる感触にはっとして、ユマは目を覚ました。


 そこは洞窟の中だった。手に携えていたはずの魔法の明かりが、水たまりに浮いている。手を伸ばすが、指先が当たるや、それはさらに奥へ移動してしまった。ユマがいるのは入口付近とは明らかに別の場所で、天井までの高さが背丈の五倍ほどあった。あたりを見渡すがネルの姿はない。名前を呼ぶも、返事がない。


 明かりを回収するのはいったん諦め、それが流れていく方向に歩きはじめた。水が青いために、窟内全体が青みがかって見えた。ユマはネルの名前を呼びつづけた。


 前方で音が聞こえた気がして、すかさず剣を抜いた。黒い影が、上空で羽音を立てた。コウモリか。緊張を解きかけたとき、衣擦れの音が聞こえた。


「ネル?」


 水路を流れる明かりが、岩壁にあたって止まった。光に照らされ、岩棚の上に、ぼんやりと何かが浮かび上がる。


 そこには、背丈と同じ長さの杖を携えた、小柄な人物が立っていた。何色かは分からないが暗色の外套をまとい、長い髪を二本のおさげにして垂らしている。その人物は杖頭を向け、ひとときもユマから目を逸らさずに、岩棚から降りてきた。


「得物を捨てろ」


 威圧的な声には、少女らしい甘さも混ざっていた。ユマは口を堅く結び、剣を地に置いた。浅い水たまりを踏んで、少女が近づいてくる。薄暗いために顔はよく見えないが、眼光が鋭いことはよく分かった。彼女はユマが置いた剣を、素早く蹴って遠ざけた。足首にはまった銀の輪が、軽やかな音を立てた。


「どこから来た?」


「ヘテオロミア」


「この場所をどうやって知った?」


「妖精の手引きで」


「手を後ろに回せ」


 言う通りにすると、両腕を拘束される。少女は余った縄を、自身の腕に巻きつける。


 ユマの腰から、少女が鞘を取る。彼女は拾った剣を鞘に収め、自分の懐に入れる。波音がしたかと思うと、魔法の明かりが彼女の手に収まっていた。


「歩け」


 杖で脚を打たれる。ユマは口を開いた。


「どこへ連れていくつもり?」


 返答の代わりに、杖で脚を打たれた。ユマは黙し、歩きだした。


 少女は洞窟の構造を熟知していた。どの分岐点でもひとときも止まらず、「右へ」「まっすぐ」などと、前を歩くユマへ指示を出した。一定間隔で小さな祠があったが、何をまつっているのかは暗くて分からなかった。加えて余所見をすると、杖によってしたたかに打たれた。


 やがて行き先に淡い光が見えた。近づくにつれて、それが岩の隙間から侵入する光だと分かった。それまで後ろを歩いていた少女が、はじめてユマの前に進み出た。杖をかざし、言葉をつむぐ。


 行く手を塞いでいた岩が動きだした。流れ込む新鮮な空気に安堵し、ユマはそれを深く吸い込む。樹冠が下方に広がり、黒い海のようにさざめいていた。薄明の空に月が浮かび、その横に一つ、星が輝いている。


 月明かりによって、少女の顔がはっきりと浮かび上がった。風であおられたおさげ髪が背後の闇へ流れる。青緑色の瞳がユマを捉えた。ガラス玉のように丸く澄んだ、大きな瞳だった。


 綺麗な瞳だ、とユマは思った。それが声に出ていたのか、脚に激痛が走った。


「次に口を開いたら腕を折る」


 ユマは彼女に背を向け、歩きだした。


 半刻ほどかけて岩場を下り、小径に合流した。道沿いに雑木林を進んでいると、前触れもなく魔法の明かりが消えた。身構えた少女がその残り香をかぎ、難しい顔をする。ユマは驚かなかった。よくある仕組みだ。周囲が十分に明るくなると、明かりが消えるようになっている。


「ねえ」


 ユマが話しかけると、少女は顔をしかめた。


「ぼくに会う前に、妖精に会わなかった?」


「無駄口を叩くな」


 杖で背を押される。ユマは肩ごしに彼女を見る。


「腕は折らないの?」


 イルマとの喧嘩で、嫌味に見せる顔なら熟知している。彼女が怒りに息を吸う。ユマはつづけた。


「きみ、まだこの仕事に慣れていないんだろう」


 うるさい、と彼女が言い終える前に、ユマは足で杖を払った。小さな叫び声があがり、石飾りが音を立てて落ちる。そのままユマは体当たりし、少女もろとも倒れた。彼女の剣を抜き、腕を拘束する縄を断つ。


「動くな」


 少しでも身じろぎすれば、血が噴き出る位置に刃を当てた。少女が生唾を飲み込んだ。


「おまえはリマの住人か」


 ユマが問うと、小刻みに揺れる瞳がそうだとうったえた。まるで声を出しても首を斬られると思っているようだった。


「ぼくを捕らえた理由は?」


「……あの場所はわたしたちの神聖な場所だ。侵入者がいれば捕らえる」


「捕らえた後はどうする?」


「マグナが決める」


「マグナとは?」


「村の長であり祭司」


「あの洞窟に、他に仲間はいたか」


「いた……わたしの他に一人。だけど妖精を捕らえて先に帰った。わたしは一人で見回りをつづけた。そしておまえを見つけた」


 どうやら、あの空間からは妖精まで締め出す決まりらしい。


「タイニールという名の女性を知っているか」


 少女の瞳が困惑の色を浮かべた。ユマは眉を動かし、彼女を茂みへ引きずった。


「懐の剣を出して向こうへ投げろ。へたなことをしたら首をかき斬る」


 少女はユマの剣を取り出すと、震える手で地面へ放り投げた。一ミアほど離れた場所にそれは落ち、薄くつもった雪に沈む。ユマは自分が縛られていた縄で、彼女の両手を縛る。それから縄を幹にまわした。少女の持ち物から手ぬぐいを見つけると、彼女の声が出ないように、口に噛ませて縛った。


「杖は適当な場所に隠しておく。そのうち見つけられるさ、自分の杖なんだから」


 ユマは剣を拾って道に戻った。明らかに目立つひと悶着した跡を、雪をならして消す。足跡がここで途切れていることに関しては仕方ない。仲間だという他の足跡に紛れて、見つからないことを祈ろう。少女が魔法を使って抜け出す心配はしなかった。魔法には自身の心理状態が深く影響する。あの脅えようで杖がなければ、魔法を使った途端、自分を怪我させてしまうだろう。


 風が強くなってきたかと思うと、太陽の片りんが山の端から顔を見せはじめた。枝葉から解けた雪が、したたりながら光を放つ。茂みの中に杖を隠したとき、高い鳥の鳴き声が空にこだました。もうそんな季節か、とユマは頭の片隅で思う。森の静寂が破られると、芽吹きの季節が訪れる。


 顔をあげたとき、視界に入った鮮やかな色に驚いた。枯れ蔦をのけて、足を速める。心乱された。それは幸せな記憶をいくつも呼び覚ました。青緑色の水面が、宝石のような輝きを放って目前に広がっていた。


 ユマは革袋に水を満たし、栓をした。しばらく水面を眺めるが、そこに幻影は現れない。イスファニールはスィミアの湖のことを、「わたしの湖」と呼んでいた。しかし本物はスィミアではなく、故郷に存在したのだ。ユマは岸辺でしばし、母のために祈った。


 そこからは一度も休憩せずに歩いた。どこからか雄鶏の鳴き声が聞こえ、枝ごしに細くたなびく炊煙を見た。ユマは歩調をゆるめ、あたりに気を配った。打ちつけた杭を縄でつないだだけの、粗末な柵が現れた。その向こうには、丸太造りの家々が点在している。


 鶏を抱えた少年が、ユマの姿に気づいた。大人たちの注意を引き、突如あらわれた部外者を指さす。他の者がいっせいに顔を向けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ