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夏の王冠  作者: sousou
4章
31/65

30話 母の過去

 次に目を開けたときには、ユマは暗い室内にいた。幼さのやや抜けたイスファニールが、月明かりが差し込む寝台で膝を抱えている。悪夢を見たのか、彼女は息を乱していた。少し落ち着つきを取り戻すと、隣で眠る少女を見やった。双子の姉は白い腕を自由に投げ出し、健やかに寝息をたてていた。鼻をすすったイスファニールは、ガウンを取って立ち上がる。彼女がそっと部屋の扉を閉めるとき、タイニールが目を開けた。タイニールは半身を起こすと、妹が出ていった扉を、静かに見つめていた。


 かっと差した陽の光に、ユマは目を細めた。見ると、儀式用の衣をまとった双子が、小川で身を清めているところだった。先ほど見た彼女たちより、顔が大人びていた。


「来年の巫女はライエルだって」とタイニールが言った。


「いくら双子が珍しくても、いつまでもわたしたちが巫女役を務めるわけにはいかないものね」


 イスファニールが頷いた。


「タイニール。あなたは素晴らしい魔術師になるわ」


 タイニールが髪の水気をしぼる手を止め、イスファニールを見返した。


「……本当に村から出ていくの?」


「前から決めていたことだから」


「わたしと一緒に魔法の修行をしようよ」


 イスファニールが口元をゆるめるが、首を横に振った。


「知っているでしょ? わたしは魔法が苦手なの」


 タイニールが口を開きかけたが、何も言わなかった。


 荷馬車に揺られるイスファニールが、大きな町の門をくぐる。城壁にはためくのは翼をもつ獅子の旗だった。村を出て彼女がやってきたのは、ヘテオロミアだった。


 イスファニールは大神殿に入り、見習として置いてくれるよう、神官に頼みこんだ。年配の女神官は、また乞食みたいな娘が来たものだという表情を浮かべ、慣れた動作で石板を渡す。そこには神官見習になるための条件が書かれていた。上から下まで文字を眺めると、イスファニールは顔をあげた。


「読めません」


「見習になる資格がないということね」


「じゃあ、文字を読めない人はどうやって文字を読めるようになるの? 見習にならなきゃ、神殿付属の学校にも通えないわ」


「わざわざ学のない田舎娘を雇う義理はないの。ヘテオロミアには山ほど子供がいますからね」


 イスファニールの瞳に力がこもったかと思うと、石板の割れる音が響きわたった。神殿にいた見習の少女たちが悲鳴をあげた。呆気にとられた神官が、何も言葉をつむげないでいるうちに、イスファニールは歩きだした。


 彼女は結局、「ばばさま」の知人を訪ね、商家の小間使いの仕事を得た。食事と眠る場所には困らなかったが、給金はもらええず、日の昇る前から夜遅くまで働きどおしだった。その間に彼女は、商売に使う簡単な文字や数字を覚えた。


 風になびく麦の色が黄金に変わりはじめ、渡り鳥が南へ飛んでいく。働きはじめて数カ月が経ったころ、イスファニールは立ちくらんだ拍子に、高価な水差しを割ってしまった。破片で傷がついた指に、血がつたうさまを見て茫然とする。店主に大声で怒鳴られ、彼女は街路に放り出された。


 北風が吹きつけ、夏が駆け足で終わろうとしていた。暗い路地に座りこむイスファニールは、粗末な外套にくるまり、火をともす呪文を唱えた。だが魔法を持続するだけの十分な体力がなく、小さな火しかともらなかった。役立たず、そうつぶやいて彼女は顔をゆがめた。


「魔法なんていつでも役立たずよ」


 砂利を掴んで投げつけると、一瞬で火がかき消えた。イスファニールは両手で土をすくい、涙で濡れた頬にこすりつけた。これは護身のためだった。彼女はその頃からすでに、着飾った貴族の子女が見劣りするほどの美貌をもっていた。


 イスファニールは生活に余裕がありそうな家から家へと、渡り歩いた。働き口はないですか、扉が開けられると同時に彼女は問う。噴水の水を飲んで空腹を紛らわし、耐えられなくなると、犬のように露店の残飯をあさった。ときには豪商の庭に侵入し、転がるりんごを前掛けいっぱいに抱えて持ち帰った。


 ときどき、同年代の少女が彼女に興味を示し、近寄ってくることがあった。少女たちは濃い化粧をしていて、外套の下は薄手の服しかまとっていなかった。


「ねえ、お金に困っているの? わたしたちの所に仕事があるわ」


 さっと顔を強張らせると、イスファニールは返答もせずに、少女から離れていく。そしてより多くの泥を顔に塗りたくる。都会育ちのユマはすぐに、少女が何の商売をしているかを理解した。だからイスファニールが彼女たちについていってしまうのではないかと、気が気でなかった。


 しかしイスファニールは一文なしではなかった。帯の裏に縫いつけた硬貨の感触を確かめながら、市門を行き交う荷馬車を眺める。彼女はずっと、村に帰られるだけの資金をとっておいたのだった。


 太陽が雲に隠れる日が続いたある日、イスファニールは少ない荷物を整理して旅支度をはじめた。ありったけの毛布を集め、外套のように着込むと、古びた剣を腰に差した。


「馬車に乗せてくださいな」


 彼女が話しかけたのは商人だった。一度は無視しようとした男は、娘が硬貨を握りしめていることに気づき足を止めた。みすぼらしい恰好をじろじろと見た。


「どこへ行くつもりだね?」


「どこでもいいわ。ここと同じくらい大きな町へ」


 空色の瞳には強い決意が宿っていた。






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