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夏の王冠  作者: sousou
4章
30/65

29話 抜け道

 街道へ戻り、できる限り距離を稼いだ。だが馬車で進んできた道を、そのまま戻ることははばかられた。もう村には近づけまい。見つかったら最後、今度は三人どころの兵ではない。マレタイの元には、明日の昼ごろ、情報が届くだろうか。


「ネル」


 沈黙がつづいた。ユマはもう一度、名を呼んだ。


 三度目で、ふてくされた顔をした妖精が現れた。


「あなたのやり方は好きじゃない。なぜ魔法を使わないの」


「使わないんじゃなくて、使えないんだよ」


「うそよ。怖がりなだけ」


 ふん、と鼻を鳴らして、ネルが羽ばたいた。


「こっち」


 ユマは無言で馬を進めた。ネルの言うことなど気にすることはない。妖精と人間は根本的に考え方が違うのだから。だが自身のしぐさに苛立ちが隠せなかった。怖がり? 怖かろうが怖くなかろうが、魔法は使えないのだ。


 月光が照らす森へ分け入り、邪魔な枝をのけながら進んだ。ネルの羽が光の軌跡を残す。奥へ行くにつれてあたりは暗くなっていくが、追手に見つかることを恐れて、明かりはつけなかった。昼間でも光が届かないような、トウヒの森である。悪霊がまた現れそうだった。呼応するように悪霊に捕まれた腕が痛む。


「ネル、本当にこの方角なの?」


「疑っているの?」


「ちがうよ、不安なだけだ」


 いまだに瞳に不満を宿していたネルが、表情を消した。


「またあれが現れたら、助けられる保証はないわ。あたしの力じゃ、あなたに付きまとう霊には敵わない」


「構わないよ。ただ、そばにいておくれ」


 ネルがしばし、黙り込んだ。


「その頼みごとには、対価はいらない気がするわ」


 肩に座った彼女が、そこから方向を指示した。ミスティルーという名の通り、涙にぬれた灰色の瞳が、ときたまユマをじっと見つめた。


 やがてユマは、周囲と異なる空気の匂いを感じた。「着いたわ」と言ったネルが肩から離れた。


「山の向こうへ行く抜け道よ。ここはリマの人間にとって神聖な場所で、村人以外にこの道を知っている人間はいないの」


 ネルが光を灯すが、ユマに入口らしきものは見えなかった。しかし、どこかからしめった匂いがする。ユマは下馬し、手探りで岩壁を触る。すると、ある地点で手が雪を突き抜けた。岩と岩の間の、狭い隙間だ。ネルは自分の体の大きさを前提に話しているのだろうか。


「この隙間は通れないよ」


「ばかね、塞がれているのよ。誰も通れないように」


 ユマは岩に手をかける。動かそうとするが、びくともしない。


「ちょっと、本当にばかなの? 魔法がかけられているのよ」


 ユマの不満をよそに、ネルがいくつか言葉をつぶやく。重々しい音をたて、岩が動きはじめた。


 目前に広がる深い闇に、既視感を覚えてユマは立ちすくんだ。銀の軌跡を残し、ネルが闇へ消えようとする。「待って」とユマは言う。


「ちがう道はないの? なんというか、ここは嫌な感じだ」


「ないわ」


 そう言い残してネルが行ってしまう。ユマは観念して、馬を手放した。手の震えを押さえるために、剣の柄を強く握る。背後で岩の動く音がして、外界と隔絶された。





 ちかちかと光がまたたいたかと思うと、まぶしい明かりが灯った。ネルがひとつ、光の玉をユマによこす。足元には起伏があり、気をつけないとすぐに転びそうだった。鼠か何かの小動物が、素早く横切っていった。


 先の見えない闇を見つめてユマは足がすくむ。逃げ出したい。しかしどこへ? 進まなければマレタイに捕まる。


「道は分かるの?」


 そう尋ねたとき、どこからか声が聞こえた。ユマは戦慄した。


 小さな女の子が一瞬、光の輪のなかに現れた。あれはフェルーだろうか。瞳は空色だが、彼女にしては肉付きがよい。頬が赤く、弧を描く唇も赤い。うねる黒髪が腰元まであり、粗末な亜麻布の衣をまとっている。


「待って!」


 一瞬、ネルが言ったのかと思った。だが彼女は黙って前方を見ていた。


「待って、イスファニール!」


 親しみのある名に、はっとする。別の方向から駆けてくる脚が見えた。ユマは光の玉を掲げる。露わになった人物は、先ほどの女の子と、後ろ姿がまったく同じだった。


「いまのは何?」


 ユマは尋ねるが、返事がない。視線を動かす。


「ネル?」


 妖精はいなくなっていた。それどころか、そこは洞窟ですらないようだった。


 木の葉が顔に吹きつける。次にユマが目を開けると、花冠をのせた瓜二つの女の子が二人、草原で向かい合って座っていた。


 長い睫毛を伏した目が、じっと手元の花を見つめていた。木漏れ日が揺れ、衣に丸い光の模様をつくっている。ひとりが髪を耳にかけ、身をのり出した。


「見て、イスファニール。妖精がいる」


 もうひとりの顔がさっと赤くなった。


「わたしには見えないよ」


「ここよ。ほら、よく見て」


「見えないの」


 少女が立ち上がる。長衣の裾がなびき、たんぽぽの綿毛が散った。


「タイニール。わたしにはそんな力、ないの。ばばさまも言っていたわ」


 少女の目から涙がこぼれおちた。たまらず袖で涙を拭き、背を向ける。もうひとりが止める前に、少女が駆けだした。


「イスファニール!」


 後ろから伸びた手が、追いかけようとする少女の肩をつかむ。引き留めたのは腰が曲がった、盲目の老女だった。


「放っておきなさい」


「でも……」


「あの子は自分に素直じゃないだけだよ。魔法に脅えているんだ。どうしてかは分からないけどね」


 ユマは泣きじゃくる女の子を追いかけた。イスファニール? これは母の幼い頃の記憶なのか。絡まる蔦をくぐると、青緑色の湖のほとりに少女がいた。ユマは一瞬、スィミアの湖かと思った。だが鬱蒼とした木々に囲まれたこの湖は、もっとこじんまりしていた。ここは彼女の居場所だったのだ。ユマが学園の時計台を居場所にしていたように。


 うつぶせに寝そべったイスファニールが呪文をつぶやき、手元に魔法を生みだす。現れたのは、きらきらとした氷の結晶だ。


「みんな忘れてしまったんだわ。わたしたちがオレアンを殺したこと……」


 彼女の手から落ちた氷が、ぽちゃん、と音を立てて湖へ沈んだ。水面が揺れ、人影がいくつも映しだされる。ユマは湖に寄った。


 村人たちが、この湖よりもはるかに大きな湖の前に集まっていた。水際には飾り立てられた祭壇が設えられている。杖を持った盲目の老女が、民に語りかる。ユマはそのなかに二人、同じ顔をした少女を見つけた。背丈から判断すると、六、七歳だろうか。純白の衣をまとい、頭に常緑樹の冠をのせている。明らかに彼女たちは、この儀式で特別な役割を担っているようだった。


 前へ進みでた少女たちは、祭壇を中心に二手に分かれ、湖にむかって言葉をつむぐ。波が立ち、巨大な何かが水面下で動いた。それまで無表情だった少女のうち、ひとりが恐怖に息を呑む。彼女がイスファニールだ。


 イスファニールは老女と村人の視線を気にしながら、懸命に祝詞をつむぐ。やがて村人たちが二つに割れ、道ができた。そこを二人の男が進んできた。いや。二人と、一人の少年である。次に何が起こるかを理解してユマは動揺した。見たくない、そう思ったが、もはや湖畔で氷をもてあそぶ娘の姿はいなかった。気づくとユマは、小さなイスファニールの隣にいた。


 家畜のように首輪をされた少年もまた、イスファニールと同じくらいの年だった。驚くべきことに、少年には何の感情も浮かんでいなかった。大人たちも同様だ。彼らにとって、これは月が東から昇ることと同様に当然のことなのだ。


「ばばさま……」


 ユマは、イスファニールの感情が手に取るように分かった。老女がめしいた目を向ける。


「七歳になって魔法を使えない者は、山の主に捧げる決まりじゃ。あれは山羊や牛の生贄と変わらないんだよ」


 ユマはぞっとして声もでなかった。イスファニールは瞳を大きく見開いたまま、唇を震わせていた。


「オレアン……」


 それが彼女の精いっぱいの反論だった。老女はもはや、少年を名前ですら呼ばなかった。


 少年が祭壇に立たされると、村人が歌い、太鼓を叩きはじめた。波が大きくなり、異形の牙が見え隠れする。歌声が大きくなり、少女たちは両手を掲げて舞った。


 祭壇の両脇に立った男たちが、少年の肩を押した。ゆっくりと身体が傾く。イスファニールが動きを止め、その澄んだ瞳をまっすぐに向けた。水面から巨大な影が飛び出した。


「オレアン‼」

 

 イスファニールが叫び、咄嗟にユマは目を瞑る。


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