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夏の王冠  作者: sousou
1章
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2話 無信仰者

 夏の終わりのあの日のことだ。すでに空には厚い雲が垂れ込め、雪がちらついていた。すれ違うあどけない顔立ちをした少年たちは、膝も鼻も真っ赤にしていた。オリファが白い息をまといながら、寒さに足踏みした。


「ねえ、ユマ。テオル山脈の向こうには、りんごみたいな頬をした、太ったかわいい女の子がたくさんいるんだって」


 ユマにとっては不可解この上ないが、オリファは「テオル山脈の向こう」に強い関心をもっていた。友人は目を細めて、少年たちであふれる廊下を残念そうに眺める。子女の教育は神殿付属の学校で行われるものだ。セール学園には太った娘どころか、娘自体、存在しない。


「いつも思うけど、その情報はどこから仕入れてくるんだ?」


「父さんが持ち帰る文献を盗み見るのさ」


「真面目な論文に、〈かわいい〉って単語が書かれているわけないじゃないか」


 だいたい、野蛮なアンダロス人がかわいいものか、とユマは思う。オリファが両手を広げ、得意げになる。


「想像力だよ。〈やや肥満体の〉ときたら、かわいいに決まっている」


「太っているのと、かわいいのは別だ」


「同じだよ。おれにとってはね。ユマにとっては――」


 何を思いついたのか、オリファが顔を明るくした。


「ねえ、きみの妹はかわいいんだろう? どうだい、フェルーちゃんに会えると思ったら、この忌々しい季節も乗り越えられると思うんだけど」


 ユマは肩をすくめた。一般的に、未婚の子女を親族以外の男性に会わせるとなれば、家長の許可を取らねばなるまい。つまりヨダイヤの許可を。露骨な態度としては現れないが、父はフェルーを気にいっている。なぜって、フェルーは()()()()()()()()娘なのだ。どのように話を運ぶか、考えるだけで気が重かった。


 ユマは一つ、思いついた。


「女の子に会いたいなら、きみにはレヴァンニがいる」


 途端にオリファが顔をしかめた。レヴァンニとは彼の幼馴染で、いわく「姉さんより怖い」娘らしい。レヴァンニは馬具職人の娘だから、友人であるオリファの馬に付ける道具は、すべてその工房で制作されていた。


 なんだかんだ言いながらも、オリファは彼女を好いているのだと思う。ユマは二人が一頭の馬にまたがり、楽しそうに遠乗りに出かける姿を何度か見たことがある。もっとも彼が言うには、自身の馬を持たない彼女に「たかられている」のだという。


「ふん、いいさ。今日は下町に行って、かわいい女の子を探しにいこうじゃないか」


 オリファの宣言通り、鐘が響きわたる午後に、二人は繁華街へと下りていった。雪が降りはじめたとはいえ、まだ市場はにぎわっている。これがひと月後ともなると、地産のものを売っている店以外はすべて閉まることになる。街道が街道と識別できなくなるほど深く、雪に埋もれてしまうからだ。


 セール学園の制服は誰でも知っているから、二人が店先を歩けばよい金づると思われ、さまざまな品をふっかけられた。陰気なスィミア人らしくないオリファが好んで、顔なじみの店番と世間話を交わす。「いつもの連れ」に気づいた店番が、りんごを一個、ユマに投げる。オリファも籠から一個つかみ、硬貨を二枚、天板に置いていく。


 噴水の広場へ行くと、月の女神(イレネ)が抱える壺から、ちょろちょろと水が流れでていた。夏には盛大な音をたてるそれが、いまはほとんど壺に張りついて凍っている。二人はへりに腰かけ、りんごをかじった。


 しばらくするとオリファが、父親の部屋からくすねた、天体観測用の象限儀をいじりはじめた。口ではああ言うが、彼は年ごろの娘よりもずっと、天体の動きや、それに応じた霊気の満ち欠けといったものに興味があった。ユマものぞき込んで、使い方についてあれこれ話し合う。


 そうなるといつもは、日が暮れるまで遊びに夢中になってしまう。だがその日は、それを中断せざるをえない騒ぎがあった。二人がしゃがみ込んで、地面に天球図を描いていると、広場の片隅に、市兵が集まりだした。売り子の呼び声が止み、人びとが不安げに顔を見合わせる。棒切れをもったまま、二人は立ち上がった。


「離して! 離してちょうだい!」


 ぼろきれをまとった女が叫んでいた。泥だらけの長靴や外套をまとっている姿を見るに、市外からやってきたばかりだと分かる。か細い腕を市兵によって掴まれた女は、その状況から逃れようと懸命にもがいていた。彼女のそばには所持品と思しきこまごまとした物と、石壁の破片が転がっていた。よく見ると、女はその破片に手を伸ばそうとしていた。


「壊すの、壊すのよ、あの忌まわしい像を!」


 壊す対象となりそうな像など、広場には一つしかない。その考えにユマが戦慄したとき、平手打ちの音が響いた。オリファが肩を揺らし、ユマは目をそらした。


「無礼者! わが町の守護神を侮辱するか!」


 市兵が女の腕を縛りあげた。女はばたばたと足を動かし、全身をよじって暴れ、なおも叫びつづける。


「イレネ! 忌まわしいイレネ!」


「こいつを役所へ連行しろ!」


 状況を見守る人びとが、衝撃で固まっている。オリファがユマの腕に触れ、ささやいた。


「無信仰者だ。はじめて見た」


 無信仰者。神々とその偉大な力を信じない者のことだ。魔法はこの世に満ちた、神々の霊気によって成り立つ。その恩恵を受けている者は誰でも、神々の存在を知っているが、その恩恵を受けていない者は、神々の存在に疑念を抱く。そのため、まれに生まれる魔法を使えない者は、無信仰者になる傾向があった。


 目を細めたユマはしかし、憎しみがうずまく女の周囲にかすかに輝く力の流れを見た。彼女自身がもつ、霊気を導く力――魔力である。


「でも、魔法が使えないわけではないみたいだ」


「きみってそんなことまで分かるの?」


「いつでもってわけじゃないよ。たまに、怒っている人や泣いている人の周りに、その人の魔力が見えるんだ。ちょっと後をつけてみよう」


 女を連行する市兵の周囲は、群衆が割れていた。二人はそれに平行し、雑踏をすりぬけ進んでいく。大人より頭二つ分ほど背の低い少年たちは、黒猫のように俊敏だった。


「おっと、隠れろ!」


 オリファがユマの頭を押さえた。


「イルマだ」


 ユマの耳にも異母兄弟の声が届いた。そうだ、市場はイルマがよくぶらついている場所だった。出会えば喧嘩になるからと、オリファは奴を避けたがる。


「あいつ、何をするつもりだ?」


 とオリファが言った。イルマが仲間のかじっていたりんごを取り上げた。かと思うと、鎖につながれている女に投げつけた。


 直後、傍観していた市民が賛同するように沸き立った。みなが女に向けて沙汰なものを投げつけはじめる。小石、木片、残飯の骨。


 女が腕を顔まわりに掲げて大声で罵倒する。もつれあった髪に血がにじむ。


「この町に不幸を! イレネの僕たちに不幸を!」


 暴徒と化した市民に、ユマとオリファはもみくちゃにされた。


「制裁を!」


「無信仰者に制裁を!」


 叫び声があがり、周囲がしんと静まり返った。女が地に倒れていた。


 何を投げつけられたのか、女が抑えた脇腹に血の染みが広がる。あるいは、魔法で傷つけられたのかもしれない。魔法による殺傷事件が起こると、いつもは犯人を捕まえようと躍起になる市兵が、今回は取り巻きを遠ざけるのみだった。広がっていく血だまりを見ながら、医師を呼ぼうとすらしない。


 無信仰者だから?


「やめておけ」


 ユマは、オリファの腕を振り切って進んだ。女が頬を地につけたまま、顔を動かす。視線が交わる。近くで見ると、女は思ったより若く、母と同じくらいの歳に見えた。ユマは膝をつき、婦人に手を伸ばした。が、あっけなく市兵に抱えられ、足が宙に浮いた。ユマは悪態をつく。


「坊や、お祈りはいりませんよ」


 女が、かろうじて聞き取れる声で言った。


「神々はわたしの家族を奪った。だからわたしは神々の元へは行かないのです」


 ユマは抵抗するのをやめた。市兵に連れられ、女が遠ざかっていく。祈祷がだめなら、死にゆく者に対して、何をしてあげられるのか分からなかった。


 やがて女が動かなくなった。


 市兵に放り出された先でユマが突っ立っていると、役人がやってくる様子が見えた。足元まで届く、分厚く暖かそうな外套をまとっているが、顔をしかめ両手をすり合わせている様子を見るに、屋外にいることに実に不快そうだ。役人はのろのろと市兵のそばに寄ると、年嵩の者と二言、三言、会話を交わす。いつの間にユマのそばに来たのか、意地の悪い笑みを浮かべたイルマが話しかけてきたが、内容はまったく耳に入ってこなかった。


 その夜、就寝の挨拶を終え、部屋を出ていこうとする母を、ユマは引き留めた。枕元の椅子に座り直す彼女に、広場での出来事を話した。


「みんなあの人のことを、正気を失っていると言った。でも、しかるべき理由があれば誰でも、あの人のようになるんじゃないかな。だって、人は良いことがあれば神々のおかげだと言い、嫌なことがあれば神々のせいだと言うから」


 燭台の火を見つめるイスファニールが何を思っているかは、表情からは読み取れなかった。ユマは毛布から手を出し、彼女の腕に触れた。


「ねえ、お母さま。誰にも、あの人をおかしいと言う資格はないでしょう?」


 黙していた母が、向き直った。「そうね、ユマ」温かい手が、手を取った。


「多くの人が主張する意見が正しいとは限らない。あなたはこれからも、自分が正しいと思う意見を主張することを、恐れてはいけないわ」


 母の瞳は気高く、強く、まっすぐだった。


「あの人の魂はどうなるの?」


「……祭司さまなら、神々に召されない魂は、地上に留まり悪霊になると答える」


「お母さまなら?」


()()()()()()()()()()()()なんて、どこにもいないと答えるわ」


 ユマが口元をゆるめると、彼女も微笑んだ。


「もうおやすみなさい、ユマ。イレネが川の妖精の元に遊びに行く時間よ」


 額にキスされたとき、おとぎ草の香りが鼻をかすめた。いつもユマを落ちつかせてくれる、母の香りだった。

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