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夏の王冠  作者: sousou
4章
29/65

28話 涙の妖精

 暗い場所で揺られつづけていると、時間の感覚がなくなってくる。このような田舎で、牢馬車を用意できるとは驚きだった。加えて、どことなく重い空気もたれこめている。ユマにとってはどちらでも同じだが、おそらく、魔法封じの魔法がかけられているのだ。


 幻影はいつも、暗い場所に現れる。ユマは、ときたま車内の隅にぼんやりと光が浮かび、羽がはためくのを見た。だがいつもの幻影とは少し違う気がする。ユマは光が現れるたびに目を凝らしたが、それはなかなか姿を現さなかった。


「そこにいるの?」


 小声で尋ねるも、応えはなかった。当然のことだが道の舗装はされておらず、馬車の乗り心地はすこぶる悪かった。これなら歩かされたほうがましかもしれない。膝を抱き、目をつむって揺れに耐えた。


「……」


 顔をあげ、耳をすませた。何かが聞こえた気がした。


「なに?」


「大声を出させないで。なんてちっぽけな力しかもっていないのかしら!」


 風音のように、かすかな声だった。ユマは恐ろしさ半分、嬉しさ半分だった。涙の妖精(ミスティルー)である。


 ミスティルーに代表される、人の感情、つまり無形のものから生まれる妖精のつくりは、大気を流れる霊気と同じだった。人型になったと思えば、すぐに溶けて消えてしまう。そのため見えたり見えなかったりする。


 しかし、ユマには自信がなかった。彼女は悪霊なのか、それとも自分に、妖精を認知できるだけの力が戻りはじめているのか。だからこう尋ねた。


「本物なの?」


 暴風が巻き起こり、馬車が揺れた。御者の驚く声が聞こえ、馬が止まった。人の近づく気配に気づいた妖精がかき消えた。見張りが鉄格子の小窓からのぞきこむ。男は大人しく座り込んでいる少年一人を確認すると、持ち場へ戻っていった。


 しばらくしてからユマは、これは短気な妖精がいたものだ、と思った。


 馬車が動きだし、窓から木々の緑が通り過ぎていく。光の具合からするに、もう昼ごろだろうか。ユマはまどろみ、小径から街道へ乗り出すときに、揺れで目覚めた。


「あなた、どこへ連れていかれるの?」


 見ると、ミスティルーが肩先に座っていた。ここなら大声を出さずに済むと思ったのだろう。


「ヘテオロミア。そこできっと身元を調査される。それからスィミアの役人に引き渡されて、スィミアに連れていかれる」


 ふうん、と言って妖精が顔をしかめた。


「大きな町は好きじゃないわ」


 ユマの胸に、わずかな希望が湧いてくる。妖精たちは総じて気まぐれで、人間に益をもたらすとは限らない。だがどうせ殺されるのであれば、賭けをしてみようか。


「助けてくれる?」


「代わりに何をくれるの?」


 ユマは耳に手を伸ばしたが、すべての装身具を取られたことを思い出した。隠しに手をつっこみ、彼女が気に入りそうな物がないか探した。


 爪先に硬いものが当たる。すべて没収されたと思っていたが、小さいから見逃してしまったのかもしれない。それは星を連ねた銀のブローチ、セール学園における特待生の証だった。


「これはどう?」


「まあまあね」


 長年努力して手に入れたものを、そのような一言で片づけられるとは心外である。だが彼女にその付加価値は分からないし、ユマにとっても、それはもはや銀の塊にすぎない。妖精は両手で受け取り、車内を旋回した。


「あたしの名前はネルよ。あなたは?」


「ユマ。よろしく頼むよ、ネル」


「で、何をしてほしいの?」


 ユマはしばし考え、こう要望した。


「リマという村まで連れて行ってほしい。そのためにまず、剣が必要だ」


 街道に入ってから、馬車は快調に進んだ。揺れも少なく、眠りやすかった。ユマは窓の外が暗くなるまで仮眠を取った。夜は休むどころではない。また奴らが――悪霊がやってくるから。


 やがて馬車が街道を外れて止まった。ユマを連行する任務を帯びた三人の兵士たちが、野営の支度をはじめる。肉の焼ける匂いが空腹を助長した。火を囲んで三人が談笑しているうちに、鉄格子の隙間からネルが入ってきた。


「頼まれた物よ」


 彼女がユマの膝に剣を落とす。三人のうち誰かの物を、盗んできたのだ。つづけて、手かせを指して尋ねる。


「それは取らなくていいの?」


「まだ取らない。様子を確認されたときにはめてないと、不審がられるから」


 案の定、しばらくすると牢馬車の扉が開いた。「食え」と言いながら、兵士の一人がパンを放り込む。ユマはそれを拾い、噛み切るのに苦労しながら食べた。腹が満たされるにはほど遠いが、ひとまず空腹は収まった。男たちが荷をほどき、就寝の支度をしはじめた。


 だしぬけに、悪寒がした。


 冷ややかな空気が車内にまで入ってきた。ユマは深く一呼吸し、覚悟を決めた。剣を腰に差し、立ち上がった。かがり火が消えたのか、窓から差し込む明かりがなくなる。剣を抜く音がした。すぐに魔法で光がともされた。不気味な女の笑い声があがった。「誰だっ!?」と叫んだ男たちがうろたえる。


「悪霊だ!」


「離れろ!」


 慌てて遠ざかる足音がする。


「ネル」


 ユマが小声で叫ぶと、光とともに彼女が現れた。金属製の手かせが外れる。両手が自由になった。すぐに扉からも、閂の外れる音がした。ユマはそっと扉を開け、地面に降り立つ。


 背筋を走った悪寒に、ユマは凍りついた。おそるおそる、顔をあげる。そこにいたのは、ヨダイヤだった。風で彼の髪があおられる。血が流れでるその左目は、空洞になっていた。吐き気がこみあげ、ユマは手で口を覆った。


「ユマ!」


 耳元でネルの大声がした。


「兵士に気づかれたわ!」


 ネルが腕を勢いよく振った。細かい光が、砂塵のように悪霊に襲いかかる。それを破って、悪霊の手が伸びる。ユマは逃げようとするが、腕を掴まれた。


 焼けるような痛みが走る。ユマは言葉にならない叫びをあげた。身体中の血液が沸き立つような感覚がする。視界が赤く染まる。


「だめ、だめよ、しっかりして!」


 ネルが腕を天に伸ばす。まばゆい光が四方に広がった。ユマはなんとか腕を振り切った。


「捕まえろ!」


 痛みにうずくまっている場合ではなかった。兵士たちが駆けてくる。ユマは剣を抜き、馬をつなぐ縄を断つ。間髪おかずに飛び乗った。横腹を思いきり蹴る。馬がいなないた。


「進め!」


 襲歩で馬が駆けだした。木立を抜け、街道へ飛び出る。月光の下、大地の上を、けたたましい音を立てながら駆ける。やや遅れて、同様の足音が聞こえてきた。すぐ横で泥が跳ねあがる。魔法を放たれたのだ。ユマも呪文を唱えるが、魔法は生じない。代わりにネルが魔法を放った。同時にけらけらと笑いだす。


「楽しいわ!」


「殺さないで!」


「無理よ!」


 妖精が怒りだした。


「そんな習慣、あたしたちにはない」


 男の叫び声があがった。馬の断末魔。


「ネル!」


「面倒くさい人間! 捕まっても知らない!」


 妖精の気配が消えた。ユマは頬をつたう汗をぬぐい、振り返った。一人は落ちた。残っているのは二人だ。馬の息があがっている。何か策はないか。魔法が放たれた。手綱を右に引いたとき、悪霊に掴まれた腕が痛んだ。泥塊が飛び散る。


 ユマはぐいと横に手綱を引き、雪原に飛び出した。そのまま丘を駆けあがる。すぐに進みが鈍くなり、駆けるというより登るになった。今日は日中、陽が照っていた。もしかしたら、条件が揃うかもしれない。


 魔法が放たれ、ユマは再び手綱を操る。地面に当たり、雪を散らした。もう一撃。


「待て!」


 制止の声があがった。はじめはゆっくりと、徐々に速度をあげて、雪が滑りだした。ユマは止まらず、夢中で駆けあがった。


 雪に飲まれ、兵士たちの馬が横転する。男たちが罵声をあげる。小規模な雪崩だ。死ぬことはないだろう。ただし、馬は脅えて使い物にならないはずだ。ユマは丘の頂上で再度、振り返った。彼らの姿はいまだ埋もれていて見えない。


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