27話 牢馬車
マレタイは最初、二人を盗人だと思っていた。しかし違和感を覚えた付き人が、魔法を解く呪文を唱えた。すると粗末な恰好をしていた兄妹は、使い古されてはいるが上質な衣をまとった、少年ふたりに変わった。
不幸中の幸いだったのは、療養中のマレタイには仕事をする気がないことだった。「家出をしている最中」というオリファの言葉を、半分くらいは信じたのか、あるいは害はないと判断したのか、すぐに二人をヘテロミアへ送るつもりはないようだった。
ただし、持ち物はすべて没収された。オリファの剣も、ユマの指輪も。夜が明けるころにはロトとトリスタまで捕まった。近くでうろついていた馬たちを、村人が見つけたのだ。
逃亡するには障害が多すぎる。二人は外套を取り上げられ、身を震わせながら宿屋の一室の柱に縄でつながれていた。床を見つめたまま何刻が経っただろうか。見張りがいるので相談はできなかった。
廊下から数人分の足音が聞こえ、扉が開いた。マレタイと、ユマたちの所持品をいくつか持った部下ふたりが現れた。
「スィミアの職人は繊細で美しい物をつくるが、これらはとりわけ美しい」
マレタイの言葉を聞くや、ユマは唇を噛んだ。部下の一人がイスファニールの剣を携えている。もう一人が携えるのは、オリファの剣と、菫石のはまった彼の指輪である。マレタイの目は、鎖に通された三つの指輪にくぎ付けになっていた。彼の言う「美しい」は、見た目だけではなく、それに込められた力の質も意味していた。
マレタイは明らかに、美品の由来を知りたがっていた。ユマもオリファも応えなかったが、機嫌を悪くするでもなく、彼は美品についてどこが優れているか、言葉を並べ立てた。
「ぼくもその剣は気にいっていますが」
唐突に、オリファが言葉を返した。何を言い出すのかと、仰天してユマは見返す。
「最上質のものは、黒竜の息吹でつくられるようですね」
「そう、わたしの叔父は『黒竜の剣』を持っていてね、いつかわたしも手に入れたいと思っているのだよ」
目を輝かせるマレタイに、オリファが尋ねる。
「テルージアではそのような剣が普通なのですか」
「いや、いや。テルージアでは剣はつくられんよ。あそこの住人は信心深く、杖以外の得物を携えるのはみっともないと思っている」
会話が弾み、マレタイはずいぶん長いこと監禁部屋にいた。去り際に、「お願いがあるのですが」とオリファが切り出した。
「明かりがないと寝つけないので、夜に月の光を灯していいですか」
いまやマレタイは、ユマの目からしても上機嫌に見えた。部下にこう指示した。
「角灯を与えてやれ。普通のではなく、魔法をつなぎとめる機能があるほうを。それと暖かい毛布もな」
扉が閉まると、オリファが口角をあげてみせた。ユマもこのときには、彼の目論見に気づいていた。マレタイは田舎に長く滞在しているせいで、退屈している。教養に富んだ、都会的な話をできる相手が欲しいのだ。
ほどなくして、二人は縄を外され、代わりに足かせをはめられた。どちらにせよ心地よいものではなかったが、少なくとも横になることができるようになった。オリファがそれらを眺めて、どのような魔法で解くことができるか、考えているようだった。
その後、羊の毛皮のラグと、毛布が持ち込まれた。生理的な欲求が満たされて、二人は一安心した。スィミア人にとって、寒さほど恐ろしいものはない。オリファが呪文を唱え、角灯に月の光をともした。むろん彼に明かりをつけて眠る習慣などなく、これは指輪を取られたユマのための、悪霊対策だった。
後から知ったが、その晩から村では、奇怪な出来事について噂されるようになったそうだ。誰もいない蔵で物音が聞こえ、人影がないのに雪に足跡がついた。夜中に犬が吠え立て、かと思うと怯えて家畜小屋へ逃げ帰った。
ユマは気が狂いそうだった。魔法の指輪がないことで、悪霊によるさまざまな幻影を見た。さまざまな声を聞いた。オリファが手を握ってくれたが、多くの場合、振り払ってしまった。正気に戻るといつも、身動きがとれなくて、凶器となる物が近くになくて、よかったと思った。そうでなければ、彼を傷つけていたにちがいない。
ユマは洞窟の夢を頻繁に見た。彼はいつも何かに追いかけられていた。それは骸骨だったり、腐りかけた死体だったり、黒い影だったりした。イレネの神像はいつも手の届かない所にある。氷に埋まっていたり、高い天井から蜘蛛の糸でぶら下がっていたり、燃え盛る炎の中にあったりした。ユマは呪文を唱える。しかし魔法は生じても、こうなってほしい、と思う反対のことが実現された。ユマは夢のなかでも魔術師になれなかった。魔術師とは、魔法に操られずに、魔法を操る者のことだ。
やがて、マレタイが村の異変の原因に当たり所をつけはじめた。その頃になってやっと、手元に届いていたヘテオロミアの指名手配書を部下に調べさせた。それを見ながら彼はすっかり思い出した。ひと月ほど前に、スィミア人がここに滞在し、悪霊に憑かれた名家の子息を探していると言っていたではないか。手配書を見ると、ユマの外見と完全に一致する情報が記載されていた。
ユマはひとり、ヘテオロミア行きの牢馬車に乗せられた。オリファがあの手この手で、共に乗せてもらえるように弁舌をふるったが、マレタイが首を縦に振ることはなかった。
「せめて指輪をユマに返してください」
とオリファが言った。
「悪霊を遠ざける魔法がかけられています。指輪がなければ、道中、あなたの部下も危険にさらされますよ」
要求をはねつけるように、マレタイが嘲笑した。
「おまえの言うことが正しいのなら、指輪には法外な値打ちがつく。だが、対悪霊の魔法は、この世で最も難しい魔法のひとつだ。誰に吹き込まれたのか知らんが、それは気休めだ。牧人が馬の骨をお守り代わりに持ち歩くのと変わらない」
「気休めではない」
ユマは頭にきて言い返した。
「ここに来る途中で出会った祭司さまが、魔法をかけてくださいました」
「ほう。その祭司の名は?」
ユマは口をつぐんだ。言ったところで、マレタイはディオネットの名を知らないだろう。何より、彼女に迷惑をかけることは避けたかった。元の衣服だけをまとわされて、ユマは馬車に押し込まれる。
「ユマ。必ず探しに行くから」
かせをはめられたままのオリファが言った。
「諦めないで、絶対に」
そう言いつつも、状況が絶望的であると分かっているのだろう。目を閉じた際から、何かがこぼれおちた。それは涙だったが、ユマには妖精に見えた。涙の妖精、ミスティルー。彼女は微笑みながら羽ばたき、ユマのほうへ来たかと思うと消えた。
「ありがとう、オリファ。一緒にいれて楽しかったよ」
扉が閉まり、車輪が回りはじめた。今度こそ、二度とオリファには会えないだろう。厩からロトのいななきが聞こえた。主人と離れ離れになることを悟ったのだろうか、それは悲しげに空に響いていた。
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