24話 酒場①
昼に休憩を取ったとき、二人は今後のことを話し合った。街道沿いの小屋で魔術師に出会ったように、ヘテオロミアに近づくにつれて、これから他者と関わる機会が多くなる。そうした時に、スィミアの追手に足跡を残したくない。そこで、変装をしたほうが良いという結論に至った。火に枝をくべながら、オリファが言う。
「ようは、『育ちの良さそうな少年ふたり』という印象を残さなければいいんだ」
「服をみすぼらしく見せるとか?」
ユマは燻製肉を薄く切った。それをオリファがパンにはさむ。
「良い案だけど、奇抜さに欠けるな。魔法だって使えるんだから、もっと頭を柔らかくして……女装するとか」
「ふたりとも?」
「いや。ひとりが他者と会話する男役で、もうひとりが声を発しない女役。女役が喋るとぼろがでるから」
ユマはやや考えたあとに、肩をすくめた。
「会話はきみのほうがうまい」
「ユマは美人だ」
そうして、長髪蒼目の少女ができあがった。オリファは服にも魔法をかけ、ユマを農夫の娘が着るような、厚ぼったい長衣に麻の帯、くすんだ亜麻色の肩掛けといういで立ちにした。ユマは確認のために、水を張った鍋底を覗きこんだ。
「お母さまにそっくりだ……」
「うん。どこからどう見ても女の子だ」
満足そうにうなずくオリファに対して、ユマは微妙な気持ちだった。ともかく、この見た目では田舎者らしさが足りないから、草の汁を使って顔色を悪くする。それからフェルーにしてあげた三つ編みを思い出しながら、自分の髪を同じにしようとする。が、人にやるのと自分にやるのとでは大違いだった。三つ編みは中止にして、三角巾で髪をまとめることにする。その様子を見ながら、オリファが笑いをこらえていた。
「お嬢さんのお名前は?」
「レヴァンニ」
ユマはそっけなく答える。オリファの幼馴染である、馬具屋の娘の名だ。それを聞いて彼がばつの悪そうな表情になる。というのも一昨年の冬に、レヴァンニは他の男と婚約してしまった。身に染みて教訓となったのは、当たり前に思えることが当たり前ではないということだ。ユマはさらに追い打ちをかけた。
「きみの名前はウリヤ。彼女の未来の夫だ」
「兄妹だよ。演技上はね」
つっけんどんに言うと、オリファは自分の服にも魔法をかける。使い古した革靴に、薄汚れたチュニックに、裾が擦り切れた外套、といういで立ちだ。髪はこげ茶にされ、頬にそばかすが描かれた。市民階級の出自だけあって、なかなか現実的だった。
西日が雪原を橙色に染め上げるころに、二人は集落に辿りついた。途中で岩窟を見つけ、馬たちを隠す場所としてちょうど良いと思うが、そこには木彫りの神像が祭られていた。農民が好んで信仰する神、大地の女神である。二人は神像の前で旅の無事を祈ったあと、他の場所を探した。人が入らなそうな深い茂みに分け入り、馬を待機させると、そこに狼除けの魔法をかけた。
日がすっかり落ちたために、村の門は閉められていた。闇と悪霊を締め出そうというわけである。オリファが高らかに戸を叩き、ユマはつつましく後ろに控えていた。必ずしも演技というわけではなく、再び夜が訪れたことに少なからず脅えていた。
見張り窓から覗いた赤ら顔は、機嫌が悪そうだった。オリファが道に迷ったことを伝え、一夜の宿を頼む。ユマはじっとうつむいていたが、突然腕を引かれ、一歩前へ出た。
「妹がいるんです。まさか、女の子に野宿させるわけにはいかないでしょ?」
男と目が合った。
「仕方ねえな」
性別がばれなかったことにほっとしたが、やや複雑な気持ちだったことは否めない。
予想と反して、村は明るかった。暗くなってから行う仕事がない田舎では、人びとはすぐに眠りにつくと聞いていたが。道端にはこんもりと雪が積まれ、等間隔に彫られた穴に、魔法の明かりがともされている。
「酒場にでも泊めてもらえ。他の家はもう寝る支度をしているだろうから」
耳をほじりながら、男が見張り小屋へ戻っていく。悠長なものだ、とユマは思った。スィミアでは毎晩、少なくとも百名の見張りがいるのに、ここではただ一人らしい。
一際明るい建物の戸を引くと、小鐘の音が響いた。「いらっしゃい!」女の快活な声が響きわたる。声主は大人の高さに誰もいないことに気づき、やや視線を下げた。
「あら、見ない顔ね」
「叔母の家へ向かう途中で、道に迷ってしまったんです。一晩泊めていただけませんか」
「まあ……。寒かったでしょう、こんな夜更けに。そこで座ってなさいな。亭主に伝えてくるから。酔っ払いに絡まれないようにね」
恰幅の良い彼女は女将らしい。両手いっぱいに持った杯をどんと置くと、すでに出来上がった男たちを押しのけ、厨房へ入っていった。
酒場は騒がしかった。村中の男たちが集まっているのだろうか、席はほぼ満席で、前掛けをつけた若い娘たちが、給仕のために行き来する。赤いリボンで髪を結わえた娘に、オリファがくぎ付けになる。ユマを小突いて尋ねる。
「どう思う?」
「目つきがきつい」
「そこがいいんだろ」
しっ、とユマは諫めた。
「おう、坊主」
一部の客が、小客の存在に気づいた。
「何か芸はできないのか。こいつらの歌はもう聞くに堪えなくてな」
肩を組んだ二人の男が、音痴な声で知らない歌をうたっている。片手には杯を持っていて、空になっては仲間に注がれている。オリファが苦笑し、首を横に振った。
「ぼくたち、もう眠くて」
そこではじめて、男たちがユマに興味を示した。顔をのぞきこもうとするので、ユマはオリファの外套にほとんど顔を押しつけるような恰好になる。あまり近くで見つめられると、性別詐称がばれるかもしれない。
「じゃあ、笛でも披露しましょうか」
言いながらオリファが懐をさぐる。
「その代わり、恥ずかしがり屋の妹をそっとしておいてくれますか」
男たちが一様に頷いた、ような気がした。ユマは眠くなってきた。薪がはぜる音と、食器が鳴る音と、人びとの笑い声が聞こえる。これほど賑やかな場所は久しぶりである。スィミアの繁華街を思い出す。売り子の呼び声、勘定される硬貨の音、犬の吠え声、子供の走り回る足音。色鮮やかな果物、他都市の調度品。むせかえるような香料の香り。
雑踏のなかで、目についた少年がいた。黒髪で、長い髪を編んで背に垂らしている。ユマは彼を知っている気がした。だが、どこで見たのだろう。彼が振り返った。口を開いて――。