23話 謝罪
「ユマ、まだか!?」
窓を開けると、息のあがったオリファと老婆が対峙していた。家畜小屋は半壊しており、自由になった山羊と鶏が、木立へ入っていくところだった。ユマは叫んだ。
「指輪が見当たらない!」
老婆が高らかに笑った。
「これのことかえ?」
首から鎖を引くと、三つの指輪が月光を反射した。ユマは頭に血がのぼった。窓枠を一息に跳び越え、剣を抜いた。剣に蓄積された、イスファニールの魔力を一瞬かんじた。
「オリファ、援護してくれ」
彼が下がり、剣を鞘に納めた。普段なら役割を逆にするが、ユマが魔法を使えないため仕方ない。それにオリファは体力を消耗している。
「気をつけろよ、ユマ。そいつ、腕を切り落としても生えてきた」
見ると、老婆の斧をもつ側の袖が、上腕の部分で綺麗になくなり、生身の腕が突き出ていた。ユマは老婆が常人ではないことを、すぐに理解した。かといって、指輪を身に着けて平気なのだから悪霊でもない。では妖精か――人型をした精霊のことをそう呼ぶ。いや、それにしてはあまりにも生活様式が人間臭い。ユマは該当する単語を見つけられなかった。かつて人間だったが、人間ではなくなった者、という言葉が一番しっくりくる。ディオネットの言う「本物の悪人」だ。
老婆がにたりと笑った。かと思うと、目前まで間合いをつめられていた。息が一瞬止まる。ながれた斧を、ユマは間一髪でかわした。そこではじめて、老婆の武器がまだ健在なことに仰天する。
「おい、あのぼろ斧、テルージア産の剣に耐えたのか!?」
オリファは呪文を唱えはじめていて、応えられなかった。ユマは振り下ろされた刃を避け、斬りつける。老婆はすかさず、剣を光るもので防いだ。刃の合わさる音に、ユマはそれが短剣であると知る。渾身の力で刃を跳ね返す。なんという力だ。人間離れしている。息が上がる。間髪いれずに刃が襲いかかる。ユマはそれを受け止める。刃がじりじりと迫り来る。押し切られる、と思うと同時に、恐怖で身が固くなる。オリファの声が止んだ。巻き起こった強風が、老婆の短剣を弾き飛ばした……だけではなく、ユマの手から血を噴き出させた。ユマは悪態をついた。
「へたくそ!」
「どっちが!」
痛みに恐怖をひととき忘れる。老婆は得物を弾かれたままの体勢である。オリファがまた呪文を唱えはじめた。それによって、ユマが構えた剣の刃が赤く輝きだす。首の付け根を狙い、雄叫びをあげながら、ユマは力の限り振りきった。
桶をひっくり返したような、大量の返り血を浴びる。首と一緒に、指輪のついた鎖が地に落ちた。
首の断面には火がくすぶっていた。それが徐々に広がり、屍を紅蓮の炎に包み込む。ユマは指輪を回収し、オリファと並んで、屍が炭化されるのを眺める。
「さすがに頭は生えてこないな」
興奮が冷めてきたとき、オリファが言った。ユマは剣の血を払った。もう剣身は魔法の炎を宿していない。
「オリファ、火の魔法を使っただろう。でも、この剣と相性がいいのは、水か氷の魔法だ」
彼は事あるごとに、火の魔法を使いたがる。竜の息吹でつくられた剣は、火と相性がいいからだ。しかしユマが持つのはイスファニールの剣である。彼女は水と氷の魔法を得意としていた。だから当然、剣もそれらの力を宿しやすい性質を持っていると考えていいだろう。
「うるさいよ。そこまで頭が回らなかったんだ」
お預けにしていた気まずい沈黙が再来した。オリファが半壊した家畜小屋に馬たちを入れる。戻ってきたとき、その手には包帯と清潔な布切れを携えていた。血が止まらないユマの傷口に、布を結ぶ。
「怪我させて悪かったよ。中で手当をしよう」
殺人鬼がいなくなった住居は快適だった。明かりもあるし、水瓶もある。オリファがユマの手を取ると、湯で消毒した布切れで患部を拭き、包帯を巻いた。それが終わると彼は、陶器の破片がついた自身の外套を、窓を開けてはたきはじめた。「オリファ」ユマはそばに寄った。
「何も言わずにいなくなってごめん」
オリファの視線がひとときユマに投げられるが、再び窓の外に向いた。
「なんで、そんなことをしたんだよ」
「怖いんだ。ぼくは悪霊の依り代にされたヘテオロミアの魔術師を、殺そうとした。同じように、オリファをオリファと分からず、殺そうとするかもしれない」
目を見張ったオリファが、身体ごと振り返った。
「昼間に言いかけたのはそれ? どうして最後まで言わなかったんだ?」
「言ったらなおさら、ついてこようとするだろうから」
「当たり前だ。何のためにスィミアを出てきたと思っているんだよ!」
声を荒げるが、それは得策ではないと考えたのか、一呼吸おいた。
「ユマの考えはよく分かった。でも、相談せずにいなくなるのはやめて。『言葉は万能ではないが、言葉なくしては伝わらないこともある』。ノクフォーン人を皮肉ってエディリーンが言った言葉だ」
誰だよ、とユマは一瞬思い、アンドレアが憧れていた、アンダロス帝国の女王の名だと思い至る。
「それに、なめてもらっちゃ困る。おれを殺すとして、どうやって殺すんだよ」
「剣で」
言ってからユマは、気づいたことがあった。それをオリファが言葉にする。
「魔法ならともかく、剣ではおれに敵わない」
「……寝込みを襲うかもしれない」
「屁理屈はいいよ! その時はその時だ」
彼は外套を椅子にかけ、窓をぴしゃりと閉めた。
「また勝手にいなくなるようなら、毎晩食事に眠り薬を盛ってやる」
ユマは笑いのような、ため息のようなものを漏らした。
「それは嫌だな」
オリファがにやりとした。
人の家を勝手に使っておいてなんだが、その日はぐっすりと眠れた。鍵をかけられるから交代で見張りをする必要がないし、温かい毛布がたくさんあった。目覚めたときには、すっかり夜が明けていた。ユマが飲み水にする雪を集めるついでに馬の様子を見ると、彼らは彼らで快適な一晩を過ごしたらしい。干し草を腹いっぱいに食べたようで、うたた寝していた。
二人は台所にあった食材を漁った。チーズや燻製肉など、日持ちするものを荷に積みこみ、新品の蝋燭を何本かもらう。散らばった宝石をくすねることは気が引けた。ユマたちが盗らなくても、どうせ盗賊が盗っていくだろう。だが老婆がどうやって富を築いたかを知っているがゆえに、それに頼るのは気持ち悪かった。




