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夏の王冠  作者: sousou
3章
23/65

22話 老婆

 待てよ、とユマは考え直す。殺さないと決まったわけではない。まだその行為に及んでいないだけかもしれない。


 生き物の息遣いが耳元で聞こえ、ユマはぎょっとした。首を曲げて見上げると、差し込む月明かりに見慣れた顔が浮かび上がった。


「ああ、ロト」


 安堵のため息をついた。少し離れた場所から、もそもそと動く獣たちの気配がする。それに藁の臭いもする。ここは老婆の家ではなく、家畜小屋のなかのようだ。今すぐ死の危険にさらされる心配は不要だと分かった。


 ユマは半身を起こし、壁にもたれた。両扉の隙間から外の様子をうかがうと、家から明かりが漏れていた。老婆は今頃、ユマの持ち物を物色しているか、ユマを殺す準備をしているに違いない。試しに扉を押してみるが、外側から閂が掛けられている。


 両手首に力を入れてみる。縛めはびくともしない。縄を断つのに丁度よいものはないかと、視線をめぐらす。すぐに、そこがただの家畜小屋ではないことに気づいた。柵で囲った一角には山羊らしき動物がいるが、全体的には薬屋のような様相をしていた。一方の壁全面に棚が設えられ、大小さまざまな瓶や壺が並んでいる。


 ユマは立ち上がり、その一角へ寄る。老婆は家畜小屋にユマを入れたくないようだった。その理由が気になった。だが明かりなしには、何があるかよく見えなかった。きっと値打ちのあるものだ。そうでないなら、老婆はあれほど快適な暮らしを送れまい。刃物を探して、ユマは棚の引き出しを片端から開けていく。


 だしぬけに、扉のきしむ音がした。心臓が止まりそうになる。


 四角く縁どられた月明かりから、人影が入ってきた。扉が閉められ、あたりが真っ暗になる。ユマは息を殺した。


 呪文が聞こえ、小さな明かりが灯る。すかさず剣を抜く音が響いた。驚愕と敵意に満ちた視線と視線が交わる。状況を理解するのに二呼吸が要された。


「馬鹿……」


 オリファが剣を下ろした。表情から敵意は消え、代わりに怒りが宿った。大股で近づいてきたかと思うと、ユマは頬に焼けつくような痛みを感じた。何が起きたか分からず、目を白黒させた。


「馬鹿、何してんだよ」


 平手打ちされたのだ。ユマが動揺で何も言えないでいるうちに、オリファはナイフを取り出し、手首の縛めを断ち切った。


「どこか痛い所は?」


「ない」


 というのは嘘で、頬が痛い。オリファが視線を巡らし、ロトを見つける。


「馬具は母屋か」


「ああ」


 互いにむっつりと押し黙る。とはいえ喧嘩をしている場合ではない。


「オリファ。あの婆さんに会ったか」


「いや。窓から様子をうかがっただけだ。こんな夜中に明かりがついているのは不審だと思って、覗いてみたら、ユマの持ち物があった。だから寝ている間に身ぐるみはがされたんだろうと思って。家畜小屋に入ったのは、奇襲をかける前に、馬の準備をしておこうと思ったからだ」


 視界に入ったものに思わず、ユマはオリファの腕を掴んだ。明かりを棚に向ける。身の毛がよだち、言葉を失う。液体漬けにされて浮かんでいたのは、人間の耳や眼球だった。


「何に使うんだと思う?」


 オリファが険しい表情をしたまま、答えた。


「魔術師の身体には魔力が宿っている。使い道はいくらでもあるさ」


 彼が何か言いたそうにユマを見た。


 そのとき、母屋の戸が閉まる音、ついで犬の吠え声が聞こえた。オリファが瞬時に明かりを消した。が、遅かったようだ。犬が狂ったように吠えたて、家畜小屋の扉を引っかきはじめた。オリファは舌打ちすると、ナイフを一本抜いた。それをユマに渡し、前へ進み出る。


 扉が勢いよく開いた。髪を振り乱した老婆が叫ぶ。


「わしの獲物を横取りするのは何者じゃ!?」


 黒々とした犬が牙を剥き、飛びかかってきた。すぐにそれが、ただの犬ではないと分かった。先ほどよりも体躯が倍以上になっている。ユマは動揺を押し殺し、犬の眼球めがけてナイフを投げた。情けない声があがり、犬が地に落ちる。オリファが剣を抜いた。間髪置かずに後方へ飛びすさる。振り下ろされた斧が地に突き刺さる。


 ユマは目を疑った。老婆がこの一瞬でオリファと間合いを詰めたことも、振り下ろした斧をすでに構えなおしていることも、信じられなかった。オリファに押しのけられる。


「盗られたものを回収しろ!」


 再び斧が振り下ろされ、材木の割れる音が響きわたった。オリファが老婆を斬りつけるが、かわされる。老婆はユマの脱出を阻止しようと、呪文を唱える。だがオリファの剣に邪魔された。ユマは悶える狂犬の眼からナイフを抜き、動脈をかき斬った。血の臭いに気づいて、家畜たちが興奮しはじめた。指笛で合図しながら、ユマは戸口を抜ける。ロトが後ろから駆けてきた。


「そこにいて」


 母屋の戸を引きながら、ユマは指示した。トリスタの姿に気づき、ロトが寄っていく。


 屋内に入ると、まず剣が目に入った。ユマはそれを腰に差す。そばに投げ捨てられていた外套をまとい、指輪は……。ええい、暖簾がうっとうしい。何枚かめくった所で、まとめて置かれている馬具を発見した。それらを一抱えにして外へ出た。


「ロト、おいで!」


 愛馬がそばにやってきた。山羊と鶏の騒々しい鳴き声が家畜小屋から聞こえてくる。すさまじい音と共に、屋根の一部が吹き飛んだ。陶器の割れる音がした。オリファは大丈夫だろうか。焦りで指先が震える。腹帯を絞めおえた。頭絡を回す。ついでに木につながれたトリスタを解放する。


 ユマは母屋へ舞い戻った。指輪はどこだ。引き出しという引き出しを全て開け、野菜が入った籠をひっくり返す。悪趣味な頭蓋骨の置物を蹴飛ばし、宝石箱をひっくり返す。きらびやかな宝石が散らばり、蓄えられた富の多さに驚く。だが指輪は見つからない。


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