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夏の王冠  作者: sousou
3章
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20話 依り代

 自分の名をささやく声がして、ユマは目覚めた。夢を見たような気がするが、覚えていない。オリファが横になり、やがて一言も口をきかなくなった。ヘテオロミアの女は、最後に見た位置から少しも動いていない。


 風は先ほどよりも強まっていた。窓が揺れるたびに不安になる。壊れたら、悪霊が入り込むだろうか。いや、窓が閉まっていようと悪霊は入り込む。だが物理的に何かあるのとないのとでは、心理的に大違いだった。ユマは鎖に連なる指輪を眺める。その力を感じられないのは自分のせいだ。ディオネットは確かに魔法をかけた。


「ユマ兄ちゃん」


 空耳かと思った。だが、顔をあげて目を見張った。金灰色の髪の少女が隣に座っていた。アンドレア?


「アンに嘘ついたの?」


 状況が分からず、ユマは混乱する。


「ユマ兄ちゃん、魔法が使えないんでしょ。まるで得意みたいにふるまっていたけど、本当は使えないんでしょ」


 ユマは、じわじわと恐怖が募るのを感じた。この感覚を知っている。そう思った矢先、部屋の暗がりに人影が浮かび上がった。


「魔法の使えないあなたに、何の価値があるの?」


 そこにいたのは、イスファニールだった。ユマは恐ろしさから、声を出せなかった。オリファの肩をゆするが、目覚めない。ユマはよろよろと立ちあがり、後退する。


「ねえ、ユマ」


 今度は別の方向から声がした。振り向いた先にいたのは、フェルーだった。


「竜を見せて」


 彼女の言葉に、ユマは力なく首を横に振った。


「ねえ、竜を見せてよ」


できないよ。


「どうして?」


 フェルーがみるみる痩せほそっていく。見たくなくて、ユマは目をそらした。「どうして?」フェルーが繰り返す。彼女の肉がそげ、骨が露わになる。歯をかちかちと言わせて、フェルーが笑いだす。と、イスファニールの手元で何かが光った。


 はっとしたユマは腰に手を当てる。剣がなくなっている。それはいまや、イスファニールの手にあった。刃を顔の高さまで掲げて、彼女が近づいてくる。ユマは呼吸を荒げる。記憶から蘇るのは、ヨダイヤの絶叫と、血まみれの剣と、喉を通った異物だ。イスファニールは何をするつもりなのか。愚問である。


「動かないで」


 イスファニールのささやき声が降ってくる。なんと綺麗な瞳なのだろう。そう思って、ユマは彼女に見入った。フェルーが生まれるまで、母はユマの世界のすべてだった。


「わたしのかわいい子……」


 母の手がユマの顎にかかった。炎をうけて刃がきらめく。それが振り上げられ――。


 鋭い音を立てて剣が転がった。目下でまぶしい月の光を放つのは――指輪である。ユマは我に返った。これはイスファニールではない。悪霊だ。


 ユマはすかさず反撃にでた。首を押さえつけると、そいつは手を外そうと必死にもがく。イスファニール本人でないと分かってはいても、苦しむ姿を見るのは辛かった。その間にも、首から下げた指輪が光りつづける。手の力と反して、ユマの頬に涙がつたう。


「ユマ!」


 肩を勢いよく押され、突き飛ばされた。


 見ると、息をあげたオリファが、愕然とした表情をしていた。女のせき込む声が聞こえた。あたりが静けさを取り戻した。


 髪を乱したヘテオロミアの女が、射るようにユマを睨んだ。ユマは、何が起きたか瞬時に理解した。イスファニールの幻影は、彼女を()(しろ)にしていたのだ。よってユマは悪霊の首を絞めながら、彼女の首を絞めていたことになる。


 ヘテオロミアの女が杖を取るより早く、それをオリファが蹴り上げた。拘束の呪文を唱え、彼女の両手を縛り上げる。女の罵り声があがった。


 オリファが息をつく。


「すみません、こんな乱暴をしたくはないのですが」


 女は檻に入れられた獅子のように、鼻息を荒くした。


「悪党が! 絶対にあんたたちを牢獄にぶち込んでやる」


 オリファがユマの腕を掴んだ。


「行こう。じきに夜が明ける」


 動揺していたユマは、それでも謝罪を言わなくては、と思い振り返る。だが目が合った女はもはや、人間を見る目でユマを見ていなかった。そうとも、魔法を使えない人間が人間であるわけがない。彼女が見ているのは――獣だった。


 馬がいななき、雪原を駆けだした。


 オリファが灯す魔法の光を頼りに、街道の先へ急いだ。吹きつける風音の合間には馬の足音しか聞こえない。ユマがそばにいることを確認するために、ときどきオリファが大声で名を呼んだ。闇が濃いうちにできるだけ遠くへ行きたい。明るくなるころには、雪が足跡を消してくれるだろう。


 徐々にあたりが白みはじめ、はるか向こうに温かい光を感じた。雪が小降りになりはじめる。しばらくして、二人は街道から逸れた。あの女魔術師の仲間――市兵に見つかることを恐れたからだ。


 休憩のために木立へ入ったとき、ユマは悪態をついて雪を蹴った。手ごたえのない新雪ではなく、あえて古いものを選んで。そのまま幹に腕をつき、うなだれた。オリファが止めなければ、また人を殺すところだった。それにあの女の自分を見る目が、頭から離れない。


 オリファ、とユマはつぶやいた。相手は辛抱強く、続きの言葉を待っていた。だがユマは何も言わずに、ロトの背にまたがった。



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