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夏の王冠  作者: sousou
3章
20/65

19話 吹雪

 森はユマの見知った森とは様変わりしていた。最初は暗いせいでいつもと異なって見えるのだろうと思ったが、日が昇るにつれて、そうではないことが分かった。ロトを連れて散歩したあの小径、見慣れた木々や神像はどこへ行ってしまったのか。カルガーンを見失うことを恐れたが、祭司の使いである鹿は、いつでも二人の様子を確認しつつ進み、二人が休憩する間にいなくなることもなかった。夜になれば、月も出ていないのにその銀の毛並みがかすかに光り輝き、存在をはっきり知らせてくれるのだった。


 先頭にカルガーン、二番目にユマ、三番目にオリファという順番で、一行は進んだ。凍った小川を超え、大樹の裂け目をくぐった。太陽が西へ沈み、東からのぼり、また西へ沈んだ。雪が降ることはあっても、吹雪にはならなかった。


 ユマは、イレネに仕える霊獣が銀の牡鹿であることを思い出した。きっとカルガーンは、他とは異なる、特別な鹿なのだろう。そう思ったとき、前方を行くカルガーンにまたがるディオネットの幻影が見えた。藍色のガウンをはおり、銀の髪を風になびかせている。周りに付き従うのは、翼を広げた竜、純白の一角獣、青い光を放つ蝶、燃え盛る不死鳥――。


 ユマはとある予感に襲われた。


「オリファ」


 首に下げた鎖を引く。


「この指輪にはどんな魔法がかけられている?」


 彼が馬を近づけ、のぞきこんだ。


「強力であることは確かだけど、どんな魔法かまでは分からない。どうして?」


 ユマは動揺した。考えてみると、ディオネットには不可思議な点がいくつもあった。彼女は森全体を魔法の効力下に置いてしまうほどの、強大な力と技術を持っている。問題は、それを可能とする()()がこの世に存在するか、ということだった。


 学園の教師からいつか諭されたことがある。「素性の知れない人には親切にしなさい。その人は、人間の姿に身をやつした神かもしれないから」と。その教えが意味するところは、神々がときに人の姿となって地上に現れるということだ。


 ディオネットにはもう会えまい、とユマは思った。だがそれを言葉にして現実になることを恐れ、何も言わなかった。


 二人はそれまで決して見失わなかったカルガーンを、神殿を出て三日目の昼に見失った。鹿が向かった方向へ駆けたとき、突然差した強い光にユマは目を細めた。いつの間にか、木立を後ろに置いて、雪原に出ていた。太陽がちょうど雲から覗いたところで、あたり一面が白くまぶしかった。


「街道だ」


 オリファが顎で指した。地平線に近い場所に、雪に半ば埋もれて、木の杭が連なっている。鹿の気配はどこにもなかった。


 日が傾きはじめたころ、街道沿いに小さな小屋を見つけた。旅人が自由に使える休憩所である。最後の修繕を施したのは夏なのだろう、小屋は獣に荒らされ扉が外れていた。囲炉裏を囲んで六人ほど座れる広さがあり、土間には馬も入れられそうだった。二人と二頭が使うには申し分なかった。


 あたりはもう暗くなりはじめていた。追いやられて中に入ったユマは、囲炉裏に火をおこし、湯を沸かした。窓に吹きつける風が強くなってきた。ここ数日、良い天気がつづいたつけが回ってきたのか、吹雪になりそうだった。オリファが馬二頭を土間にあげる。それから室内に立てかけられた扉を、元の場所にぴったりはめこみ、隙間に詰め物をした。


 ユマが湯で干し肉を戻し、オリファが香草のスープを作った。風のうなり声が響きわたる。木組みの窓ががたがたと揺れ、閂を壊さんばかりだった。今のところ、悪霊の声は聞こえない。立ち昇る煙が管に吸い込まれ、部屋を暖めながら煙突へ抜けていく。やがて夕食が出来上がり、二人は大地の女神に食前の祈りを捧げた。


 スープで身体が温まったころ、扉が勢いよく叩かれた。ユマは飛び上がったが、「人間だ」匙を置いたオリファが冷静に言った。


「入れてあげよう。異論はないね?」


「もちろん。ただ――」


「スィミア人だった場合は追い返す」


 ユマは頷き、剣を抜いた。


 オリファが目配せ、勢いよく扉を開けた。彼の声ではない、はっと息をのむ声が聞こえた。剣先を首に突きつけられた訪問者が、ゆっくりと両手をあげた。冷たい風と雪が、一気に吹き込む。一瞬、暗闇から悪霊が迫ってくる気がした。


「入って」


 あまりに早いオリファの判断に、ユマは抗議しようとした。だが震えながら入ってきた女は、亜麻色の睫毛をしていた。スィミア人ではない。


「助かったわ、ありがとう」


 女の携える杖先が扉につかえ、オリファが手助けする。女はなんとか馬を入れると、息もたえだえにうずくまった。頭巾がずり落ち、淡色の髪があらわになる。ユマは腕を抱いて硬くなっていたが、我に返って、薬湯の入った革袋をオリファに投げた。彼が栓を開ける。


「飲めますか。薬湯です」


 女は少しだけ口に含むと、囲炉裏のそばで横になった。オリファが女の腕に指を当て、脈を確認する。「大丈夫そうだ」ほっとした様子で言った。二人は手持ちの毛布など、身体が温まるものを女にかけてあげた。


 二人は女に場所をゆずり、火を挟んだ向かいに座った。見た感じ、彼女は一回りほど年上だった。携えてきたナラの杖にはヘテオロミアの紋章である、翼をもつ獅子の焼き印が押されている。都市の正規兵である証である。それに気づいたユマは、オリファに耳打ちした。


「役人からぼくのことを聞いていると思う?」


「大丈夫だよ。仮に聞いていたとしても、指名手配される人間なんて、ひと月に数えきれないほどいるんだ。直接その仕事に関わっていない限り、覚えてられないさ」


 半刻ほどすると、女がもぞもぞと動き出した。先ほどは意識が朦朧としていたのだろう、毛布や外套が自身にかけられていることに気づいて、礼を言った。オリファが愛想よく尋ねる。


「具合の悪いところはないですか」


「大丈夫……。馬が脚をくじいてしまって、仲間には先に行ってもらったの。あと三ルニぐらい走れば集落があるんだけど、限界だった」


 女は起き上がり、室内を見渡す。


「ふたりきりなの?」


 年端のいかない少年ふたりのみと知って、驚いたようだ。


「道には慣れていますから。叔母の家に向かう途中なんです」


 言いながら、オリファがスープをよそう。


「よかったらいかがですか」


 女が頷き、お椀を取った。


 しばらくすると、女が眠りについた。オリファが最初の夜番を買って出たので、ユマは膝を抱えて横になった。だが風の音が不安を駆り立て、なかなか寝つけなかった。ユマは寝返り、オリファを見た。


「スープに入れたのは何?」


 その問いの意図を、オリファは味を褒めるためだと捉えた。自慢げになって、使った調味料を挙げはじめる。ユマはそれを制した。


「そうじゃない。あの人が横になっている間に、調味料に見せかけて何か入れただろう。ぐっすり眠るなんて無警戒だ」


 オリファは若干、がっかりしたようだ。ため息をついて言う。


「おとぎ草とねむり茸と……その他いろんな粉末を混ぜたもの。念を入れるに越したことはない。あの人は少なくとも、日が昇るまでは起きないだろうさ」


 ユマはあきれ半分、感心半分だった。オリファはスィミア人らしくない愛想の良さをもっているが、それも含めてやはりスィミア人である。


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