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夏の王冠  作者: sousou
3章
19/65

18話 思い出

 オリファは指輪の魔法がかけ終わるまでの数日間、神殿に滞在することになった。彼の滞在が短期間でよかったと、その後ユマはしみじみと思った。というのも彼の生来の親しみやすさが、娘たちの気を引いて止まなかったからだ。


 彼は誰に対しても愛想よくすることが礼儀だと思っている。挨拶をするときにも、配膳を受け取るときにも、控えめにだが必ず微笑む。すると娘たちも照れながら笑みを返す。ユマの話し相手は年ごろより下か、上の年代の女性だったが、気づくとオリファの周りには娘たちが群がり、花畑のようになっていることがあった。


「ユマ。あなたに一緒に旅してくれる友人がいて良かったと思います」


 ある夜、口数の少ないミオラが、珍しく自分から口を開いた。


「魔法の指輪は悪霊除けにはなっても、心の支えにはなりませんから」


 ユマは照れ隠しに、床に置いた角灯の向きを変える。金属板に抜き打ちされた一頭の鹿が、柱の陰へ駆けていった。寝静まった神殿に、祭司の凛とした祈祷の声だけが響きわたる。


「ミオラ、あなたはいつからここに?」


「幼い頃からです。昔は……にぎやかな町に暮らしていましたが、その頃のことはあまり覚えていません。町の名前も思い出せないくらいですから」


「分かる気がします。あまりにも深い森にあるからか、ここにいると、俗世のことを考えなくなります。そのまま、あらゆることを忘れられそうな……」


 ミオラの瞳に興味が宿った。


「忘れたいのですか」


 ユマはしばし黙した。


「いいえ。どの思い出も大切なものです。少なくとも、ぼくがぼくであり続けるためには」


 ミオラが頬をゆるめた。


「指輪の魔法が完成したら、すぐに出立しなさい、ユマ。ここに居つくとそのうち、昔のことをぼんやりとしか思い出せなくなりますから」


 ディオネットの声が止んだ。祈祷が終わったのだろう。片づけを手伝うために立ち上がったミオラが、つぶやいた。


「花……。あの町に、花が咲いていたことを思い出しました」


「どんな?」


「青い花。わたしはその花で、花冠をつくって遊んだ覚えがあります」


 ユマは雷に打たれたように固まった。微笑んだミオラに一瞬、フェルーが重なった。


 指輪の魔法がかけ終わった夜には、ディオネットが手ずから、ユマの杯に蒸留酒を注いだ。ユマはこのころには以前より、だいぶ多くの量を飲めるようになっていた。はじめて酒盛りに参加したオリファは、慎重を期してちびちびとしか飲まない。


 彼女は指輪にかけた魔法の注意点を説明した。悪霊除けの魔法は、三つの指輪の力を借りてはじめて体現される。そのため、三つを別々に保持していると、効果がないとのことだった。


 ミオラが空になった水差しを下げ、新しいものを運んできた。ユマは二人に、明朝に神殿を出立し、叔母の元へ向かいたい旨を伝えた。指輪以外の旅支度は、すでに整っていた。


 ユマは、スィミアを出た当初に目指していた都市、ヘテオロミアを迂回することに決めた。理由として一つには、神殿で十分な食料を確保できたからだ。より大きな理由としては、時間の経過とともに、そこへ立ち寄ることが危険になったからだ。ヘテオロミアにはスィミアの領事館がある。神殿に滞在している間に、ユマという罪人の情報はとっくに領事館の役人の耳に届いていることだろう。


 タイニール叔母さんは自分を快く迎えてくれるだろうか、それとも逆だろうか。ユマは考え、目を伏せた。その様子に気づいたオリファが、「心配ないさ」と言った。


「悪霊に追われていても、魔法を使えなくても、おれはユマの味方だ。もし叔母さんに会ってうまくいかなかったら、その時にまた、どうすればいいか考えればいい」

 

 ユマは感謝を込めて、オリファを見返す。背筋を伸ばし、ディオネットに向き直った。


「本当にお世話になりました、ディオネット。このお礼はいつか必ずします」


「礼などいりません。この神殿はいつでも見つけられるというわけではありませんから」


 ひと仕事終えたからか、この日、ディオネットは平静より表情豊かで、瞳に少女のようなからかいを宿していた。ユマは落ち着かなかった。彼女をいつまでも見ていたいと思うが、見ていられない。あとで思い返すと、これは万人が人生で一度はかかる魔法、人を一瞬にして天にも昇る気持ちにさせ、一瞬にして地に落としもする、例の危険な魔法だったのだ。


 祈祷が始まる前の夜明けに、ユマとオリファは騎乗した。吐く息は白いが、最も寒さの厳しい時期は過ぎていた。ちらつく雪が、外套を白く染めあげていく。手燭を持った数人の神官が、見送りのために表へ出てきた。


「アンドレアを起こしますか」


 宿舎の前を通ったとき、ミオラが尋ねた。ユマは丁重に断った。自分が去ってしまうことを知れば、アンドレアは泣いてしまうかもしれない。誰かの涙を見るのはもうたくさんだった。


 角灯の留め具がきいきいと音を立てる。小径へと入る前の耕作地で、神官たちが立ち止った。ディオネットの銀髪が、暗がりのなかで光を放っているように見える。


「順調に進めば、三日後には街道に出ます。森の外までカルガーンに案内させましょう」


 ディオネットが名を呼ぶと、銀の牡鹿が颯爽と駆けてきた。ユマたちを追い越し、前に立って振り返る。旅の安全を願って、ディオネットが二人の馬に、順に触れた。灰色の瞳がユマに向けられる。


「お気をつけて」


 オリファがユマに向かって頷いた。ユマは手綱を握りなおした。


「さようなら、聖なる森の方々」


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