16話 訪問者
翌日の早朝、ユマは家畜小屋に身を潜めていた。積み重ねられた干し草の上で寝ころび、落ち着かない気持ちで、剣を握ったり離したりする。家畜たちはユマを干し草の一部であるかのように捉え、悠々とまどろんでいた。
と、扉が開いてユマは飛び起きた。
「おはよう!」
現れたのはアンドレアだった。驚いた山羊や羊たちが、大慌てで後退していく。
「おはよう、ユマ兄ちゃん!」
満面の笑みをたたえて寄ってくる彼女がまぶしくて、ユマは家畜と一緒に後退したい気持ちに駆られた。彼女にはまだ十分な体力がないので、家畜の世話はしないはずだった。
「どうしてここへ?」
「朝ごはんを届けにきたの」
話を整理すると、彼女はミオラに朝食の配達を頼まれたらしかった。アンドレアにとっては大きな籠を、両腕で宝物のように抱えている。なかには二人分のライ麦パンとチーズ、それに水筒が入っていた。ユマは礼を言い、彼女を外へ誘導した。屋内は食事をするには獣臭すぎた。
一緒にモミの葉を集める間、アンドレアはご機嫌で、鼻歌をうたっていた。二人は集めた葉を小屋の裏手に敷き、並んで座った。ユマはパンにチーズを乗せ、アンドレアに渡した。
「さっきうたっていたのは、なんの歌?」
パンをかじった彼女が、もごもごと口を動かしながら答えた。
「むかしの王国の、女王さまのぼうけんの歌だよ」
「むかしの王国?」
彼女は口のなかのものを呑み込んだ。
「うん。ずっとむかしに、テオル山脈の南に大きな王国があったんだって。アンにぴったりだって、ディオネットが教えてくれたの。だってアンの名前は……ええと」
「アンダロスに由来しているから?」
「そう、アンダロス!」
頷いたユマは、自分の分のパンを取った。
「分かった。『むかしの王国』はアンダロス帝国のことだね。テオル山脈の南は、今はいくつもの国に分かれているけれど、昔は一つの大きな国だった。そのときの名残で、ぼくらは南に住む人をアンダロス人と呼ぶんだ」
「へんなの!」
アンドレアが笑った拍子に、パンにはさんだチーズが落ちる。ユマはそれを回収し、物欲しそうにこちらを見ていた牧羊犬に向けて放った。犬が大喜びでチーズに飛びつく。
「じゃあ、アンの名前は『むかしの王国の人』って意味?」
「ちがうよ」
発想が突飛なものだから、ユマは頬をゆるめた。
「アンダロスという単語には元々、『勇敢』や『勇気』という意味がある。彼らは自分たちのことを勇敢であると主張する意味で、国名をアンダロスとしたんだ」
相手が首をかしげていることに気づいて、ユマは頭をかいた。説明が難しすぎたようだ。
「簡単に言うと、アンドレアは、『勇気ある女の子』っていう意味だよ。勇気っていうのは……恐れない心のこと。きっと歌の女王さまは、大変な状況でも、逃げないで戦うんだろう?」
「うん。女王さまはかっこいいんだよ」
「じゃあ、女王さまのような人を、勇気がある人と言うんだ。アンドレアという名前には、そういう人になってほしいという願いが込められているんだよ」
アンドレアの瞳がきらきらと輝きだす。彼女は急いで残りのパンを平らげると、かごを持つのを忘れて、駆けだした。遊んでくれると思ったのか、犬がその後を追う。しばらくすると彼女は振り返り、「ありがとう、ユマ兄ちゃん!」と叫んだ。
ユマが家畜小屋に戻ってしばらくすると、山羊の乳搾りをするために神官と見習が入ってきた。彼女たちは、ユマが馬に会うために小屋に来るのを知っているので、入り浸る彼を少しも不審がらなかった。いつも通り挨拶を交わし、手伝ってほしいことがあるとユマを呼んだ。彼女たちは約二十頭分の乳で瓶をいっぱいにし、それらを荷車へ積み込んだ。新たな干し草を積み重ねると、神殿へ戻っていった。
ユマはロトに馬具をつけ、小屋の裏手へ引いた。指輪の魔法は完成していないが、いざというときに逃げられる状態にすべきだ。昨晩のうちにまとめておいた荷物も縛りつける。
準備を終えたとき、軽快な足音と、鹿の鳴き声が聞こえた。カルガーンが戻ってきたのだ。そのすぐ後に、一頭の馬の足音が聞こえた。嫌な汗がどっと吹き出る。
神殿が騒がしくなった。訪問者が到着したのだ。ディオネットの白い後ろ姿が一瞬見えて、曲がり角に消えた。ユマはロトと一緒に待機する。訪問者の正体を告げに、ミオラがここに来る手筈になっていた。ユマは息をひそめ、動きを待った。
「お待ちください!」
突如聞こえたミオラの声に、肩をゆらした。ユマは手綱を持つ手に汗握る。廊下を鳴らす足音から判断するに、訪問者は男である。それを小走りで追う足音はミオラか。
「ユマ!」
息が詰まった。
「ユマ、おれだよ!」
うそだ、あり得ない。そう思いながらも、身体は勝手に動いていた。
「オリファ?」
声に振り向いた巻き毛の少年は、泣きそうな顔をしていた。
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