15話 アンドレア
いつの間にか、去年と同様か、それ以上に寒い冬が到来していた。日の出る時間はごく短くなり、暗い廊下を、角灯をもった神官たちが白い亡霊のように行き交う。ときどき鹿をあやす口笛、少女たちがふざけ合う声が聞こえる以外は、神殿は深いしじまに包まれていた。
ロトとの散歩を日課にしていたユマも、さすがに寒さに堪えて、めったに外出しなくなった。冬はあらゆるものが眠りにつく季節だ。木も草も動物も、人も。追手の心配は、しばらくしなくてよいだろう。
ユマは食堂で、フェルーと同年代の少女、アンドレアの話し相手になることが増えた。スィミアのほとんどの住人がそうだったように、神殿には黒髪の者が多かったが、なかには彼女のように、金灰色の明るい髪色をもつ者がいた。ミオラの話によると、そのような外見の者は、アンダロス人の混血児が多いという。そのため顔立ちも異なれば、名前もノクフォーンでは聞かない名前だった。
「アンの髪はね、明るすぎるんだって」
ある昼時に、アンドレアが言った。
「お父さんもお母さんも、お爺さんもお婆さんも、みんな暗い色なのに、一人だけおかしいんだって」
ユマはスープを飲む手をひととき止めた。匙ですくった一口を飲みきってから、応えた。
「おかしくないよ。遠い祖先に明るい髪色の人がいると、同じような髪色をもつ子が生まれたりするんだ」
とはいえ、ミオラの話を鑑みると、違う可能性のほうが高いと思う。例えば、母親にアンダロス人の恋人がいて、彼女は不義の子であるとか。そのために家から追い出されて、神殿に入れられたとか。
なんにせよ、幼い頃から神殿にいる子は、一族の厄介者であることが多い。継がせる土地がなかったり、かける養育費がなかったりすると、貴族の息子でも神殿に入れられる。自身には非がないのにもかかわらず、彼女は生まれたときから苦労を背負っているのだ。
アンドレアは黙り込み、不器用にパンにバターを塗りたくっている。つけすぎではないかな、とユマは思ったが黙っていた。彼女が口を開いた。
「みんなに、きもちわるい色って言われるの」
ひととき固まったユマは、心中でため息をついた。大人より子供のほうが、容赦ない言葉を投げつけるものだと思い出した。近頃はすっかり忘れていた、嫌な記憶が蘇ってくる。ユマは気の利いた言葉を探して、オリファにいつか見せられた、アンダロス人の祝祭を描いた絵を思い浮かべた。
「花冠がよく似合う色だよ」
「ほんとう?」
「うん。お花は好き?」
「好き。夏になったら、摘みにいく約束してるの。リリア姉ちゃんと。それから、川遊びもするの。きらきらのお魚がいっぱいいる場所を知っているんだって」
彼女は顔をほころばせると、バターでべたべたになった手で、パンを口に運んだ。
アンドレアとの会話は心地よく、ユマは食堂で彼女を見かけると嬉しくなった。一方で、同年代の娘と話すのは苦痛だった。
病から回復して二週間の間に、ユマは何回自分の名を言い、また相手の名を言われたか分からない。娘たちの旺盛な好奇心には驚かされた。質問をしなくては会話が成り立たないことは分かっているが、答えたくない質問ばかりされては、嫌になってしまう。困り果てていると、年嵩の神官がいつも彼女たちをはけさせた。
その間にも毎晩、指輪に悪霊除けの効果を付与するために、ディオネットが祈祷を行った。彼女は邪魔が入らないよう、本殿におけるすべての扉を閉め、月明かりを入れるために上窓を全開にし、純白の外套を着こんで祝詞をつぶやいた。ユマにできることは、廊下でミオラと共に、祈祷が終わるのを待つことのみだった。たまにその後の酒盛りに付き合うこともあった。
指輪の魔法をかけはじめて三週間が経った日のことだ。朝の祈祷後に、ディオネットがユマを手招きした。壁際に寄り、ユマにしか聞こえない声でささやいた。
「東の方角に人の気配がします」
ユマは顔色を変えた。
「スィミア人ですか」
「分かりません。ですが、よほどの理由がなければこの時期に森をうろつかないでしょう。明日は念のため、厩に隠れていてください」
彼女が指笛を吹くと、すぐに足音が聞こえ、立派な角を戴く鹿が現れた。ディオネットがカルガーンの耳に口を寄せ、一言二言、指示をする。カルガーンが颯爽と木立に消えていった。