14話 3つの指輪
数日後に、ユマはディオネットに呼ばれた。執務室に入ると、彼女はペンの羽軸を切っているところだった。ユマは書見台に立てかけられた本に目をやった。そこには絵のために確保された余白を避けて、文字が書きはじめられたばかりだった。
「ご存知ですか、ユマ」
ペン先が納得のいく出来栄えになると、ディオネットはそれを脇に置いた。
「むかし、法が整備される前は、賢人として名をはせることは命がけでした。みな賢人のもつ力を欲しがるからです」
「力とは、権力のことですか」
「いいえ。魔力です」
ユマは顔を強張らせた。
「つまり……」
「眼球を狙われるのです。あなたの行ったことは、実のところ、大昔から人間が繰り返してきた所業です。そのため眼球をえぐる行為に対して、厳しい罰則が用意されました。しかし他者の眼球を取り込んだ者は、法に罰せされるまでもなく、自然に罰せられます。他者の魔力は自分の魔力とは性質が異なりますから、それは身体にとって異物と同じです。取り込んだ魔力に適応できなければ、その者は死に至ります」
「死に?」
ユマは手に力を入れる。では、自分もじきに死ぬのか。そして悪霊に取り込まれる?
視線をあげると、ディオネットの顔が間近にあった。ユマは驚いて椅子から落ちそうになる。
「あなたは死にません。拒絶反応により死ぬとしたら、とっくに死んでいます」
ユマは居住まいを正した。
「なぜぼくは生きているのですか」
「血縁関係にある者の魔力は似通っているので、比較的、そういった反応が起きにくいと言われています。しかし完全に適応できてはいないようですね」
ちらりと向いた視線に、ユマは思い至った。
「ぼくが魔法を使えなくなった原因は、それですか」
「ええ」
立ちあがったディオネットが、ユマの周りを歩きはじめた。
「あなたには魔力があります。それも、遠目で見て明らかなほどに。しかし、父君の魔力を取り込んだ魔力は、もはや純粋にあなたのものではありません。そのため以前と同じ感覚では魔法を使えないのでしょう」
「再び魔法を使えるようになる可能性はありますか」
「あります。同程度に、一生使えない可能性もあります」
席についたディオネットが、茶碗を口に運んだ。
「困るのは、魔法を使えようと使えまいと、悪霊があなたを見つけることです。悪霊は負の魔法を放った者の魔力に惹かれます。そのためあなたは悪霊を引き寄せます。しかしあなたには、通常備わっているはずの悪霊を追い返す力――魔法を使えません」
「つまり、魔力がなければ悪霊は寄ってこないということですか」
「おっしゃる通りです」
考え込みながら、ユマも茶碗を手に取る。ディオネットがつづける。
「人為的に魔力を捨てる方法も、ないことはありません。しかし魔法を使えなくなった魔術師は多くの場合、元通りの生活を送れません。残念なことですが、あなたも言っていたように、この土地で魔法を使えない者は、辛い生活を余儀なくされます」
ディオネットが茶碗を置く。
「ユマ。わたしがあなたのために出来ることは二つです。一つは、魔力を捨てる方法を教えること。もう一つは、悪霊を遠ざける道具を与えること。どちらを選んでも辛い道になります」
沈黙がつづいた。
ユマは思った。できることなら、悪霊とは二度と関わりたくない。しかし。
「魔力は捨てません。ぼくにとって魔法は生きることそのものです」
ディオネットが頷き、手を組み直した。
「では、あなたに道具を与えましょう。――ひとまず、首から下げているものを見せていただけますか」
ユマはぎくりとして、彼女を見返した。安心させるように、彼女が説明した。
「それらはあなたの持ち物のなかで、最も強い霊気を帯びています。悪霊除けの道具として、活用できるかもしれません」
ユマはしぶしぶ、鎖を引いた。衣の下から、三つの指輪が現れた。
「これは家族が身に着けていた指輪です。藍玉の指輪は妹の、青金石の指輪は母の、黒曜石の指輪は父のものでした。もっとも、手の小さい妹は首から下げていましたが」
興味深そうにディオネットがのぞきこむ。
「スィミアでは、杖の代わりに指輪を使うのでしたね」
「はい。これは第三の瞳とも呼ばれます。杖代わりの指輪ですから、本人にとって命の次に大切なものです。ぼくの指輪は家に置いてきました。母と妹が寂しがらないように」
指輪を見ながら、ユマは考えた。最も近い血縁として、フェルーとイスファニールの指輪については、自分が受け継ぐ権利がある。しかしヨダイヤの指輪については、正妻のクリヴェラか、嫡男であるイルマが受け継ぐのが道理である。自分はそれを盗んだも同然で、なぜそんなことをしたのか、自分でも分からなかった。
ディオネットが提案する。
「では、それら三つの指輪を基礎に、わたしが悪霊除けの魔法をかけましょう。悪霊の完全な排除は無理ですが、悪霊を遠ざけることはできます。そうすれば、以前より楽に旅ができます」
彼女の瞳を見てユマは、イスファニールの癖を思い出した。母は大事な話をするとき、いつも相手の瞳をまじまじと見つめた。
「わたしを信頼して、指輪を貸していただけますか。魔法をかけるのに、ひと月ほど時間がかかります」
ユマは鎖を首から外した。それを持ったままじっと黙る。
「あなたのことは信頼していますし、とても感謝しています。ですが、なぜ見ず知らずの罪人に、これほどよくしてくださるのです? 例えば、またぼくが誰かの眼球をえぐるかもしれないし、また人を……。あなたたちの恩を、あだで返すようなことをするかもしれません」
ひととき黙したディオネットが、口を開いた。
「本物の悪人には、悪霊は寄りつきません。本物の悪人は、人を殺めるのに何も感じないから――魔力に負の感情が存在しないからです。あなたは確かに道理にもとることをしました。ですが、それはあなたを援助しない理由にはなりません」
薪がぱちぱちとはぜる。ユマは再度、指輪に視線を落とし、両手で差し出した。
「魔法をかけてください、ディオネット」