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夏の王冠  作者: sousou
2章
14/65

13話 決意

 翌日、ユマの希望は叶わなかった。


 目覚めると身体が重く、寝台から起き上がれなかった。ちょうど食事を持ってきたミオラが、驚いた表情をして、額に手を当てた。


「ひどい熱ですわ」


 ユマはうめきながら、彼女を見上げた。


「いまは朝ですか、夜ですか」


「昼です。神官の朝は早いので、もう過ぎました」


「すみませんが、桶かなにかを」


 言い終える前に、口を覆った。察したミオラが前掛けを押し当てようとしたが、間に合わなかった。寝台のふちに手をつき、ユマは胃のなかのものを吐き出した。彼女が身体を支え、そっと背をさすった。


「昨晩、慣れないものを飲んだからです。あの方は客人にお酒をふるまわないと気が済まないのです」


「いいえ、いただいたお酒が原因ではないと思います」


 ユマは頭が回らず、続きを言えなかった。ミオラが腰にはさんだ雑巾を取ると、あっという間に床を綺麗にした。箪笥から清潔な手ぬぐいを取り出し、ユマに渡した。


「寒いですが、少しのあいだ我慢してください。こもった空気はよくないですから」


 鎧戸が全開にされ、雪明りに目を焼かれそうになった。ひととき遅れて、冷たい空気が舞い込む。ユマは手ぬぐいを口にあてたまま、寝台の隅に後退する。


「安心したのです。ここは悪霊が寄りつかない安全な場所だから。昔からそうでした。試験が終わるたびに体調を崩して、母が」


 ユマは口を閉ざした。意識が朦朧として、余計なことまで喋りそうだった。肩を抱かれて、横にされた。そのまま二度と起き上がれそうになかった。ミオラが手ぬぐいを水に浸して絞り、それをユマの額にのせる。


「薬を膳じてきます」


 朝の鐘が鳴り、夜の鐘が鳴り、また朝の鐘が鳴った。ときどき肩を揺さぶられては、ユマは口に食事を入れられた。一度、銀の風をまとったディオネットが訪れた気がする。額にあてられた手がひんやりと冷たく、心地よかった。次に目覚めたときには熱が下がり、身体がずいぶん楽になっていた。


 鹿の鳴き声によってユマは目を開けた。冷え切った部屋に一筋、鎧戸から漏れた光が差し込んでいる。鎧戸を押すと、夜明け前の森を、鹿の母子が歩いていた。交差する枝ごしに薄明の空が見える。はるか遠くでコヨーの声がこだましていた。


 ユマは雪を集めて鍋に押し込んだ。部屋へ戻って炉の薪を組み直し、火をつける。雪が解け、温まってきたところで、手ぬぐいを浸す。それで全身をくまなく拭いた。脱いだ服は再びまとわず、枕元に用意された服を広げてみた。予想通り、生成りの衣は女物だった。心中でうなったが、袖に手を通した。上に外套を羽織ってしまえば分からないだろう。


 身支度を終えたころには、空はずいぶん明るくなっていた。こうしてまた生きていることが奇妙に感じられた。ぼんやりとしていると、戸が叩かれた。寝ているものと思ったのだろう、返事を待たずに扉を開けたミオラは、驚きの声をあげた。ユマは看病の礼を言った。


「ぼくは何日間、臥せっていましたか」


「四日です。元気になってよかったわ」


 いつの間にか、彼女の顔には親しみが浮かぶようになっていた。


 ミオラと共に本殿へ向かうまでに、数人の神官や見習とすれ違い、そのたびにユマは穴の開くほど見つめられた。新顔であるという以前に、本来神殿にいないはずの性別の者がいるのだから衝撃だろう。気にしないように努めたが、フェルーと同年代の少女と目が合い、ユマは足を止めた。理由があって故郷にとどまれない者たち、とディオネットは言っていた。ここにいる少女たちは、捨て子や庶子なのだろう。


 祭司が本殿に現れ、朝の祈祷がはじまった。神殿には総勢百名ほどの神官と見習がいたが、全員女だった。祈祷は太陽の神、月の神、大地の神、火の神、風の神、水の神の順に行った。ユマは、この形式に慣れるのに時間がかかった。複数の神に祈ることはまだしも、イレネより先にハールに祈りを捧げるのである。スィミア人からすると考えられないことだった。


 祈祷後に、ディオネットがユマの元へやってきた。神官らは祭司のために道を開けたが、やや離れた所から二人の様子を伺っていた。四方すべてが耳をそばだてているような気がして、ユマは挨拶をするのがやっとだった。


「それぞれの務めに戻りなさい」


 祭司の指示によって、しぶしぶ人がはけていく。最後まで残ろうとしたのは見習の娘たちだった。年嵩の神官にどやされ、あわてて駆けていった。


 ユマは執務室に案内された。そのときになって気づいたが、ミオラはユマに関する世話をすべて任されているようだった。当然のように同行すると、お茶を用意しはじめる。ディオネットが席につき、椅子をすすめた。ユマは腰かけ、視線を落とした。


「先日は失礼な態度をとってしまい、申し訳ありませんでした」


「謝る必要はありません。あなたには休息が必要だったのです」


 ユマは意を決すると、ディオネットとミオラに、自分が誰の息子であるかを明かした。それから生い立ち、妹がいたこと、あの悲惨な晩の出来事を順に話していった。


 その上で彼は、神殿にしばらく滞在し、悪霊対策を考えたい旨を伝えた。ここは女子神殿であるから、男であるユマが居つくことはよくない。何より魔法を使えない者は神から最も遠い存在であり、神殿に留まるのは不適切である。しかし叔母を訪ねるまでの道のりで、何より問題となるのが、悪霊の存在だった。奴らは同じ気配のするユマを夜な夜な探し、仲間に引き込もうとしている。そうなればユマは影となって、永遠に地上をさまようことになるだろう。それを防ぐためには、何らかの対策を講じる必要があった。


 ディオネットはユマの要望を聞き入れた。そしてひとまずは何も考えずに、ゆっくり休むようにと言った。


 話を終えたときは、昼時になっていた。鐘の音が鳴るなか、ユマはミオラの案内に従い食堂へ向かった。食事当番の娘はスープを渡すとき、あからさまに緊張していた。ユマも状況が状況でなければ、同じ気持ちだったことだろう。学園にいたのは全員男だったし、ユマはイルマと違って、貴族の子女の集まりに連れていかれることもまれだった。年の近い娘と、これほど近い距離で顔を合わせるのは、はじめてだった。


「ついてきてください」


 食事を終えると、ミオラが言った。二人はぬかるんだ道を進み、神殿から離れていった。辿りついたのは家畜小屋だった。戸が開け放たれると、糞尿のこもった匂いが漂う。仔山羊の鳴き声がやかましかった。


「ユマさん、こちらへ。ディオネットが呼んでくださいました」


 見慣れた顔を見つけ、ユマは目を丸くした。


「ロト……」


 馬は主人の声に気づき、顔をあげた。ユマはロトにした仕打ちを思うときまり悪く、その場から動けなかった。その様子を見たミオラが言った。


「ディオネットはあなたの持ち物をえさに、この子を呼び寄せたそうです。主人の匂いに惹かれるということは、あなたを好いている証拠です」


 ユマはおずおずと、ロトの首に手を伸ばす。ロトは嫌がらなかった。ユマは涙ぐみ、毛並みに顔をうずめた。


「怖い思いをさせてごめん」


 しばらくして、ロトに付けられていた馬具と荷物を受け取る。幸運なことに、何も盗まれていなかった。ユマは尋ねた。


「この子と散歩してきてもいいですか」


「どうぞ。ですが、森から出てはいけません。森の外はご加護が働いていませんから」


 ロトに鞍をのせ、丁寧に腹帯を締める。


「ありがとう。ミオラさん」


「ミオラでいいです」


「では、ぼくのこともユマと」


 微笑んだミオラが、囲いの門を開けた。ユマはそのときはじめて、彼女の顔をよく眺めてみた。鼻筋は整い、瞳は優しげだ。若い頃はさぞ美人だったことだろう。


「日が落ちる前には戻ってきてくださいね、ユマ」


 次の日からユマは、家畜の世話や乳しぼり、チーズ作りなどを手伝った。暇ができたときには、神殿の図書室へ行った。なかではいつも、神官たちが写本に勤しんでいた。そこへ行くのは、インクと羊皮紙の匂いが学園を思い出させ、気持ちを落ち着かせてくれるからだった。ユマは仕事の邪魔にならないよう、二階の回廊に居座って読書した。本の種類は豊富で、アンダロス語で書かれたものもあった。


 だが毎日が毎日、心身ともに健康というわけにはいかなかった。それがユマをユマたらしめていたといっても過言でない、魔法を使えない状態はユマをひどい自己嫌悪に陥らせ、悪霊の言葉は耳に棘のように残っていた。怒りが、悲しみが、後悔が、油断すると波のように打ち寄せ、心を滅茶苦茶に荒らした。そのようなときユマは、今となっては唯一の友である、ロトと一緒に時を過ごした。


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