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夏の王冠  作者: sousou
2章
13/65

12話 提案

「休めましたか」


 廊下を曲がったところで、藍色のガウンをまとった祭司に出会った。昼に編みこまれていた髪はすべて下ろされ、豊かな髪が雲のようにひろがっている。ユマは胸が詰まり、動揺した。美しい? いや、好ましい? 一瞬のうちに、さまざまな感情があふれ出てきた。無言がつづいたことに気づいて、ユマはあわてて応えた。


「これほど安心して眠れたのは、スィミアを出てからはじめてです。あなたは素晴らしい魔術師なのですね」


 祭司が優しく微笑んだ。


「わたしの力だけではありません。カルガーンたち、鹿もこの森を守ってくれています」


「感謝申し上げます、祭司さま」


「ディオネットとお呼びください。他の者も名前で呼びますから」


 祭司がユマの手燭を取った。


「お腹がすいたでしょう? 食堂へ案内しましょう」


 そうして、ユマは夜の色をまとった祭司の背中に従った。


 うねる髪がきらめくさまを眺めていると、屋内にいるというのに、なぜだか満天の星空の下で、女神が導いてくれているような感覚に陥る。たしかに腹は減っていたが、歩いているうちに徐々に忘れ、いろんな幻想が見えはじめた。翼を広げた竜、純白の一角獣、青い光を放つ蝶、燃え盛る不死鳥、そういった伝説の生き物が美しい夏の夜に現れ、女神につき従い、追い越しては追い越され、追い越されては追い越して、楽しげな鬼ごっこを延々と繰り返しているのだった。


「ミオラ、いますか」


 祭司の声に、ユマは意識を引き戻す。炊事場のしめった匂いが漂っていた。


 垂れ幕を押し上げ出てきたのは、前掛けをつけた婦人だった。煮炊き番といった風貌だが、前掛けの下に神官の衣をまとっていた。掃除中らしく、手に雑巾を握っている。


「ユマ、彼女はミオラ。この神殿の古株です」


 祭司が紹介すると、婦人はユマに向かって、無言で頭を下げた。ユマは名乗り、挨拶を返した。


「ミオラ。片付け中にすみませんが、簡単な食事を用意してもらえますか。食材は好きに使って構いません」


「承知しました、ディオネット」


 神官らしい、落ち着いた声だった。ミオラは頭を下げ、厨房の奥へ消えた。


 誰もいないがらんとした食堂は、物が見分けられないほど暗かった。厨房から火打ち石の音が聞こえ、ぼんやりと光が漏れ出す。


 二人は暖炉にいちばん近い席についた。ユマが火打ち石を探ろうとすると、冷え切った暖炉にひとりでに火が灯った。炎の熱気に、銀の髪が一束あおられる。ユマはしばし、紅く浮かび上がった祭司の横顔を見つめた。


 ミオラが水差しと杯を携えてやってきた。「彼には少しだけ」、指示に頷いた彼女が、ユマの杯には膜が張るほど、祭司の杯にはなみなみと、琥珀色の液体を注いだ。人によっては黄金というだろう、嗅いだことのある強い香りが鼻をついた。祭司が言う。


「お飲みなさい。身体が温まります」


 一口飲むと、喉から胃にかけて、焼けるように熱くなった。ユマはむせ返り、杯を置いた。これほど強い酒を飲むのははじめてだった。水面を凝視していると、にわかにミオラが水差しを取った。見ると、祭司の杯はすでに空になっていた。


 室内が暖まってきたころ、料理が運ばれてきた。机に並べられたのは、乳を煮出したスープと、雑穀のリゾット、山羊のチーズに、何日も温め直しているのか、煮すぎて具が崩れている猪肉のシチューだ。


 丸二日ろくに食べ物を入れていない胃を慣らそうと、ユマはスープを慎重に飲みはじめた。が、酒の香りが口に残っていたので、まったく味気がしなかった。それから急に腹が減ってきて、無言で料理を平らげはじめた。人が自分のためにつくってくれた料理を、このときほどありがたく、おいしく思ったことはなかった。


「祭司さ……ディオネット」


 腹が満たされてきたころ、ユマは口を開いた。


「なぜ、ぼくが悪霊に追われていると分かったのですか」


「コヨーの目を通して見ていたからです」


 その一言でユマは、彼女が動物の目を借りられる類の魔術師であることを知った。コヨーとは、青みがかった黒羽をもつ鳥である。ディオネットがつづける。


「あの状況では危険だと思ったので、カルガーンに迎えにいかせました。対策を講じるまで、旅は中断したほうがよいでしょう。あなたさえ良ければ、神殿に留まっていただき、一緒に対策を考えたいと思いますが」


 反応を見るために、視線が向けられる。ユマは匙を置いた。


「ぼくのような者がいると、神殿の評判を落とすことになります」


「〈悪霊憑き〉であろうと、あなたは人間です」


「それだけではありません。ぼくは……」


 続きを言うのに、ずいぶん時間がかかった。


「ぼくは魔法を使えません」


 がしゃん、と厨房で器の落ちる音がした。ディオネットの表情は変わらなかった。


「あなたは魔法を使えます」


「使えました、以前は」


「どういう意味でしょうか。あなたの瞳からは魔力を感じます」


 ユマはおもむろに一つ、呪文をつぶやいた。ディオネットが咄嗟に、杯と水差しを押さえつけた――彼女にとって酒がいかに大切なものなのかがうかがえよう。しかし、来るはずの強風は生じなかった。彼女がゆっくりと手を離した。


「魔力を無意識に抑えてしまっているのでは? つまり、魔法を使うことで、それに反応した悪霊が集まってくることを恐れている」


 ユマはかぶりをふった。


「恐ろしいことは確かですが、関係ないと思います。なにも感じられないのです。ここに満ち溢れているはずの霊気、神秘の息吹が」


 ディオネットがじっと瞳を見つめてくる。ユマは居住まいを正し、目をそらさないようにするのに苦労した。彼女が口を開いた。


「分かりました。原因を探ってみましょう」


「いいえ、明日にはここを出ます。魔法を使えない者が神殿にいてはいけません」


「なぜ? アンダロス人――南の人びとの間には、魔法を使えない神官がたくさんいますよ」


「ノクフォーンでは違います」


 鼓動が速く、頭が重かった。


「ごちそうさまでした」


 立ち上がると、椅子の脚が床とこすれ、不快な音をたてた。ミオラが手を止め、こちらを見ている。まごついた拍子に、肘が杯にあたった。それが床に転がり、静寂を裂いて甲高い音が響きわたった。ユマは泣きそうだった。手燭を取り、逃げるようにして食堂を出た。


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