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ブルーノが無事にルディを連れて教会に戻り、揃って孤児院の方へ向かうとマルコが子どもたちに遊ばれていた。遊んでいたというより遊ばれてる。夜にマルコがいることが珍しく、子どもたちは興奮したようでキャッキャとはしゃいでいる。
「ああ、無事だったか」
「マルコさんありがとうございました。教えてくれたことも、子どもたちのことも」
「いいよいいよ、じゃあ俺は飲みに行くからな」
えー!という子どもたちの抗議の声は上がったが、もう夜だから寝ましょう、というブルーノに従って子どもたちは寝室へと足を運ぶ。マルコはゆっくりとした足取りで酒場に向かって行った。
(マルコがいるから大丈夫と言われてきたが・・・飲みに行ってしまったじゃないか)
ルディは急に不安になった。子どもたちはもう寝てしまう。ブルーノは彼らが眠ったのを確認して戻ってくるだろう。そうすると起きているのは自分とブルーノの二人だけ。
その事実が急に重くのしかかり、ルディの胸を大きく鳴らす。ブルーノに対して好意を抱いていて、その気持ちの中には少なからず肉体的な接触を求めるような気持があることは自覚していた。経験もなく知識も殆どないとはいえ成人した体を持つルディは本能的にブルーノを求めているんだと感じていた。
出来るだけそのことを考えないようにしてきたのに、二人きりになると思ってしまったルディにはそのことを頭から消し去る余裕がなかった。
ただ、そんな悠長なことを考えている場合ではない、と兵士だった頃の感覚が警鐘を鳴らす。もしかするとロターリオがやってくるかもしれない。神経を研ぎ澄ませ奴の気配を感じなくては、と気合を入れ直すものの、どうしてもブルーノのことが頭をよぎる。畑仕事や庭いじりもしているせいか少し土の香りと、それに書物のインクが混じったようなブルーノの香りを思い出すと体がそわついた。
(こんなに低俗な人間だったのか私は。最低じゃないか)
子どもたちの寝室は男女二つに分かれている。ルディが来たくらいの頃はまだ小さかったので一部屋で皆が寝ていたけれど成長に伴い、そして子どもたちの人数も増えたので二つに分けた。
その結果女の子部屋は今まで通り上の二人が小さな子を寝かしつけてくれるのだが、男の子部屋はそうもいかなくなった。どうしても騒いでしまいたくなるのだ。特に今日みたいなイレギュラーがあった日は。
ブルーノはベッドに入ろうとしない子どもたちを宥めながら、孤児院の食堂に置いてきたルディのことが気にかかっている。一人にしてしまったが大丈夫だろうか。ブルーノの能力では距離が離れると魔力を見ることが出来ない。不届き者がいたとしても近づいてこない限りわからないのだ。
(彼女なら恐らく気配で気づくことが出来るだろうが・・・)
そんなブルーノの思考をかき消すように子どもたちから矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
「神父さまはいつルディをお嫁さんにするのー?」
「今日は二人でデートしてきたの?」
「今から二人で何するの?遊ぶの?」
無邪気な子どもに今から何をするのと聞かれ、胸がどくんと大きく鼓動する。何もしない・・・しない、うん、しない。しないしない。と頭の中で言い訳をする。
「少しお話するだけだよ」
「それって結婚の話?プロポーズっていうんだよね」
「終わったら二人で寝るの?結婚したら二人で寝るんでしょ?」
「それ誰かに聞いたのかい?」
「リヤちゃんが言ってたよ!」
リヤというのは最年長の十歳の女の子だ。もうすぐ十一歳になる。可愛らしい顔立ちをしているので身の振り方には気を付けるようにと言っていたが、どういう意味で気を付けるべきかを男のブルーノから教えるのが難しく、その他のこともあるので宿屋の女将に教えてもらえるように頼んでいた。それが部分的に男の子たちにも伝わったんだろう。
ブルーノもそろそろ男の子たちにそういうことを教え始めたほうがいいのだろうかと頭を悩ませつつ、一通り騒いだ子どもたちが疲れて寝るまで見守った。
男の子部屋を出て、ほんの少しだけ女の子部屋の扉を開けて中を確認するとみんな眠ったようで小さな寝息が聞こえてきた。そっと扉を閉めて食堂に向かう。
「ルディさん、お待たせしました」
ルディには教会側にある客室を使ってもらおうと考えていた。理由があり教会に駆け込んできた人を泊めるために二部屋客室が用意されている。まだ一度も使ったことは無いが毎日掃除だけはしているので大丈夫だろう、と。
そう思って扉を開けるが、そこにルディの姿はなかった。魔力も見えない。
「ルディさん!?」
急いで窓の外を確認する。孤児院の裏手の庭にはいなかったが、反対側の慰霊碑の近くに新緑の魔力があた。一人分の魔力しか見えないことに少しだけほっとして、ルディに近づいていく。
「・・・ルディさん」
膝をつき祈っていたルディはゆっくりを顔を上げた。
見上げる瞳がほんの少し濡れているように思って、ブルーノは慌てて彼女を引き上げた。そしてそのまま抱きしめる。
ルディのほうが大きいせいでどちらかと言えばブルーノがルディに抱き着いているような恰好になってしまったが、構わず腕に力をこめた。
「ブルーノさん?」
ほんの少し震えた小さな声がルディから発せられると、ブルーノは慌てて彼女を離した。
「すみません、あなたが泣いている気がして・・・慰めたいと思ってしまった」
ルディはその言葉を聞いてただ目を丸くしているだけで何も声を出せない。泣いているところを慰められるなど、子どもの頃にあったきりだ。養父によって厳しく鍛えられていたルディは元々の性格もあり辛いとか痛いとかで泣くことは殆どなかった。
一度だけ養父がいなくなる夢を見て夜中に泣き叫び、朝まで養父が抱きしめてくれたことがあった。記憶に残っているのはそれくらいだ。
それ以降人前で泣いたことがあったかどうか思い出せない。アイスリドラ国を離れてからは傭兵として男に交じって働き、泣いている女を慰めることはあったが、慰められることなど一度もなかった。男の多くは自分よりも背が高く強い女に対して厳しい態度で接する。男のように扱われるほうがマシで、下手に女扱いされてしまうと居心地悪くなるだけだった。
だからこそ常に髪を短く、化粧もせず、男と同じ格好をして胸を潰して女らしさを見せないことを傭兵時代は気を付けていて苦労したが、鎧を着てからはそれがものすごく簡単に楽になった。誰もが男だと思い込む。それに英雄を慰めようとするのは殆どが夜の相手をする仕事を担っている女たちだった。
ルディより華奢で力もないブルーノが、自分を慰めようとしている。真剣にだ。ブルーノがふざけて女性に触れるような人間ではないことを、ルディだってよくわかっている。手を引かれることはあったし、肩が触れることもあったが接触という意味で色気のあるものではなかった。
だけど今さっきの抱擁は、接触ではない。抱きしめようとして、抱きしめられたのだ。経験のないルディであってもそれはわかった。加えて頬を染めながらも真剣にルディを見つめるブルーノの表情。ルディはまるで自分が必要とされているように感じた。
ブルーノに求められているように。
「私は、あなたにそんな風に優しくしてもらえるような人間ではない」
ブルーノを見つめて、ルディは静かにそう話す。
「そもそも、こんな美しい場所にいていい人間ではなかった。優しくされる資格も、愛される資格もない」
ルディの瞳から、涙が一筋零れる。
「本当はもっと早く、ここから立ち去るべきだった。だけど余りもこの場所は優しく・・・でも、それも今日で終わりです」
「終わりとは?」
「先ほどの男は私を追いかけてまた来ます。言って諦めるような奴ではない、目的のために手段を選ぶことはしない。連れて帰ると言っていたので連れ帰るために何でもするはず。例えば子どもたちを人質にとることも平気でやってのける、そういう人間です」
「だから、あの男についていくというのですか?」
「いえ、ここから離れれば済む話です。私がここからいなくなったとわかれば、あの男はそれを追いかける」
「私ではあなたを守れませんか?」
ブルーノは自分にそんな力がないことはわかっていた。わかっていても、今言わなくてはいけなかった。今を逃せばきっと、目の前の大切な人を失うだろうとわかっていた。
「私は力では何の役にも立たないでしょうが、それでもあなたを守りたい。あなたの心も。傍にいて、私の愛であなたを守れたらとずっと思っていました。勇気がなくて言い出せませんでしたが、今日のようにあなたが傷ついた顔をしているのを放っておくことなどできませんし、傷ついたあなたを癒すのは私でありたい」
ルディはゆっくりと顔を横に振る。この言葉が愛の告白に聞こえたから、なおさらはっきりと。
「ブルーノさんのような素晴らしい方のお心を頂くわけにはいきません」
「それはあなたが・・・黒鎧の英雄エスメラルダだからですか?」
ルディの目が驚いて開かれるのが月明かりだけの夜の暗さでもよく分かった。相手の表情が読み取れるぐらい二人は近くにいる。一歩踏み出せば距離が無くなるくらい近づいたのは初めてのことだった。
「どうして・・・どうしてそれを・・・」
ルディの足が下がるのを見て、ブルーノは一歩大きく踏み出した。両手で彼女の肘あたりを掴む。これ以上離れないように、痛くない程度に力をこめて。二人の距離はさらに近づいて、吐息が触れる気がした。
「初めに声をかけた時から・・・いえ、声をかける前からわかっていました。私にはそういう力があります」
「わかった上で知らないふりをして声をかけたと・・・?いや、そんなまさか」
「私はバオで治癒師として従軍していました。あなたが毎日戦った後傷ついた兵士や巻き込まれた人を担いで後方に戻ってくるのを待っていました。遊びもせず息抜きもせず、日が落ちてからもあちこち動いては亡骸を集め膝をついて祈るところも見ていました。非力な私ではあなたを助けられないことをもどかしくも思いました」
ルディはあの頃の記憶を思い返す。ブルーノだけでなく、殆どの人の顔をしっかりと見ていなかった。怖かったのだ。いつこの人たちがいなくなるかと思えば、覚えていたいと思う気持ちより喪う怖さの方が上回った。養父を亡くした時の痛みがまた自分を襲ってきたら耐えられなかった。
「あなたが死んだと聞いた時、私はここで教会の再建に携わっていました。最初は難航していたのですが、あなたが最後に戦った地だからとたくさんの貴族が寄付をしてくださった。お金ではなく労働力になりに来てくださった人もいる、たくさんの亡骸を燃やすために治癒師として働いた仲間がやってきたのも、あなたが最後までここを守ったからだった。私もそうです。あなたが必死に守った場所だから、だからここで神父として出来ることをしようとした」
「やめて・・・もうやめてください」
ブルーノの言葉がルディの耳に届くたびに、ルディの瞳からは涙が零れた。
「あなたが必死に戦っていたことを私は知っています。苦しんでいらっしゃったことも気づいていました。何の声もかけることが出来なかったことを悔やみました。でも、私は生きている。だからできることをしたかった。あなたに報いたかった」
「お願い・・・もうやめて」
一筋、また一筋と熱いものが流れては落ちていく。
「あなたが生きていてくれたと知って、私は嬉しかった。英雄の姿ではなく美しい女性として現れたとわかった時は驚きましたが、本当に嬉しかった。あなたが生きていてくれて、また巡り合えたことを神に感謝したのです。そしてあなたが幸せに過ごせるように力を尽くしたいと」
「もうやめて!」
「いいえ。あなたが居なくなることをやめると言うまで、私はあなたに思いを伝え続けます」
「私はあなたに・・・そんな風に言ってもらえるような人じゃない」
ブルーノはルディを掴んでいた手を腰に回し、引き寄せた。しっかりと抱いた後そっと腕を上に動かしてルディの後頭部を自分の肩に押し付ける。
「背が低くて恰好がつきませんが、あなたの涙を拭う役割くらいは出来ます」
慰霊碑の前で、ルディは声を上げて泣いた。涙が枯れるかと思うほどたくさん流れ、それがブルーノの肩をぐっしょりと濡らしてもまだ涙は流れた。いつの間にかルディもブルーノの体に手を回し、抱きしめ、縋るように力をこめた。
それはほんの少しブルーノの体には強すぎたけれど、ブルーノは身じろぎ一つせずルディを抱きしめ続けた。