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教会や神父について独自の設定を設けています。ご了承ください。
「このおねーちゃんだれー?」
「わかった!神父の奥さんだ!」
「違うよー結婚してないって言ってたもん!コイビトでしょー?」
教会に着くとすぐに数人の子どもたちがルディとブルーノを取り囲んだ。
「こら、困らせてはいけませんよ」
ブルーノが優しく注意すると子どもたちは「はーい」と元気な返事を返すが、それでもルディに対して興味津々と言った表情を消すことは無かった。
「・・・この子たちは?」
ルディがようやく口にした言葉を聞いてブルーノは嬉しそうに笑った。
「この教会は孤児院を併設しています。戦争で親を亡くした子どもや、片親になり育てるのが難しくなった子どもを預かっているんですよ」
「・・・そう」
一言答えてまた押し黙るルディの手をブルーノは優しく握って教会の中へ連れていく。
それを見た子どもたちは「手をつないでる」「デートだ!」と小さめの声ではしゃいでいた。
教会の中は小さな礼拝堂があり、その横の扉を抜けると廊下に通じていた。そのうちの一つの扉をくぐるとそこは応接室のようなソファとテーブルの置かれた部屋になっていて、ルディはそこに通された。
ブルーノは部屋を出てお茶を淹れる用意をしてすぐに応接室に戻った。ルディが帰ってしまうかもと不安だったため急いだのだが、ルディは言われた通りソファに座り、ぼんやりと窓の外を見つめていた。
外からは子どもたちが遊ぶ声がする。ブルーノが手を引いて連れてきたルディに対する興味は追いかけっこの楽しさには勝てなかったようだ。
その声をただ聞いているだけのルディの瞳があまりにも悲しそうで、ブルーノは胸の奥が締め付けられた。どうして、この人がこんな目をしているんだろう。聞いてしまいたい、だけど聞いたらきっとこの人はどこかへ消えてしまうだろう。そんな気持ちがして、平然を装ってお茶を淹れる。
(どうして英雄がこの場所にいるのだろう・・・)
ブルーノは誰にも言っていない能力があった。幼少期は言わないようにしたわけではなく、ブルーノの生まれ育った場所ではごく当たり前のことで、態々口にするようなことではなかっただけだったが、生まれ育った小国が戦争で滅び、家族そろってハヴァフレア王国へと移住した頃にそれが特別なものなのだと気が付いた。黙っていたほうがいい、と家族で決めて、それ以降は意識して口にしなかった能力。
その能力とは関係なく治癒魔法が使えたブルーノは、先の戦争に従軍し後方支援としてバオに配置された。攻撃魔法も使えるが炎しか出せず、水場の近くでは威力が弱まるので前線には参加しなかった。それが歯がゆくもあった。
それでも毎日敵軍が引き上げるとすぐに怪我人を背負ってやってくる黒鎧の英雄が、言葉は出さずとも後方支援部隊の一人一人に感謝を込めて頭を下げるのを見て、一緒に戦っているのだと感じられた。ありがとう、と言われているようなその行動を見て誇らしくも思えた。
英雄は殆ど怪我をすることは無く、怪我人を運んでくると早々に町に戻り、今度は亡骸を町の外へと運んでいく。出来るだけ害鳥などに荒らされないように、土をかけ彼らが嫌う匂いの強い草も混ぜる。そして膝をついて祈るのだ。
亡骸には自軍の兵たちだけでなく敵兵のものも含まれている。最初のうちそうやってまとめて一か所に集めるのを嫌がる者は多かったが、放置すれば町に疫病が蔓延し生きている者の命が危ないという話を治癒師団長が切々と語り、やむを得ないと渋々納得していった。
だが納得しても進んで亡骸を運ぶ者はおらず、最初からただ一人英雄だけがそれを行っていた。その行為を馬鹿にする者はいたが、英雄が進んでやることを止める者はいなかった。
ブルーノはそれを見て己の非力を悔やんだ。ブルーノの力では町から埋葬場所まで一人運ぶのに半日かかってしまうかもしれない。それに亡骸は綺麗な体ではない。酷い怪我人を治癒している身でも、平然と運ぶことは出来ないだろう。
だからこそ時々、英雄が怪我人を運んできた際に余力があるなら英雄の疲れが少しでもとれるようにと浄化魔法をかけた。こっそりと。英雄にかける労いの言葉に魔力を仕込んで。気休め程度のことしかできないが、優しい英雄が少しでも楽になるようにと。
戦争が続いている間毎日英雄が来るのを心待ちにした。楽しみだったとは決して言えない。英雄の腕に抱かれた怪我人たちが、全員復帰できるわけではない。命を奪い合う行為をして、それに打ち勝ったからこそ英雄の姿を毎日見ることが出来る。それでも、ブルーノは毎日英雄を待った。
遠くに英雄の魔力が見えた時、ほっと息を吐くのが癖になっていた。
ブルーノには人が纏っている魔力が見える。家族以外誰にも言っていない能力。見える魔力は人それぞれ全く別のもので、たとえ親子であろうとも似ているだけで同じではない。
どんなに着飾ったり、どれほど変装したとしてもその魔力の色が変わることは無い。国に知られでもすればいくらでも使い道があるような能力。ただ、それが自由と引き換えになるだろうことも容易に想像がついていた。ブルーノの家族はそれを望まなかった。ただ平穏に暮らしたいとだけ願って移住してきた。
そんな能力のせいで英雄が厚い鎧を着こんでいたとしても、魔力はブルーノの目にきちんと映っていた。
柔らかい新緑のような緑色の魔力は驚くほど穏やかで、だけれど日々その柔らかさは霞んでいるように見えた。
早くこんな戦争が終わるようにと願った。
英雄が死んだと聞いた頃、ブルーノはバオで教会を再建したいと行動していた。
バオの戦いが終わった後別の場所で治癒師として働き続け、そこで別の町の神父に出会った。バオの現状を伝えるとその神父伝いに貴族たちが寄付をしたいと申し出てくれた。英雄が戦った町の教会を再建することは英雄の供養になろうと彼らは口々に言って、それが貴族社会に広まり寄付金は予想を超えて集まった。
ブルーノの生家は神職に就いていた。それもあり子どもの頃から神官を目指していたので資格もあると認められ、ブルーノはバオの教会の神父として働くことになった。
教会を実際に建てるのは大工と建築家に任せ、ブルーノは町の外に積まれた亡骸を火葬し続けた。ブルーノの魔力ではすべてを一度に燃やし尽くすことは出来ず、少しずつやっていくしかない。それを知った治癒師の仲間が応援に駆けつけてくれて、十カ月ほどかけてようやくすべての亡骸を弔うことが出来た。
同時期に教会も再建され、元々あった孤児院も綺麗に直された。寄付金がたくさん集まったおかげできちんとした設備を整えることが出来、町の復興にも役立たせることが出来た。
慰霊碑を立て、死者たちの灰を埋葬し、毎日祈りを捧げた。
英雄が死んだという悲しみを忘れるように必死に働き、子どもたちを世話し、祈りを捧げ、人々の心に寄り添った。
英雄が戦った地ということで、時折英雄を偲ぶ人が訪れることがあった。海に綺麗な女性がいるという噂を聞いたときも、そういう旅の人なのだろうと思っていた。
ただ、その女性は一か月近くも浜辺に立ち、何をするでもなく海を見ている。英雄を偲んで来た人たちの多くは教会に立ち寄る。戦争で家族を亡くした人たちも慰霊碑にやって来る。でも、彼女は一度もやってきていない。
さすがに心配になった寒い日、町の人たちにも様子を見てほしいと頼まれたこともあり海に向かうと、そこにあの柔らかな新緑の魔力を持つ人がいた。
ハシバミ色の髪は光に当たりキラキラと輝いて、女神のように思った。穏やかな魔力は枯れたかのように弱っていたが、見間違えるはずがない。
あれは英雄だ。
ブルーノは今にも英雄への感謝を口走りそうになり、思わず口を継ぐんだ。
英雄は死んだことになっている。黒鎧の英雄エスメラルダの墓には参ったことは無いが、一介の兵士でありながら国葬された英雄は王都にある墓地に眠っていることは知っている。
彼女を英雄だと呼べば、英雄の死が偽装であったことがばれてしまうかもしれない。理由はわからないが彼女は鎧姿を脱いで年若い女性の姿で立っている。死んだことにしたかったのかもしれないし、何か問題があったのかもしれない。
ブルーノは数回深呼吸し、平然を装って声をかけた。
(英雄のあまりの美しさと悲し気な顔に焦ってしゃべりすぎてしまったかもしれない。ましてや手を引くなんて・・・!)
ルディの手は肉刺の痕のような厚くなっている部分もあり全体的にがっしりとしていたけれど、何とも言えないしなやかさがありブルーノは鼓動を抑えるのに必死だった。それだけではない。話しかける前から英雄だと気づいてはいたが、いざ横に立ってみると生気のない表情をしているわりに背筋はピンと伸びていてただ立っているだけでも絵になり、鼻筋の通った横顔は正に絵画のように美しかった。瞳はただ海だけを見て、今にも泣いてしまいそうでブルーノはただただ口を動かした。こちらを見てほしい一心で。
それなのにいざルディの瞳に自分が映ったら体中が震え、逃げだしたいような気もするし彼女を抱きしめたいような気分にもなり、とにかく混乱した。膝をついて愛を請い、自分のものにできたのならとさえ思った。
ハヴァフレアの教会の神父は婚姻が許されているが、だからと言ってむやみに女性に触れていい訳ではない。
それでも思わず手を取り、彼女を自分が住まう教会に連れてきた。エスコートに慣れているわけではないがブルーノ以上にルディも慣れていない様子だったので、彼女の手をしっかりと握りしめ自分の近くに来るように引っ張った。
(下心に惑わされることがあるなど・・・男性として、神職として、あるまじき行為だ)
そう思っても繋いだ手の感覚が忘れられず、無言でお茶を飲みながらも繋いだ右手がそわそわしていた。
その間もルディは全く口を開かない。ただぼんやりと外を眺めている。
それを見ているだけでも満足だったが、まだ名前を聞けていない。ブルーノは、彼女の今の名前を知りたかった。
「よければあなたのお名前を教えていただけませんか?」
「・・・なぜ?」
「あなた、とお呼びするのもいいですけれど、名前を呼ぶ方がもっと良いと思うのです」
ブルーノは自分で言っていてなんだそれは、と思うような訳の分からないことを口走っていた。内心相当慌てているが、ルディはそれに気づかなかった。
「ルディ」
「ルディさん、ですね。私のことはブルーノと呼んでください」
「さっき聞いた」
「ああ、そうでしたね・・・よかったらお茶のお代わりをどうですか?」
「・・・ありがとう」
ぽつぽつと単語が連なる程度だが会話が始まり、ブルーノは喜んだ。子どもたちが嬉しいときに飛び跳ねるように許されるのならソファの上で跳ねたいくらいには喜んでいる。
「・・・美味しい」
「それはよかった。今日は冷えましたし、温まってくださいね」
寒い時期でも海辺にいれば喉は乾く。一日中ただ立っているだけだったルディは自分でも信じられないほど紅茶を飲んでほっとしていた。停止していた体の中が動き始めるような感覚があった。
「ブルーノさんは何故・・・」
そこまで口にして、ルディはこれから自分がとても卑屈な言葉を発しそうになっているのに気が付いた。何故私のようなものに優しくするのか?と聞けば、神父であるブルーノは当たり前だと笑うだろう。
少し話しただけでも彼が人格者であり、人々に対して広く温かな心を持って接していることが分かった。子どもたちが懐いていることもそうだけれど、教会に来るまでにすれ違った町の人たちとも笑顔で挨拶していた。店先で声をかけられることも数度あった。そういえばなぜかみんなブルーノとルディのことを優しい目で見ていた。
自分がただ殺戮をしていた場所が、温かな町に変わっていることを痛感した。嬉しいことではあるけれど、自分が犯した罪がはっきりと形作られているみたいだとルディは思う。
そんな刺々しくささくれ立つ心が、ブルーノの傍にいるとそれらが溶け出していくような恐怖があった。
まるで罪が赦されてしまうような恐怖が。