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ハヴァフレア王国の南に位置する港町バオは、三年前まで海の向こうにあるアイスリドラ国との戦争の最前線になっていた。
町は荒れ果て、そこら中に死体が転がり、親を亡くした子どもが道端に蹲る。
それを両軍の兵たちが戦いのさなか巻き込んでしまうなんてことが頻繁に起こっていた。
血でべったりと汚れた建物だったであろう瓦礫を、戦いが終わると片づける一人の鎧兵士がいた。真っ黒の鎧を着ていることから、黒鎧の英雄や単に英雄と呼ばれていた。
他の兵士たちは皆戦い終われば英気を養うと言って休むか、遊ぶかしている。酒はないので主に女。バオで巻き込まれた女性たちの中で仕事が欲しいと立候補したものたちがその相手をしていた。
一応無事に建物としての形を保っている家はそういう場として使われていて、夜になれば笑い声や嬌声が漏れ聞こえてくる。
黒鎧の英雄と呼ばれた人物もその中に誘われる事があったが、一度も参加することはなかった。早々に食事を済ませ、あとは寝るまで町を見回り、瓦礫を片づけては怪我したものに応急手当を施し、難民を保護しているテントまで連れていく。亡くなったものたちを一か所に集めることも忘れない。放置されれば病気が蔓延するが、今の状況では彼らを埋葬することは出来ない。一か所に集めて炎の魔法で焼き尽くすほかにないのだが、たくさんの亡骸を燃やし尽くすだけの魔力を持っている人間はこの場にいないし、いたとしても攻撃のために魔力を使うのだから火葬は後回しになるだろう。一か所に集めて出来るだけ近寄らず土をかけるくらいしか手はなかった。
「鎧を脱げばいいんじゃねーか?」
一人の仲間が黒鎧の英雄に話しかけたが、首を振る。声を発しない英雄を見て皆は喉を潰されているんだろうと思っていた。英雄を連れてきたのは傭兵経験のあるもので、恐らく英雄も同じ出身なのだろうと誰もが思っていた。最初から飾り気の一切ない黒い鎧に身を包んでいたので誰もその素性も素顔も知らないが、この戦争が始まるが常に平和だったわけではない。山賊や海賊もいる、無法者もいる。別の国との小競り合いもあった。国から兵士が派遣されることは他国との小競り合いしかなかったが、傭兵なら日々戦いに身を投じていてもおかしくない。恐らくこの鎧はそれらの中で受けた傷を隠しているのだろう、声も恐らくその時に、と思われていた。
怪しいことこの上ない姿でも仲間たちに受け入れられていたのは英雄と呼ばれるほどの強さを誇り、どんな状況からでも一人で戦況を覆したその功績からだった。一騎当千とは黒鎧の英雄にこそふさわしい言葉だとハヴァフレア国王からも褒め称えられている。
「お前がいいならいいけどよ、無理すんなよ」
わかったよ、と言うように片手を上げた英雄は、誰にも聞こえないようにはぁ、と小さなため息を鎧の中でついていた。
長く続いたバオでの戦いもアイスリドラ国軍の疲弊が手に取るようにわかるようになり、そろそろ終結だろうと思われた時、今まで見たこともないような豪華な軍艦がバオに向かってきた。
「・・・アイスリドラ国の王太子が乗っています!」
遠方を見渡せる魔法を持つ見張りが声を上げると兵士たちに緊張が走る。
他の場所でもハヴァフレア王国軍が優勢だと報告が来ている。そろそろ降伏か、それをよしとせず最後の賭けとして全軍で攻め出るか、どちらかだろうと言われている。
見張りの話ではアイスリドラ国の王太子は武装していてこちらを狙う様子があるという。恐らく後者を選択したアイスリドラ国を迎え撃つためにハヴァフレア国軍は準備を始めた。
「アイスリドラもさっさと降伏しちまえばいいのにな」
「自分たちから仕掛けておいて負けを認めるのが嫌なんじゃねぇか?」
「だからって王太子が出てくるなんてなぁ・・・あの国もう王族殆どいないだろ」
兵士たちはアイスリドラ国の選択について信じられないというように話している。だが、英雄は鎧の内側であの国らしいなと納得の表情を浮かべていた。
(今のアイスリドラ国王が自分より優れているものは何一つ許せない性質なのは知っていたが、まさか国内だけでは飽き足らず国外にまで牙をむくとは思わなかったが、負けというのを認められないのだろうな)
どのみち正当な理由の一つもなく急に戦争を吹っ掛けてきたアイスリドラ国が負ければ、王族は処刑される。それならば万に一つの可能性にかけてハヴァフレア王国を倒しに来たのだと考えられる。アイスリドラ国王は今頃逃げているだろう。アイスリドラ国で育った英雄は国王の醜悪さをよく知っていた。
それからわずか半日後、黒鎧の英雄の手により王太子は首を落とされ、アイスリドラ国は敗北を認めた。
戦後の慌ただしさがまだ収まる気配がない頃、ハヴァフレア王から黒鎧の英雄と呼ばれたエスメラルダが戦時中の怪我により死亡したことが発表された。一番酷い戦場だったと言われるバオが落とされなったばかりか、ハヴァフレア側の犠牲が少なかったのはこの英雄のおかげだと王は言い、どこのものとも知れぬ素性の英雄は国葬された。英雄が率先して怪我人を救護したことも、瓦礫であふれた町を片づけていたことも、バオにいた人たちから広まっていた。強く優しい英雄の死を人々は悲しみ、そして感謝を伝え三年経った今でも英雄の墓にはたくさんの花が供えられている。
「どうして来たんだ」
激しい戦火で瓦礫だらけになった港町バオは、港に近い一部分だけを先に修復し、元々の三分の一の大きさに縮小した。小さな町は元々そこに住んでいた者が大半を占める。見慣れない人がいればそれなりに噂になるような閉鎖的な場所だった。
異国人の姿を持つルディは自分が居れば目立つことはわかっていた。それでも、離れられずにいた。
「それは俺のセリフだな」
夜、月明かりが海を照らす時間にルディはまた浜辺に来ていた。そこには予想通り昼に会った男が立っている。
「どうしていなくなったりしたんだ?あんなに功績を立てたのに、軍の誰にも何も言わずに姿を消すなんて」
「消していないさ。死んだだけ」
「生きてるじゃねぇか」
男はルディの肩を掴もうと手を伸ばしたが、あと少しで触れるところですっとルディが躱す。その動きは滑らかで無駄がない。三年前と何も変わっていないと男は思う。
「私に触らないでくれ」
「お前が大人しく戻ってくれるなら触らねぇが、戻らねぇって言うんだったらふん縛ってでも連れて行くぞ」
「なぜ?私は死んだ。いまさら何をさせる気だ?」
「生きてるじゃねぇかって言ってんだよ。どうして死んだことにした?お前の力があれば軍のトップにだってなれた。褒美だって山ほどもらえただろうよ」
「・・・ロターリオ」
ルディはふるふると首を横に振る。ルディに久しぶりに名前を呼ばれたロターリオは少しだけ狼狽えたが、ここで負けるわけにはいかないとルディを強く見据える。化粧っけのないルディの顔が月明かりだけではよく見えないが、それでも髪と同じハシバミ色のまつげがキラキラと輝いているように見えた。
「お前が何を考えているかは知らねえが、栄誉も何もかも捨ててこんなところでガキの面倒をみるなんざ似合わねぇだろ」
「私は自分の意志でここにいる。子どもたちと触れ合うのも望んでしている。頭を下げて手伝わせてもらっているんだ」
「・・・嘘だろ、頭がおかしくなったのか!?」
ロターリオは今度は両手でルディの肩を抱こうと手を伸ばす、その瞬間
「ルディさん!」
浜辺にもう一人の男が現れたかと思うと、砂に足を取られながらも屈強なロターリオを止めようとルディの前に立ちはだかった。
暗い上に黒い服を着ているのでよく見えないが神父のようだ、と思ったロターリオは男を見下し睨みつけた。傭兵あがりのロターリオにとって教会も神父も特に思い入れがなく、殴り飛ばすのは簡単だった。
ただ、自分に比べあまりにも小柄なその男を見て、力加減が難しいとだけ思った。殴らずにいられるならその方が楽だと。
「誰だか知らないが引っ込んでな」
「ルディさんに乱暴しようとした方の言うことなど聞けません」
「ルディ?誰だそりゃ」
こいつの名前は・・・とロターリオが言いかけたところでルディが神父の肩に手を置いた。
「神父、大丈夫です。戻りましょう」
「しかし」
「良いんです・・・人違いの様ですから」
ルディはほんの一瞬だけ殺気を含んでロターリオを睨みつけた。
「お探しの方は私ではありません。では」
そう言って神父の腕を引っ張りながら砂浜を歩いていく。
「おい!間違いじゃねぇだろ!」
叫ぶロターリオの声をかき消すように強い風が吹き、波の音が大きくなる。
何かまだ叫んでいる、ということだけはわかったが、一切振り返らずに二人は歩く。
「神父、どうしてここへ?」
「・・・近所の方からルディさんらしき人が浜辺で男に絡まれていると聞いたのです」
「それで?」
「それで?ではないですよ。ルディさんは体を鍛えていらっしゃるのは知っていますが、男と女では力の強さが違うんです。現にあんな大きな男性に捕まりそうになってたじゃないですか!」
神父が本気でルディを心配している、ということはルディにも伝わっている。心配された経験のないルディはそれをどう受け取っていいかわからない。それよりも戦う術も力もない神父が夜中に出歩く方が心配だった。
「私は大丈夫です。送っていきます」
「いいえ!私がルディさんを送っていきます!」
「通り一本しか違わないでしょう?」
「それは私の言葉です・・・」
孤児院が併設されている教会のすぐ裏の通りにルディが住む家がある。孤児院の裏口を通れば時間にして一分ほどの距離しか離れていない。その距離をどちらが送るかという不毛な議論を繰り返していると急に神父が黙り込んだ。
「神父?どうされました?」
「ルディさん、今日は教会に泊まりませんか?」
「・・・は?」
ぽかんと口を開けて神父を見る。街灯など殆どない町は月明かりだけで照らされていてお互いの表情もぼんやりとしかわからない。
「あの男性、ルディさんを連れ去ろうとしていのでしょう?一人暮らしの家に押しかけられたら危険です。教会なら私がいますし、マルコさんもいますから」
マルコというのはバオで漁師をしていた五十代の男性で、戦争に駆り出された時に足を負傷した。その為動きは遅いが力が強く教会と孤児院の雑用係をしている。教会の敷地内にある離れに住んでいるが、夜はお酒を飲んで寝込んでしまっているのであまり役には立たない気がする・・・と神父もわかってはいたが、それでもルディ一人を家に帰すのは心配だった。
「・・・わかりました」
「よかった、では行きましょう」
神父はいつも柔和な表情を浮かべる穏やかな人物だが、こうと決めたことは譲らない頑固さもある。それを知っているルディは今日の夜この町を出ようとしていた計画を明日に移行することにして神父と共に教会へ向かった。
一人取り残されたロターリオは二人が向かった方向を眺めながら、ポツリと呟く。
「ルディじゃなくてお前はエスメラルダだろうが・・・」