類は友を呼ぶ
言っておくが、私は女性に対して耐性がない。これまで女性と付き合ったことなどないし、ろくに会話さえしたことがないのである。小学、中学、高校と冴えない男子の代表格を自負して生きてきた。が、さきほど私は玄関で彼女に尋常に会話し、あまつさえ家に招き入れることが出来た。これは偏に人間的な成長の賜物としか言いようがない。全く自分が恐ろしい。
「へえー」
女性はリビングを見渡してそういった。この段に至って私は彼女が怪しげなセールス、もしくは新興宗教の勧誘員ではなかろうかと疑い始めた。だが、それにしては彼女の瞳は澄んでおり、面立ちも柔和そうである。だが、勧誘員らしくないところが逆に勧誘員らしくもある。
「ここであの曲が生まれたんですよね」
「は」
「ほら、案山子のプライド」
案山子のプライド。正直思い出したくも無かった。というのも私は高校生の時音楽制作のフリーソフトで曲を何個か作り、それを伴奏に自ら歌をいれてネットに上げていたのである。私は生来、軽率な上に思い込みが激しいという厄介な稟性を備えており自分は新進気鋭の作曲家になるに違いないと思い込んでいた節があった。
その作品群は今聞いても感懐を覚えるどころがそこらへんを頭を抱えて転がり回りたくなるほどの自己陶酔の結晶じみた奇怪な代物であり、できるなら今後思い出さずに生きていきたかった。
案山子のプライドは私がある意味で無敵だった頃の負の遺産ともいえるだろう。確かサブタイトルは
「夏の日の悔恨」
「…よく覚えてますね」
「そりゃ覚えてますよ。私、この曲に救われたのですから」
音楽に救われた話というものは聞いたことがある。この曲を聞いて仕事を乗り切りました、とか、この曲のおかげで告白して彼氏が出来ました。だとか、そんな人間が果たして本当に存在するかは置いておくことにしていい曲には人間の心を動かすことがあることには頷ける。だが、案山子のプライドはそういった類の曲ではないのである。この曲は確か夏休みに一日で作り終えた曲である。さわりの歌詞はこんな風だ。
君の夏が終わる
夏の声を聞いて僕は目覚める
君がいた夏は夢だった
もう一度上手く眠って
君に会いに行こう
もし、この曲が高所で流れだしたら私は助走をつけて空中へ身を投げ出すかもしれなかった。
「救われたですか」
「ええ、あれを小学生の時に聞いて音楽に目覚めたんです」
「へえ、」
「で、いつか綾坂さんにあいに行こうと思っていて」
「ま、まって。あのあなたは一体どこからきたのですか」
「東京です」
「東京」
「東京です」
私は「ちょっとお小水に」と告げて居間を出た。全く世には変人というものが存在するのだなと感心した。しかし、彼女はとりあえず新興宗教の勧誘係出なかっただけでも御の字である。
廊下を曲がって便所に入るときに、ふと頭に思いもよらぬこんな想念が渦巻いた。私はあの女性の顔をどこかで見たのではないか、と。
用を足して居間に戻ると彼女はまだ興味深そうに居間を見渡している。
「あの、あなたもしかして有名な人ですか?」
「有名かどうかは分かりませんが、バンドをやっています『ブルーブレイククッキーズ』っていう」
「あああ」
「分かります?」
「も、勿論。田中麻友ちゃんだよねえ?」
こんどこそ驚いた。私が彼女を見ているのも無理はない。彼女は今や若者から絶大な支持を得ているガールズバンドのボーカルギターだったのだ。
「すげえ。こりゃすげえ」
「すごくないですよ」
私の中で彼女は「私のファンを語る変人美人」から「人気アーチスト」にレッテルを張り替えられ、格付けは急上昇である。
「こんなところにいていいの?ライブとかあるんじゃなかったっけ?」
「いえ、こんなご時世だからなかなかライブも出来なくて」
「ほお、大変だねえ」
「綾坂さんは今はどんな曲を作ってるですか?」
え、俺音楽辞めたんだけど。と言いかけて思いとどまる。
「おお、今は丁度曲を作ってる途中で」
そういうと田中麻友は破願した。
「良かった。もしかしてもう音楽をやめられてるのではないかと思って心配していたんです」
「まさか」
「ですよねえ」
結局は私は田中麻友に曲が出来たら連絡すると約束し彼女帰した。手を振りながら宵闇に消えていく彼女を見ていると焦燥と罪悪が背中を駆け上がった。
私はその日からもう一度音楽を始める事にした。