虚無について考えるために仕事を辞めた
虚無について考える事にしたので仕事を辞めた。
一般的に考えて仕事を辞めるということは非常に大きな選択であろう。なぜなら私たちは労働を対価に給金を得、それによって飯を食っているのである。いや、私のように独り身でなければその給金を以て配偶者や子の飯、住居まで工面せねばならぬし、それに伴い各種ローンの支払い等も当然毎月発生するのであろう。よって人が仕事を辞める場合は往々にして次に充てにしている仕事があるかそこまで仕事をしなくてもぬくぬくと生きて行ける高等遊民であるかのどちらかであろう。
が、ここで冒頭の文言をもう一度とくと読んで欲しい。朗読してもらいたい。
私は虚無について考えるために仕事を辞めたのである。虚無という概念が一体なんであるのか、それを知るためだけに安定した小枝から勇躍羽ばたいたのである。無論、振り返ってみても私の家庭が裕福だったことはないし、金策など探してもいない。
それでも辞めた。これがどれほど勇気のいる決断であったことか。だが、人間というのはとかく世間体という名の膾炙された価値観でしかものを考えない生物であり、私は親や数少ない友人からもありとあらゆる罵詈雑言また人格の根幹を全否定するような言辞を弄されたりもしたがそんなことは覚悟の上だった。へのへのかっぱである。
「限界バジリスク」
私は一人で呟いてみた。深淵な響きが破れた襖にしみこんでいく。「限界バジリスク」に意味はない。掛け時計は午前8時を表示している。昨日深更まで缶ハイボールを、都合5本もこみしめてから眠ったためか頭が激烈に痛かった。小鳥のさえずりさえどこか攻撃的な響きを伴い、私の脳に突き刺さる。
私は机に向かい、発声練習を始めた。
「あめんぼあかいなあいうえお」
なぜ、突然発声練習を始めたのか。貴様、虚無とやらについて考えるんじゃなかったのかという至極真っ当純度100%の正論が心の耳朶を打つ。が、理由がある。私は理由なしに動く人間ではないのである。
発声練習が行きつく先には誰かに何かを喋るという行為がある。つまり私が虚無について考え抜き、この思考実験により何らかの発見があったとする。だが、それを伝えるとき私がぼそぼそと歯切れの悪い、何か歯に鶏肉でも挟まっているような話し方をすればどうだろうか。元々、虚無という曖昧なものを、ぼんやりした口調で説明したしたりすればこれでは聞き手に納得感を与えることはできない。扱う題材がふわふわしているものだからこそ、私はなお一層毅然とした態度でこれを発表せねばならぬのである。
だが、今口に出してみて分かったことに私は滑舌があまりいい方ではないようである。
「かきのきくうくうせみのこえ」
と言って、そこで自分は「あめんぼあかいな…」に続く一節を知らないことに愕然とする。言っている途中で違う、と分かったので「せみのこえ」に関しては消え入るような声であった。しかし、発声練習において大事なことは別に正しい一節を言うことではない。無論、『あ』から『ん』までをはっきりくっきり声に出すだけでも…。
とその時インターホンが鳴った。私は立ち上がり、立ち眩みにあたまを抱えながら廊下に出、玄関の方を見た。すりガラス越しに人影、シルエットは若い女性に見えるが何がどう間違ってもそんなことはありえない。私の生活圏において若い女性というのは殆ど存在しないし、思い当たるとすれば町唯一のコンビニの新しい店員等は比較的若い娘ではあったが接点は皆無であるからこの線もないだろう。
私はやれやれ、といいながらがらららと戸を開けた。すぐに冷たい秋風が頬を撫でた。
「綾坂さんですか?」
「ええ、まあ」
私は瞠目した。そこにいたのはうら若き女性だったからである。肌艶は良く、きりりとした目元が理知的である。すらっとしたスタイルで、私より身長が高いかもしれなかった。大学生、もしくは高校生でも通用するかもしれない。
「噂を聞いております」
噂。私は脳内を全力で検索する。果たして私に端を発するような噂があったかしら。私は非常に慎み深い人間であるから人様の目につくような事は極力控えてきたつもりなのであるが。遠雷が響き、彼女がきゃと小さな悲鳴を上げた。非常にかわいらしいと思った。
「まあ、立ち話もなんですので」と言い、私は彼女を居間に通した。