列の瞬
燈 和
ど、どうしましょう…。鉄志君が、私の家に泊まってくれるなんて。嬉しすぎて体が爆発してしまいそうです。そう考えると、あの鳥は、私と鉄志君を結んでくれる異世界から来たキューピッドだったのかもしれませんねぇ…。
「何ニヤニヤしてんだよ…。」
あらら…。顔に出てしまっていましたか。
「うふふ…。いえ、鉄志君がまさか私の家に泊まってくれるなんて、ねぇ…。」
「はぁ…。燈和。お前今の状況分かってんのか。今お前を一人にするのは非常に危険なんだよ。少し能天気すぎるぞ。それにお前ん家に泊まるのは別に初めてじゃないだろう…」
「でも最後に鉄志君が私の家に泊まったのなんて、中学1年の時じゃないですか。それにその時もお風呂もお布団も別々でしたし。」
「思春期に少年から大人に変わってる年頃なんだから当然だろ。何言ってんだよ。少し女としての自覚を持て。」
「えぇ~…、まずは女の子としての自覚の前にですねぇ…」
と、話していると駐車場に着きました。しかし、鉄志君は駐車場の中央まで来るとそのまま止まってしまいました。なんだか辺りをきょろきょろと見回しています。
「鉄志君?バイク、乗らないんですか?」
「まだだ。取り敢えず、安全を確保してからだな。次バイクに乗ってるときに襲撃されれば今度こそ守り切れないかもしれん。もう道具も残ってないし、使える力もあまり残っていない。」
「えっ、さっきの鳥は倒したんじゃなかったんですか?」
「とか言っているうちに、ほれ、来たぞ。」
鉄志君の言った方向を見てみると、上空からあの鳥が迫ってきていました。が、先ほどのような勢いは無くなっています。
ゆっくりと、そしてふらふらと空中を漂うように私たちに近づくにつれ、街灯のわずかな光で照らされてその顔が少しずつおぼろげに照らし出されていきました。
顔にはいくつも焼け爛れた後が付いており、目は虚ろで口は半開きとなっていました。余程体力を消耗しているのか呼吸を行う度に体は大きく動き、また、よく見ると胴体のあちこちからは煙が出ています。
「あ゛ぁ…あ゛ぁぁ…あ゛…」
先ほどとは違い、力のない声を時々思い出したかのように発しています。横に目を向けると、鉄志君はその様子をただじっと、観察するように見つめています。
「鉄志君、逃げないんですか?今ならきっと…」
「振り切るのは不可能だよ。それに、あいつには聞きたいことが山ほどある」
聞きたいこと?鉄志君は目の前のあれと会話ができるというのでしょうか。鉄志君が普通の人間ではないことは今日で分かりましたけれども、まだ他にも色々とできることがあるというのでしょうか。
と、鳥が私たちの目の前に降り立ち、そのまま顔を向けたかと思うとそのまま地面に倒れてしまいました。どうやら、力尽きてしまったようですね。
と、その時でした。顔の中心から広がるようにその色が赤黒く変色していったかと思うとあっという間にその色が体全体へと広がっていき、その後、目、鼻、口、耳等顔中のありとあらゆる穴から赤黒いぶよぶよとした血の塊のようなゼリー状の物体が出始め、それらがあっという間に体全体を包み込み、一つの大きな塊となりました。そしてその形は崩れ、液体のように地面へと広がっていきました。
これは、溶けた…のでしょうか?ですが目の前の液体とも固体とも分からないその物体は所々がピクピクと生きているように動いています。
「これは…何なんですか?」
「こいつの正体だよ。」
鉄志君はそのまま何も言わず、ただじっと目の前のそれを見続けます。
地面に広がったそれは、大きく盛り上がっていき、そのまま人のような形を作っていき段々と色が付いていったかと思うと、完全に人となりました。
その顔には見覚えがありました。雑居ビルで私に触れてきたあの男です。
これまでもそうでしたが、本当に何が何だか分かりません。散々化け物に振り回されてきたと思ったら、その化け物が人間になった?あぁ…自分でも頭がおかしくなりそうです。
目の前の男が一歩近づくと、鉄志君は反射的に私を後方へと追いやり、目の前に立って壁となり、男に睨みを利かせました。
「お前、一体何なんだ?どういった存在なんだ?この世界の生物なのになぜあんなことができる?」
しばらく鉄志君と睨み合っていると、男が口を開きました。この男は鉄志君の能力を知っているのでしょうか?
「おいおい、この世界じゃあ他人の素性を聞く前に自分の素性を明かすってのが常識だぜ?まずは名前くらい名乗ったらどうなんだよ」
「…イガワだ」
「へぇ~、イガワさんっていうの。『イガワ』の『イ』ってどういう字書くの?井戸の『井』?イタリアの『伊』?それとも胃袋の『胃』?」
「…」
男は鉄志君の質問に答えることができず、ただ睨みを利かしているだけです。
「答えられないってことはお前さんは生まれも育ちもこの世界じゃないってことか。俺とは違うな。その姿形はイガワさんから拝借したものか…。」
「お前、俺のことを知っているのか…」
「そりゃあんな操り人形を使って、あんだけ変身すりゃあなぁ…。まさかこの世界にいるとは思いもしなかったが、一体どうやって来たんだ?」
「お前にそれを話す理由はない。俺の正体が分かっているなら無闇な戦闘は避け、さっさとその人族の雌を渡せ。その方がお前のためだ。」
人のことを雌って。とことん失礼な人ですね。…いえ、鉄志君とこの男の会話から人ではないのでしょうが。
「んじゃあ別の質問。何で燈和じゃなきゃあダメなんだ?人間の雌なんて他にも沢山いるだろう。」
鉄志君まで雌と。お説教の項目がまた一つ増えましたね。
「なんだ。お前はその雌の正体を知らないのか。俺の場合は他の雌では代替が利かないんだよ。お前こそ、他の雌でも構わないだろう。」
「ん~、人間てさ、そう簡単に割り切れない面倒くさい生き物なんだよ。情があるからな。お前みたいな産廃と違って。」
「ふん。言っておけ。どうしてもと言うのであれば力尽くで奪うだけだ。」
「元々力尽くで奪おうとしといて今更何を言うかねぇ…」
男はそれ以上何も言わず、ゆっくりと歩み寄ってきました。
「燈和、下がってろ」
鉄志君は小声で言うと、ゆっくりと前進し、その男に近づいていきました。そしてお互い攻撃が届く距離にまで近づくと立ち止まりました。
「よく知ってるぜ、お前の変身能力は。自分では融通を利かせられないことも含めてな。なぜならお前は『産廃』だからな。」
「黙れ。お前に何が分かる。これ以上愚弄するようなら容赦はしない。」
「走ってるバイクに突進したり引っ掴んで上空から落とそうとしといて今更何言ってんだよ。殺す気満々じゃねぇか。んで?もう一回聞くけどよ、何で燈和なんだ?眷属にでもしたいのか?」
「その雌には強い力がある。俺らが持っている魔力が霞んでしまうような聖なる力だ。眷属にするだけでは意味がない。そいつそのものを取り込む必要があるのだ。」
鉄志君と男が何を話しているかはここからではよく聞き取れません。ですが、何やら穏やかな雰囲気ではないのはよく伝わってきます。
「なるほどね。それで変身のレパートリーに燈和を加えてその力を得ようってわけか。だが生憎だな。その力ってのは燈和には無いぜ?俺はこいつのことを昔からよ~く知っているからな。」
「それは俺のレパートリーに加えてから自分で判断する。早くそこをどき、その雌を渡せ。殺されない内にな。」
「お前はアホか。さっきから俺の話聞いてんのか?お前の変身能力を知ってるって言ってんだよ。レパートリーに加えるには、元ネタの方を食っちまわなければならないことも含めてな。」
「…お前は本当に何者なんだ?お前も転移してきたのか?」
「いんや、違うぜ。この世界に生まれ、この世界に育った正真正銘のヒト科ホモサピエンス。ただの頭のいい猿さ。」
「…まぁいい。どかないというのであれば力ずくでやらせてもらう。」
「やってみろよ。てめぇみてぇな出来損ないに負けるほど喧嘩は弱くないぜ?」
急に、男が鉄志君に向かって拳を振り上げました。しかし、鉄志君は頭を後方にずらし、いとも簡単にそれを避けると男の顔面に頭突きを食らわせました。
流石は鉄志君。私と一緒に稽古に励んでいるだけのことはありますね。できれば私も一緒に戦いたいところではありますが、状況をまだ全て把握できていない私が参戦しても鉄志君の足を引っ張ってしまうだけですよね。今は取り敢えず、見守るしかないですね。まぁ鉄志君ならあんな化け物でも余裕で勝てるに決まっていますが。
「どうしたぁ?お前が今変身してるその『イガワさん』も格闘技の心得はあるようだが、そんなんじゃあ俺には勝てないぜ?」
「くっ…!!!」
男は鉄志君に攻撃を仕掛け始めました。どうやら格闘技の心得があるらしく、鉄志君に明らかに素人ではない動きで拳を振るい続けました。が、鉄志君はその攻撃を避け、捌き続けています。自分からは攻撃を仕掛けるようなことはしません。相手の様子を伺っている…というよりは挑発しているのでしょうか。
「なんだ、そんなもんか。お得意の変身で別のもっと強い生き物になった方がいいんじゃないのか?できるものならな。」
「貴様っ…!!!」
「そうカッカすんなよ。んじゃあ、次はこっちからいくぜ」
それまで防御に徹していた鉄志君が攻撃に転じました。
鳩尾から始まりよろけて前かがみになったところへ顔面の真ん中、鼻に膝打ち。その二撃でまず相手の動きを鈍くさせる、鉄志君のお決まりの攻撃パターンです。
男は鼻血を垂れ流し始め、まだ苦しいのかまだ少し前かがみになっており、大きく体を動かしながら精一杯呼吸をしようとしています。
そこに鉄志君の猛攻が始まりました。側頭部、顎、喉元、再び鳩尾、肝臓、脇腹、膝関節と攻撃を続け、最後に股間をつま先で蹴り上げると男はついに膝をつきました。
そして男の喉元を右手で掴むと、そのまま上へと持ち上げてしまいました。男は抵抗しようとしているのか、両手で鉄志君の右手を振りほどこうとしていますがびくともしません。
…なんだか、傍から見ればどっちが悪者か分からない構図ですね。いやもちろん、鉄志君は私のためにやってくれているということは十分承知ですが。
と、ここにきてあることに気付きました。先ほどよりも二人の姿がはっきりと見えます。空を見てみると、青白くなり始めています。もう夜明けの時間でしたか。
はっ!!マズい…。このままでは…。このままでは…!!鉄志君の私の家へのお泊りが無くなってしまうかもしれません!!!!!
「お前の敗因を教えてやるよ。『慢心』だ。この世界でなら自分は一番強い、自分に勝てる者は存在しないというな。どうやってこの世界に来たのかは知らねぇが、どの世界にだって、ある共通の原理が存在する。それが何か分かるか?」
鉄志君は何かを言っているようですが、男の方はもう答える力も残ってないのか、何も言わず鉄志君を睨みつけるだけです。
「『上には上がいる』ってことだ。元の世界で底辺だったお前はこの世界でならてっぺん目指せるとでも思ったんだろうが、甘いぜ?俺自身でさえ、この力を持っていてもこの世界で『強い』部類には入るとは思うが、それでも一番とは思ってはいない。もっとも、一番上を目指すことになんかもう興味は無いけどな。」
「…黙れ。お前に俺の何が分かる!!」
「お前自身のことなんて知らないし知りたくもないね。俺はただ、俺や俺に近しい人間に危害を加えられたくないだけさ。だからお前を排除する。悪く思うなよ。」
あぁ、もう鉄志君、何やってるんですか。早くそいつを倒してください。早くしないとこのままではお泊りが無くなってしまうではないですか!!!
「さて、お前にはまだまだ聞きたいことがいくらでもあるが、もう間もなく夜明けだ。どうやら今日は雲一つない快晴。初夏の日差しはお前にとっても中々強いぜ?死にはしないんだろうけどな。」
と、木々の間からまばゆい光が現れました。あぁ、ついにお日様が顔を出してしまいました。鉄志君、一体何をもたもたしていたんですか!
その時でした。鉄志君の右の肩甲骨付近から男の首を掴んでいる指まで、まるでその皮膚の下に何か生物が蠢いているかのごとくボコボコと波を打ち始め、少しするとそれが止まりました。見た感じでは、特に何か変化があるようには思えませんが、これまでのことを考えると鉄志君は何か体の構造を変えたのでしょう。
そして、鉄志君の右腕に細かな青白い筋がいくつも現れては消え、その度に小さくバチバチと音が鳴り始めました。
少しすると、音は鳴り終わり、青白い光も消えました。ですが次の瞬間、今度は鉄志君が掴んでいるその男の体に先ほどまでとは比べ物にならないほどの大きな光の筋が現れ、駐車場全体にいきわたるような轟音が鳴り響きました。
男は白目を向き、体を大きくぶるぶると震わせ始めたかと思うと、その体から大きな炎が燃え上がり始めました。それと同時に鉄志君の手が男から離れ、そのまま後ろ向きに倒れてしまいました。
「鉄志君!!!」
慌てて鉄志君の元に駆け寄ると、彼の目は少し虚ろで、顔じゅうにはべっとりとした汗が大量に出ており、息は上がっていて、手足は細かく痙攣しています。
「鉄志君!!大丈夫ですか!!??」
「燈和…頼みが…ある…」
絞り出すように、力なく鉄志君が言いました。
「何でしょうか!?何でもしますよ!!」
「俺…の…バイクの…サイドバックに…小銭がいくらか…入っている…から…そこの自販機で…コー…ラを…買ってきて…くれ…。体…を…動かせない…」
「そ、そんなことでいいんですか!?」
「重要な…ことだよ…。なるべく…早く頼む…」
「わ、分かりました。待っててください。」
言われた通り、鉄志君のバイクに付いているサイドバックから財布を出し、駐車場の入口にある自販機でコーラを買うとすぐさま再び彼の元へ駆け寄りました。
「か、買ってきました。」
「悪い…飲ま…せて…くれる…か?」
「口移しの方が良いですか?」
「今…そういうの…いいから…早く…」
「そ、そうですよね。ごめんなさい。」
いや結構本気で言ったんですけどねぇ…。
鉄志君の開いた口の中にそっとコーラを流し込みはじめ、3分の1程注いだところで少し元気が戻ったのか、ペットボトルを私の手から奪い、自分で飲み始め、あっという間に容器の中は空になってしまいました。
「燈和、助かった!ありがとう!奴はどうなった!?」
そうでした。鉄志君が倒れたことに気を取られ、あれのことなどすっかり忘れていました。一体どうなったんでしょうか。
目を向けると、少し離れたところで火だるまになりながら手探りで前進し、木陰の方へと向かっているのが目に入りました。
「くそっ!!まだ致命傷には至ってなかったのか!!!」
鉄志君は叫ぶと、あれの方へ駆けていこうとしました。
「鉄志君!!そんな急に立ち上がっては!!」
「ぬぉっ!!!」
直後、鉄志君の足がもつれ、再び地面へと転がってしまいました。
「奴が日陰に入る前に止めないと!!」
「な、何でですか!?」
「説明している時間はない!!!早くしないと!!」
そう叫ぶと鉄志君は再び立ち上がりました。が、その直後、あれが日陰に入った瞬間、その火だるまの中からあの赤黒い血の塊が出てきたかと思うと地面の中へと吸い込まれていくかのように私たちの目の前から消えていきました。
「き、消えた?」
「間に合わなかったか…くそっ…」
鉄志君はふらつきながら先ほどまであれがいた場所へ向かい始めました。
「鉄志君、危ないですよ。」
とても見ていられません。思わず、鉄志君の腕を首に回し支えました。
「…ありがとう」
鉄志君は素直にお礼を言いました。いつもだったら「そのくらい大丈夫だよ」といって振り払おうとするのに、すんなりと受け入れるなんて。今の鉄志君はかなり参ってしまっているみたいですね。
あれが消えた場所にまでたどり着くと、私たち二人は辺りの確認をしました。
そこには燃えて消し炭になった落ち葉の塊がいくつかと、焦げ跡の付いた排水溝に繋がる網目状の格子がありました。
「ここから逃げたのか。くそっ…。」
鉄志君は悔しそうに舌打ちをしました。
「燈和…。取り敢えず、一旦帰ろうか。幸い、今はゴールデンウィークだ。時間はたっぷりある。ゆっくり、今後のことを話すとするか。」
「あの…お泊りは…」
「夜が明けてるのにお泊りも何もないだろ。いいから帰るぞ。」
「…はい。」
今のこの私の中を支配する感情は、あの化け物に対する不安なのか…。鉄志君のお泊りが無くなったことに対する失望なのか…。一体どちらなのでしょうか。
心のもやもやを抱えつつ、私は鉄志君の運転するバイクの後ろに跨り、我が家へと向かい始めました。