激突
鉄 志
その病院を正面から見ると、そのほとんどが蔓や葉、苔、花に覆われその本来の姿は失われていた。きっと、人類が滅んだ後の新宿というのはこういう形になるのであろう。
そしてその覆っている植物の上をさらに覆うように、太く脈打つ巨大な触手が巻き付いており、その中心に紫慧羅の本体を包むあの極彩色の花の蕾が脈を打っていた。
一歩近づくと、それを察知したのかその蕾が開き紫慧羅の本体が姿を現した。
紫慧羅は私の姿を捉えると、優しく微笑んだ。その笑みは、私が目の前に現れたという安心感からなのだろうか。
そしてそれが合図と言わんばかりに、病院の正面玄関から、何かが無数に現れた。
その大きさはバスケットボール程度だろうか。動きは昆虫のようであり、球体に近い胴から複数の脚が生え、その足の所々に紙の切れ端のようなものが付いている。だが、肝心の頭部のようなものはなく、代わりに本来頭部があると思われる位置からは無数の白い毛のようなものが生えている。
これも紫慧羅が私と精霊の『力』を使って作り出したものなのか。生命までも作り出すとは、紫慧羅は神にでもなるつもりか。
そして私が様子をしばらく見ていても、その生物は出入り口に固まり、一向に出てこようとしない。あれらも私の様子を伺っているのだろうか。
すると突如、足元が何かの液体で満たされた。その液体はみるみるうちに増加していき、やがて私の手首の位置にまで水位が上がった。
これは…油だ。何故このタイミングで?
ならばこの油に火を点け、全てを焼き払う…ことはできないな。油に燃え移った状態でも私から出された炎は『力』を大いに宿している。紫慧羅とっては栄養を与えてしまうことになるだろう。
当然、私の『力』が栄養になることは紫慧羅と精霊も勘づいているはずだ。それを逆手の利用し、かつ私が理科室でやったように足元の自由を奪うのが目的か。
私がそれに気付いた瞬間、出入り口に固まっていたその生物が蜘蛛の子を散らすように一斉に飛び出し、それにより私はようやく、その全貌を知ることとなった。
昆虫の脚のように見えていたものは茎、その所々に葉が生え、頭部の代わりに出て垂れ下がっているものは根。そしてその胴に思われた球体こそが頭部だったのだ。
その頭部は、明らかに人間の頭部だった。…いや、厳密に言えば頭部を模した何かではあるのだろうが、目、鼻、口、眉、髪の毛などのパーツはすべて揃っており、その見た目は人間の頭部と寸分たがわない。
仰向けの頭部の首から先から根が生え、顔の横から茎でできた脚が生え、それを動かして移動をしている。そしてその全ての頭部が、紫慧羅の顔だった。
「「「「「」てっくん…」」」」」
紫慧羅の頭部を持つそれは紫慧羅と同じ声を出すと一斉に私に向かって群がってきた。そしてあっという間に取り囲むと、次々に私の体を登り始め、やがて二手に分かれた。
一方は私の頭部へ集まると、その一つ一つが口を動かし、声を発し始めた。
「てっくん」
「ボクだけを見て」
「燈和先輩ばかり見ないで」
「二人だけの世界で生きよう」
「ボクを受け入れられるのは、てっくんだけ」
「幸せにするよ」
「一緒に幸せになろう」
「ずっとずっと一緒だよ」
「てっくん」
「てっくん」
「てっくん」
声帯まで作っているのか。どんな構造になっているのだ。
首を振り、手で薙ぎ払い、口を開けて噛みつくも、紫慧羅の化身どもは殆ど離れることは無かった。どうやら、脚についている葉の裏側は鑢のような造りになっており、それが返しとなって張り付いているようだ。
そしてもう一方は、私の胸部へと集まり、そして、私の心臓を守る防御壁をこじ開けようとその隙間に細い根を突っ込もうとしている。私の『力』を直に奪うつもりだ。本能的に『力』の出入り口が分っているのだ。
胸の第二腕で振り払うが、この小さな両手では相手する数が多すぎて間に合わない。それに、顔面に紫慧羅の化身どもが張り付いているこの状況では胸部の詳細な状況まで把握ができない。
そうしている間にも次々と紫慧羅の化身どもは病院の出入り口から湧くように現れ、その数を増やしている。
このままではまずい。ならば。
ぶわぁっ!!!!
私は身を屈めて一気に跳躍すると、両手足を伸ばして大の字になり、そのまま地面へと落下した。
ぐっしゃあああああっっっっっ!!!!!
胸部に集まっていた紫慧羅の化身達は皆、跡形もなく潰れ、体液と思われるドロッとした汁が私と地面の隙間から大量に流れだし、それが油と混じり黒ずんだ色へと変色した。
…これは生物ではない。私の『力』を使って紫慧羅が作り出した有機体を素体とした、いわばロボットのようなものだ。私が行っていることは、決して殺戮などではないのだ。
自身にそう言い聞かせ、何とか平常を保ち、立ち上がろうとしたが、その時。
ガシィッ!!!!!
私が起き上がるより早くそれぞれの四肢に触手が絡まり、そのまま私は持ち上げられ、紫慧羅の本体の前にまで引き寄せられた。
…そうか、油は囮か。私を転ばせるのが本来の目的ではなく、攻撃を躊躇わせ、手段を狭めるのが狙いか。この時を待っていたのだな。やれやれ、私の理科室での行動が紫慧羅にヒントを与えてしまったようだ。
「てっくん…」
紫慧羅はそう一言だけ言うと、私の顔をじぃっと見入り、そして笑った。口角をほんの少しだけ上げ、優しく笑った。自分の欲しかったものが、ついに手に入ったという喜びの笑みだ。
…紫慧羅は私には成すすべがなく、自分の勝利を確信している。本当は待っていたのだよ、お前の本体に近づけるこの時を。残念ながら、ここからが私の本当の攻撃だ。
ズシュ!!ズシュズシュズシュッッッ!!!!!
尾を突き刺すと同時に、心臓横の両第二腕を最大限にまで伸長させ、その全ての爪を花弁のすぐ下の茎に突き刺した。
残念ながら私の手足はお前が掴んでいるものだけではない。短いながらも、この第二腕だって役に立つのだぞ?
そして私は全身の鱗を震わせ、それぞれをこすり合わせ、全身から金切り音を放った。
ギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリンギャリン!!!!!!!
私の巨体から鳴り響く無数の金切り音とその振動により、人間のままの大きさの紫慧羅本体には耐えがたい苦痛を生み出し、彼女は耐えきれず目を瞑り、両耳を塞いで身をかがめた。
どうだ?紫慧羅。さっきのお返しだ。そしてこれは、お前が精霊の声をごまかすために大音量の音楽を聴いていたのと同じ。もうお前には、精霊どもの声は届かない。これで完全に、一対一だ。
そして人間のままの知識しかないお前には、この音から逃れる方法はそうやって両手で耳を塞ぐくらいしかないだろうな。もっとも、そんなことをしたところで防げるようなものではない。
と、その時、紫慧羅を囲む花弁が閉じようとした。ふん。花の中に閉じこもってこの音から逃れるつもりか。させん。
ガジュゥゥゥッッ!!!
私は縮めていた首を伸長させると、花弁の一つに噛みつき、そのまま力のままに引っ張った。
グ…グググググッ…!!!!!
…思ったよりも強固だな。私の『力』を取り込んだ影響か。だがな、全盛期の『力』を取り戻した今の私であれば、この程度の抵抗、大したものではない!!
ブチブチブチィ……!!!!!!
力比べに負けた紫慧羅の花弁は引きちぎれた。そして。
ガシュ…ガシュ…ガシュ…ガシュ…グビィ…!!!!
私は引きちぎった花弁をそのまま貪り食った。元はと言えば私の『力』で作ったものだ。あるべき場所に返してやる。
さらに続けて。
ブチブチブチブチブチブチィ……!!!!!!
すべての花弁を引きちぎり、その全てを飲み込むと、逃げ場を失った紫慧羅の顔に初めて、動揺の色が見え始めた。その瞬間。
グイイイイイィィィィィッッッッッ……!!!!!
私を掴む触手の力が一気に強まり、後方へと引きはがされそうになった。が、私もこんなことで負けるほど柔ではないわっ!!!
グ…グググググッ…!!!!!
力は拮抗し、お互い動かない状況がしばらく続くと、やがて紫慧羅本体から、滝のような汗が吹き出し始め、その目には疲れの色が出始めてきた。もうそろそろといったところか。
ドドドドドドドドドッッッッッ!!!!!
力まかせに引きはがすのが困難なことを悟ったのか、紫慧羅は病院を崩しながら急降下し始めた。再び地下に潜るつもりだな?だが、ここでお前を逃すわけにはいかん。お前にはまだまだ私と向き合ってもらわねばならん。
ドオオオオオォォォォォンンンンンッッッ!!!!!!!!!
轟音を立てながら地に足を突くとそこにクレーターができ、地面の油が大量に流れ込んできた。
このままでは足を滑らすかもしれん。ならば。
爪を再び鉤爪上にして突き立て、さらに両足も変形させ、象のような形状にすると、さらに足底にも鱗を生やし、摩擦を大きくしてそのまま紫慧羅が地下に逃げぬよう、私も全身の力を振り絞って耐えた。
ググ…グググググ…ググ…!!!!!
今の体の大きさと地形上の利点やこの油を始めとするその他の状況で言えば、紫慧羅の方が圧倒的に分がある。だが私の発する金切り音にひどく動揺している状態では物理的な力の差はほぼ互角となった。
と、その時。
ドドドドドドドドドドドドドドッッッッッッ!!!!!!!
私に周りの地面から無数の触手がアスファルトを突き破って現れ、その全てが私の体に巻き付いた。どんな手を使ってでも私を引っぺがしたいらしいな。だがな、紫慧羅。その必死さが仇となったぞ。
先ほどの校庭の時と同じように、精霊の疑似空間の性質を利用して頭上に雷雲を発生させた。今、私の体に絡まる触手から抜け出せる背中の突起は、右側の一本のみか。だがそれだけでも十分。
私は倒してあった背中の突起の一つを空に向かって突き立てた。この突起は避雷針だ。だが雷を逃がす先は地中ではない。お前の体だ、紫慧羅。
ドォォォォォォォンンン…!!!!
バツッ!!!!バツバツバツバツバツッッッッッ!!!!!!
突起に雷が落ちると同時に稲妻が私の全身を駆け巡り、体に縛りつく触手と私が掴む本体に雷撃が走り、火花を上げた。
…まだ足りないか。ならばもう一度!
ドォォォォォォォンンン…!!!!
バツバツバツバツバツッッッッッ…ゴォォォォォオオオオオッッッッッ!!!!!
二度目の落雷によりついに触手と本体に火が付き、あっという間に燃え盛る炎に包まれた。そしてその炎は私の足元の油にまで燃え移り、ビル群を浸食する植物にも飛び火し、やがて私たちのいる一帯は火の海と化した。
この炎は植物を焼き尽くすだけだ。疑似空間の力を利用して発生させたものでは、『力』として紫慧羅に吸収されることはない。そして私自身には、雷やこの炎は大したダメージにはならない。お前の体燃え尽きるのが先だ。
火の海に囲まれていることに気付いた紫慧羅は耳を塞ぐのを止め、両手を高々と上げると、何もない空中から大量の水が滝のように降り注ぎ、始祖植物を包み込む炎を消し始めた。
そうだな。お前はそうするよな、紫慧羅。死を恐れるお前であれば、必ず私を捕えるより先にこの炎を対処するはずだ。そこが死を一度経験し恐れを持たない私と違うところだ。だがそれでいい。それでこそ生きている者だ。
そして、私は待っていたのだよ。この時を。これまでの攻撃パターンを見させてもらったが、紫慧羅は私の『力』を元にした植物を操りながら、精霊の『力』を行使することはできなかった。この二つの力は相互作用を引き起こすが、混ざることは無い。
紫慧羅は、人間にとっては強大過ぎるこの『力』を手に入れた直後。当然。これらを組み合わせて使える知識なんてものは持ち合わせていない。すなわち、この水の精霊の『力』を使っている今、紫慧羅と繋がっている植物は動かすことのできない、ただの巨大な土台に過ぎない。私の体を捉えている力が失われたのが何よりの証拠だ。
ガシィ…!!!
爪を突き刺していた第二腕を引き離し、紫慧羅の本体を掴むと、私はそのまま引っ張った。
ぶちぶちぶちん…。
紫慧羅の本体は抵抗なく引きちぎられ、そのまま私は彼女を自身の胸元まで寄せた。これでこの疑似新宿全体を支配する未知の植物と紫慧羅は完全に分離された。今の状態で精霊の『力』をぶつけられたとしても、私にとっては痛くもかゆくもない。
紫慧羅の顔を見ると、先ほどまでの苦痛と動揺の色は消えていた。それどころか、私を睨みつけている。まだ抵抗を続けるか…。
そして紫慧羅の体から、再び始祖植物が一瞬にして成長し始めると、掴んでいる私の腕を浸食し始め、あっという間に私の心臓にまで達した。
グッ…ググッ…グイイイイイィィィィィッッッッッ!!!!!
そのまま、防御壁はこじ開けられ、私の心臓は完全に外部に露出させられた。さらに紫慧羅が両腕を上げると…。
どずどずどずどずぅ…。
紫慧羅の両腕から生えていた触手が全て、露出されている私の心臓に突き刺さった。
…まだ私の『力』を吸収し、形勢を覆すつもりか。その心意気は認める。だが生憎、私はそれをも待っていたのだ。先ほどからの力比べは互角だったが、この『力』比べでは、私は負けんぞ?紫慧羅。
鱗の振動を止め、金切り音を止めると私たちは静寂に包まれた。そして、改めて紫慧羅と向き合うと、彼女の脳内に直接、私の思考を送った。
『シエラ、俺の『力』、返してもらう』
心臓に突き刺さった紫慧羅の触手から逆に、彼女の本体に術として植え付けた体内の『力』を吸収すると、私の体を浸食していた植物は次々に枯れて落ちていき、続いて紫慧羅の腕から生えていた触手もぼろぼろと朽ちて落ち、紫慧羅の体を覆っていた植物も枯れ果て、後に残ったのは生まれたままの姿となった、人間の姿の紫慧羅だった。
最後に紫慧羅は改めて私の顔を見た。いつもと変わらない、表情の乏しい顔。だがその目には、明らかに悲しみの色があるのを私は感じた。そして、何かを掴もうとするかのように私に向かってゆっくりと右手を出すと、言った。
「てっくん…」
それに答えるようにして、私はゆっくりと息を吹きかけた。
私の息吹を受けた紫慧羅は、力を無くし、寝入るかのようにゆっくりと目を閉じ、そのまま気を失った。『力』を使った攻撃でも、吸収される前に意識を消失させてしまえば利用されることはない。これで、終わった。全てが。
直後、紫慧羅が構築した疑似新宿は消え失せ、元の真っ白な、何もない空間へと戻った。
紫慧羅をゆっくりと降ろした後、私自身も前世の姿から現世の村井鉄志の姿へと戻した。
勝負あったな。結局は、私と精霊両方の『力』を紫慧羅が十分に使いこなすことができなかったことで、私は勝利を得るに至った。
だが、もし紫慧羅がこの二つの強大な『力』の本質を理解し、組み合わせて使うことができるようになっていれば、また結果は違ったのかもしれない。何しろ、私も自身の持つ『力』の全てを理解しているわけではないのだからな。
ま、いずれにせよ、これで全て元通りだ。あとは元の世界に帰って紫慧羅をフォローしてやらねばな。
…いや、まだ元通りとなっていないこともある。が、まぁ今回はこの辺りで勘弁してやるとするか。
さてと、元の世界に帰るとしよう。ここでの時間経過は向こうの世界では影響はないが、燈和、廻、転をひどく心配させてしまっているだろうからな。
現実世界へと通じる穴を形成すると、その中に紫慧羅が音も無く吸い込まれていった。そして私自身もその穴の中に入り、そして吸い込まれていった。




