フレンズ
紫 慧 羅
「てっくん…。」
さっきまでの戦闘が嘘みたいな静けさ。僕の声は蒸し暑い夏の入り口の夜空へと消えていった。
目を閉じて横たわるてっくん。そういえば、寝顔を見たのは初めて。
…かわいい。これからはこの寝顔も含めて、全部が僕のもの。てっくんの声も、体も全部。すぐにとはいかないかもしれないけど、必ずその心までも。
欲しいものは手に入った。だからもう、この世界に未練なんてものはない。だから僕は、決めた。てっくんと僕で、アダムとイブになる。新しい世界を作る。二人だけのエデンを。
『やった、シエラ。成功だ』
『しかしここまで抵抗するとはなぁ。てっきり最初の一撃で片が付くとは思ってたんだが』
『だからお前は甘いんだよ。最初にてっくんと話をしただろう?こいつは俺らのことをよく知っている。この世界ではありえないほど知りすぎている。当然、対策くらいはしてくると思ってたさ』
てっくんをこいつ呼ばわりはやめて。
『ご、ごめんよシエラ』
『さて、シエラ。この後だが、本当にいいのかい?』
構わない。何回も言った。この世界になんか、未練は無い。僕が今までこの世界で生きていたのは、てっくんが手に入ると信じていたから。ただ、それだけ。
『そうか。ま、シエラがそれでいいんだったら僕たちは全然良いんだけどね。』
『それじゃあさっそく準備に…』
『あれ?』
どうしたの?
『なんか来る』
なんかって、何?
『なんかこう、強い『力』だ。こんなの、知らない。』
『あ、本当だ!どんどん近づいてきてる…』
『おいおいどうなってんだ?明らかに僕たちに向かってきてるぞ?』
それは、なに?
『わ、分からないよ。こんな『力』、感じたことがない!』
そ。まぁいいよ。それに邪魔される前に、早く…。
『いや、これはもう、すぐそこまで…!!!』
ひゅおぅっ…!!!!
一瞬のうちに、僕の視界の横に、何かが入って出て行った。屋上の柵の外側で、下から上に、何かが舞い上がったと認識するまでに少しタイムラグがあった。
見上げてみると、そこには異形と言わざるを得ない何かがいた。見上げるまでには少し時間があったはずなのに、それはまだ宙を舞っていた。
髪は光沢のある銀色。なびくたびに白い光の粒子があふれていく。肌の色も、どの人類のそれとは違う、白に近い色。それと対照に、二つの瞳は赤く怪しい光を放っていて、その動向は蛇のように細い。
口の隙間から見えるその前歯は一対の犬歯が異様に長く延びており、口すぐ下にまで達していた。
一番異様なのはその頭。眉毛の少し上、人間が持っているはずのない一対の青白い色をした角が突き出ている。
そして、額や手の甲などには何やら得体の知れない赤紫色の紋章のような…そんなよくわからない模様が浮き出ている。よくは見えないけど、タトゥーとも違う。そもそも、あの人がタトゥーを入れているとは到底思えない。
そう、異形に違いはないけど、間違いなくあの人の顔。
「燈和…先輩?」
とっ…。
降りた高さからは考えられないほどに静かすぎる着地音が響き、僕の目の前の少し先に燈和先輩は降り立った。
燈和先輩は僕の足元で眠っているてっくんに目を向けた後、その視線を今度は僕へ。その顔には、いつも僕に向けるような優しさは無い。感じるのは、純粋な敵意。燈和先輩、あなたまでそんな目を僕に向けるの?
「東浪見さん、とうとう超えてはいけない一線を越えてしまいましたねぇ…」
静かに言うと、燈和先輩はゆっくりと僕に近づいてきた。
…肌で感じる。足音も聞こえないくらい静かなはずなのに、一歩近づくたび、得体のしれない異様な圧力が僕の体全体にのしかかってくる。
「燈和先輩はたくさんのものを持ってる…。ボクが持っていないものをたくさん…。でも、ボクにはてっくんだけ。だからこのくらいは、許してほしい」
「東浪見さんの境遇には同情します。が、私にも当然譲れないものというのはあります。あなたの好きにはさせません。鉄志君は渡しません。彼もまた、そんなことを望んでなどいません」
「てっくんが望んでいるかなんて関係ない。ボクが望むことをするだけ。これまでボクは多くのものを失いすぎた。せめて何か一つくらいは手に入れたい」
「私の前にそんなわがままな道理は通りませんよ。鉄志君を失いたくないのは私も同じです」
「…燈和先輩、残念で仕方がないです」
風の『力』を使い、歩みを寄せてくる燈和先輩の周りの空気の流れを変え、風の牢獄を作り、捕える。大丈夫、燈和先輩。殺しはしないから。
ごぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!!!
風の牢獄は確かに燈和先輩を捕えた。燈和先輩はてっちゃんとは違い、よける素振りすら見せなかった。でも、燈和先輩は歩みを止めない。まるで何もないかのように普通に歩いている。
「…くっ!!!」
めき…めきめきめきぃっ…!!!!!
今度は、地の精霊の力を使って、校舎のコンクリートを操り、燈和先輩の足元からその全身を覆った。だが…
ごぁぁあぁぁっっっ!!!!!!!
覆うや否やコンクリートの被覆は打ち砕かれ、辺りに破片が飛び散った。
『なんだこいつ!?精霊の『力』を超えたものを持っていやがる!!!』
『シエラ、だめだ!この怪物には勝てない!!』
『目的は果たしているんだ!!ここは逃げるが勝ちだ!!』
どうすればいい?
『てっくんと一緒に、ここから飛び降りるんだ!早く、奴が来る前に!』
『大丈夫!!シエラなら教えたとおりに、受け皿を作ることができるよ!』
…分かった。
「!!何をする気ですか!?逃しません!!」
燈和先輩がダッシュで一気に距離を詰めてきた。まだまだ間は空いていたように思えたのに気づいたらもうすぐそこまで。どうする?どうすれば動きを封じられる?
…そうか。こっちで無理に動きを制止するんじゃない。燈和先輩に自分から足を止めてもらえばいいんだ。
カァッッッ!!!!!!
「きゃあっ!?」
火の『力』。強烈な光を発すると、燈和先輩は顔を手で覆い、一瞬、その動きを止めた。あんな怪物のような見た目や『力』を持っていても、人間の時の反射反応は無くなっていない。成功。今のうちに…。
ごぉっ!!!!
風の力を使い、てっくんと僕の体を宙に浮かし、先ほど燈和先輩がやってきたのとは逆の流れで、柵を超え僕とてっくんは校舎の外側へと落ちていった。