sinner
鉄 志
『まさかこの世界でこちらの存在を確信するものが現れるとは…。君は一体、何者だ?シエラが小学生の時にも、こちらのことを知っているような素振りで話をしていたが…。何をどこまで知っている?』
やはり、紫慧羅の中にいたのは向こうの世界の精霊だったのだな。だとすれば、こいつは少し厄介かもしれん…。
『私が今何者かという質問については、人間であるとしか答えられん。以前が何者であったか…であれば、お前と同じ世界にいた者ということになるがね。だからこうして、かつて私が存在した世界での言語でコミュニケーションを取っている』
『君も、僕たちと同じように向こうからこちらへと渡ってきたということ?』
『厳密にいえば違う。私は紛れもなく、この世界に生まれこの世界で育った。逆に聞くが、お前はどうやってこの世界にやってきた?』
『…分からない。気づいたらこの世界にいた。』
『そうか。ではもう一つ聞こう。なぜシエラの中に入り込んだ?向こうでは本来、精霊が生体内に入るには宿主の同意が必要なはずだが?』
『同意はとったさ。彼女は快く受け入れてくれたよ』
『まだシエラが幼かった時だろう?小学生の時には既にお前の話をしていた。この世界では子供が何かしらの契約をするには親の同意が必要なんだがね』
『そんなものは知らないよ』
『物の例えだよ。本来ならまだ成熟しきっていない子供に同意を求め入り込んだりはしないだろう。するのはものの判断の付く成人や成獣というのが筋というものだろう。お前もそのあたりは理解しているものだと認識していたが…』
『もちろん、そちらの言いたいことはわかるさ。だが仕方がなかった。事は一刻を争っていたんだ。この世界に入り込んだ瞬間から、僕たちの存在が消滅しかけているのを感じた。この世界ではなぜか僕たちはずっと単独では存在できない。何かしらの生体内に入り込まなければ消滅してしまうんだ。そしてこの世界では僕たちの姿は殆どの生物には認識されないし、声も届かない』
なるほど。そういうことだったのか。言われてみれば現時点で私自身も紫慧羅を介していなければこの精霊の声を聴くことはできていないし、よくよく考えてみれば小学生の時、私は実際に精霊の声を聴いたことはなかった。恐らく、この世界と向こうの世界では根本的に環境とそこに住まう生物の体のつくりが違うためだろう。要は精霊が存在していける条件がこの世界にはないということだ。
『…そういえば、さっきから僕たちと言っているが、もしかして中にいるのはお前だけではないのか?』
『察しがいいな。その通りだ。シエラの中には僕を含め4つの精霊がいる』
『…種類は?』
『それぞれ異なる』
向こうの世界ですら一個体の中に入り込む精霊は大体が一つだけ、多くても二種類程度だというのに、四つ全てだと?そんな話、前世においても聞いたことがない。前世での前代未聞の事態に、まさかこの世界で遭遇するとは。
『そうか。お前らのその身勝手な行動がシエラを苦しめている。開放してやったらどうだ?今もそうやってシエラの体を乗っ取っていることで彼女の体には相当な負担がかかっているはずだ』
『だめだ。今更、他の体を探すことはできない。』
『私の体に入り込めばいいだろう。もちろん、同意はするよ』
『ありがたい申し出だが、できないんだ』
『なぜ?』
『どうやら、この世界で僕たちが入り込めるのは、僕たちの声が聞こえる体質を持つ者だけのようだ。だからこそ、このシエラの中に全て入り込んだんだ』
『なるほど。それは困ったな。このままではいずれ、お前は消滅してしまうだろうな。』
『な、なんだと?』
『私には分かるのだよ。シエラは救いを求めているだろう。だからこそ、この横にいる燈和と関わりを持とうと思ったのだろう。自分のことを受け入れてくれる人間だと思ってね。だが、人間にできることには限りがある。絶望の淵に立たされた人間が最後に救われる方法は、死だ。』
少し大げさだが、可能性がないわけではない。それよりも、それ以上の最悪の事態を避けるためのけん制にはこのくらいの脅し文句は必要だ。
『有り得ない!シエラは死を極端に恐れている。あの日、自身の耳を切り落とし、その苦痛が死に対する恐怖をより一層増幅させたんだ。シエラとは思考の共有もしている。今もシエラは、死んでなくなることを恐れている!』
『今はまだな。だがそんな風に頭の中を除かれ続け、挙句に救いがないと知ったとき、彼女がどう転ぶかは分らんぞ?』
『ならばどうすればいい!?お前が代わりに僕たちが入り込める生物を探してきてくれるとでも言うのか?』
『それはできんな。何しろ私は、ただの人間に近いからな』
特殊な『力』を持っているとはいえ、当然、今の私ではそこまでのことをする能力はない。何しろ私自身が精霊の声を聴くことのできる体質ではないのだからな。仮にもし、奇跡的に見つけてこれたとしても、それはシエラの身代わりを用意しただけに過ぎない。根本的な解決にはならないのだ。
『とりあえず、シエラにかかる負荷を少し軽減できれば今はいいだろう。』
『どうするというんだ?』
『二、三日の時間が欲しい。それだけあれば可能なはずだ。』
『僕らは消滅しなければそれでいい。時間など気にしない』
『分かった。約束の日程の調整は、シエラ本人と行うとしよう。意識を体に戻してやってくれ。どうせ、今のやり取りもシエラは聞いているんだろう?』
『あぁ、その通りだ。では、体をシエラに返す』
「う…う~ん…」
紫慧羅の顔つきが戻ると、まだ頭が混乱しているのか、少し顔がうなだれ、額に手を当てながら小さなうめき声をあげた。見てみると、全身にべっとりとした汗もかいている。
「あっ!?東浪見さん!?大丈夫ですか!?」
「よう、シエラ。気分はどうだ?」
「…最悪。あの子たちに体を乗っ取られるのは、やっぱり慣れない」
顔を上げた紫慧羅の顔にはやや疲れの色が見られ、目も少し虚ろだ。やはり、相当な負荷がかかっているようだ。
「か、体を乗っ取られる?あの…一体何が???」
燈和だけが置いてけ堀の状態になってしまっているな。まぁ途中で横やりを入れず、黙って聞いていてくれたのは流石だ。あの双子であれば絶対に突っ込みの嵐で話は進まなかったであろうからな。
「燈和、申し訳ないが、これについては後でゆっくり話す。いいな?」
「え、えぇ。私は大丈夫ですけれども…。」
「それでだ、シエラ」
「…なに?」
「連絡先、教えてくれよ。さっきの会話、聞いてたんだろ?」
「…ま、いいけど。」
そう言うと紫慧羅はスマートフォンを取り出し、私たちは通話アプリの連絡先交換を行った。
「…てっくんのトップ画、バイクに乗ってる写真なんだ」
「かっけぇだろ?転に取ってもらったんだよ。あいつ、写真のセンスあるよなぁ」
「…ボクも何かの写真にしようかな」
「おうおう、そうしろよ。初期状態のままじゃなんか寂しいだろ。写真撮ってやるぜ?…ていうか燈和、そんな目で見んなって。別にやましいことはねぇよ」
横からじぃっと睨む燈和を宥めながら連絡先の交換を終えると、紫慧羅は私と燈和を一瞥し、スマートフォンしまった。その顔は、心なしか少し微笑んでいるように見えた。
「じゃあね、てっくん。連絡、頂戴ね。」
そう言うと紫慧羅はヘッドフォンを付け、その場から去っていった。一見すると何ともない光景だが、紫慧羅の耳は赤くなっており、動揺からかヘッドフォンを付けても音楽は流していなかったこと、そしてその後ろ姿は浮足立っているという足取りだったことを私は見逃さなかった。
ついでに、燈和の私を睨む顔の眉間の皺が増え、深くなっていることにも気付いた。
やれやれ。私はただ、平穏に暮らしたいだけなのだがな。




